楽しいイラレ講習会プラスα

これも今日の話ではないんだけど、先週の土曜日に俺んちで開いたイラレ講習会について書きたいと思います。
昨日も少し触れたんだけど、来る8/6の発表会に向けて、パンフ班の一年生にイラストレーターという、文字通りイラストを描くためのソフトの使い方を教える講習会を俺んちで開いたのであります。
朝起きた俺は、二人暮らし終了後めっきり汚くなった俺の部屋を奇麗に掃除することから始まった。問題は死ぬほど多い空き缶とペットボトルの山。二人暮らしの負の遺産。
しかしその日は土曜日だったので、空き缶の回収はあるはずである。
パソコンに入れたばかりのYOSHII LOVINSONをかけながら、掃除機やら何やらを使ってどんどん部屋を奇麗にしていき、今度は空き瓶とかを分別して、ゴミを出しにいったら・・・
俺「あり?」
土曜日なのに空き瓶、空き缶などの分別用のかごがない。
これじゃ出せないやんけ!
まさか、隣の後藤さんに預かってもらうわけにもいかないしな?。良多んちのベランダに放り込むってのは・・・・。
・・・・・・
いやいやいやいや!
というわけでロフトにかくして、上から布をかぶせて見た目を良くして乗り切ろうということになった。
ところが、いざ北門にゴトゥ(パンフ班のチーフ)や一年生たちを迎えに家を出ると、なんと空き缶分別かご出てますやん!なんじゃそりゃ。もういいよ、今日は。ロフトに置いたままで。(直後にママチャリが盗まれていることが発覚して絶叫)
本日やってきた一年生は木口さん、エンケンちゃん、高萩、ブジュ、麻生、あゆちゃん。さらに三年生は俺、ゴトゥ、JJ、ザッキー。何人いんだよって話。まるで密集したゴキブリホイホイの中身みたい。
で、俺的に目玉だったのは、なんと言ってもエンケンちゃん。なんと彼女は台湾人なのだ!でもなかなか日本語がうまい。さらに木口さんは台湾と日本のハーフなんで、二人は仲良し。
俺的に、知り合いにエスターって言う台湾美女がいて、そういうこともあって勝手に親近感を持っているのであります。
で、イラレ講習会。なんか教えるのは全部俺にまかされてたので、俺はとりあえず全員に好きな絵を描かせて、それをそれぞれのパソコンに取り込んでトレースさせた。皆家初めてにしては結構うまくベジェ曲線をあつかって、ちょっと関心。俺が使えるようになったのは去年の大祭からだからね?。
しばらくして、エンケンちゃんが一時間のうちにある程度身につけてソッコー帰宅。話を聞くと、なんと彼女、4月から一日たりとも休まずにバイトを続けてるんだとか・・・。マジすごいっす。ただただ恐縮です。
しばらくして、一気に人数が減って、一年生はあゆちゃんと高萩と麻生だけになった。
話はイラレからアフターエフェクトの話になって(そういうソフトがあるんスよ)、俺はあまりアフターエフェクトに詳しくないので、去年の大祭のオープニング映像でも見せようってことになった。
そこからどんどん今まで作った俺の作品の話になって(俺の悪い癖)・・・・
夜になったので、良多もよんで、ラーメン屋へ。その後良多んちでみんなで彼の作品の鑑賞会になった。
いや、こうやって過去の作品を振り返ってみると、やっぱ俺も含めてみんな成長したと思うよ。一年の最初はホントに面白くない作品しか作れてなかったけど、でも作り続けることでだいぶ面白いのが出来るようになってきたんじゃないかと思う。この前のズンの”オケムライフ”もヤバかったし。
しばらくした後家に帰ってゴトゥが編集中の最新作のオープニングを見た。
マジやばい!!!
俺も頑張らねばと一人寝袋の中で悶絶。


自転車を巡る冒険

ちょっと長いけど聞いてよ?ここ数日のチャリ運の変遷を!
6月30日に俺のチャリが二ヶ月ぶりに二台同時に帰ってきたのは、この日記を読んでる人には人ご承知の通りだと思います。
で、まず一台のチャリを家に持って帰った後、7月3日にもう一台のチャリ(鍵がかかったままなので、安全な場所に放置していた。撤去予定日は7月4日)のキーチェーンを破壊してもらうべく、西千葉駅近くのチャリ屋へザッキーとズンの三人で運んだところ、そのチャリ屋が閉まっていたのでそのままSEIYUのそばのチャリ置き場の放置した。
で、翌日の月曜日。俺はチャリ鍵を壊しにいく時間がなかった。
夜。その日はムッシュの誕生日だったので、九時前に前に庄屋に行こうとしてもう一台のママチャリの鍵をあけようとすると・・・
バキッ・・・・
俺がチェーンの鍵穴に鍵を差し込んで、錆び付いているせいでかたくてなかなか回らないキーを強引にまわそうとすると、鍵の取っ手の黒いプラスチックの部分が見事に折れて、金属部分がむき出しに・・。鍵はただの金属片になってしまった。
これじゃ、固くて鍵をまわせない・・・
俺は何度もまわそうとしたが、取っ手の部分がほとんどなくなった鍵で、固い鍵穴をまわすことなどほとんど不可能に近かった。
この鍵穴に潤滑油でも注げれば・・・
そんなに都合よく金属用の潤滑油を持っていない俺は、悩んだあげく植物油を鍵穴に注いだ。
しかし、鍵穴が回る気配は皆無。それどころか俺の手にも植物油が着き、鍵がつるつる滑ってまわせない(←バカ)。
泣く泣く徒歩で庄屋に向かう。
翌日、リッキーから合鍵をもらう約束をして(ママチャリの鍵は、俺が貸してたときにリッキーが買ったもの)、SEIYU前に放置したチャリの鍵をぶっ壊してもらう。放置している間に、何者かにタイヤをパンクさせられてたのでその修理もしてもらった(修理費が・・・)。
そして遂に裕一郎にもらったチャリが完全復活!!何てかっこいいんだこのチャリ!この美しいフォルムにべた惚れです。
でも、相変わらずチェーンの外れ方は激しい・・・。
翌日にはリッキーの鍵も来て、二台共完全復活を果たした!
ところが・・・・・・・
そう、あれは先週の金曜日のこと。俺がエコスストリートファニチャーでめちゃくちゃブルーになってた日。
俺はガストでのTシャツデザイン会議後、ザッキーの撮影の手伝いにズン家にいって、そのまま2時近くまでダラダラして、小雨の中を絶叫しながら帰った。
俺はアパートのチャリ置き場にママチャリを止め、鍵をしっかりかけ、家に帰ってもんもんとして、しばらくして寝た。
翌日の7/9、パンフ班の一年生のために、俺んちでイラレ講習会(illustratorというソフトの使い方を教える講習会)を開くことになっていた。俺は一時に北門にみんなを迎えにいかなければならなかったので、チャリ置き場に行くと・・・
俺「・・・・あれ?俺のママチャリは・・・?」
俺のママチャリが無いのだ!!
俺、昨日鍵かけたぜ!?
昨日鍵かけたんだぜ!!??間違いなく!!
家で盗まれるかよ普通!なんで俺のなんだよ!なんで俺のアパート、俺のチャリを盗むんだよ!!
意味よ!!
現実がうまくの見込めないまま、もう一つの裕一郎チャリに乗り学校に向かう。
しかし、怒りが収まらない。
すると、チェーンが外れた。ムカついてるときにチェーンが外れるとさらにムカつく。でも、よく見ると、前も後ろもチェーンが外れてることがわかって、イライラはさらに倍増、
チャリを乱暴に倒し、手を油まみれにしてチェーンを直す。
でも悪いことはさらに加速。
学校について、キーチェーンをどこかに落としていることに気がついた。これじゃあ、チャリに鍵をかけられない。
どこか、だって!?あのチェーンが前後とも外れた場所に決まってる!!
しかし、みんなを案内中、再びその場所を通ったんだけど、キーチェーンは見つからなかった。
あんな植物油まみれのチェーンを誰かに持っていかれたの言うのか?まさか!ということは、ここではない、どこかで落としたということか?どこだよそこは!
これでキーチェーンの行方はさっぱりわからなくなった。裕一郎チャリも、鍵をかけられなくなってしまったのだ。
なんで、悪いことがこう重なるんだろ・・。エコデザインも、ママチャリも。これは俺が悪いんだけどキーチェーンだって。どうしてこう嫌なことが立て続けに起きるんだろ。
俺は、すっかりブルーになってしまった。
しかし・・・・、本当に世の中わからないものである。
おとつい、キーチェーンを買いに、裕一郎チャリに乗っていたところ、再びチェーンが外れた。
場所は偶然にも、この前チェーンが前後共はずれた、あの場所であった。
今回は後ろのチェーンだけだったので、すぐに直してチャリにまたがった時・・
「あの・・・」
振り向くと、この道に面した家の玄関が開き、眼鏡の中年のおばさんがこちらを見ていた。
おばさん「この鍵、もしかしてあなたのものですか・・?」
おばさんが持っていたのは、なんとこの前無くしたキーチェーンではないか!!
俺   「あ!それ俺のです!」
おばさん「あ、やっぱり。この前あなたがここでチェーンを直しているのを偶然見たんですよ。で、この鍵が落ちてて、もしかしたらあなたのものじゃないかって」
俺   「マジっすか!!これは俺のっす!ありがとうございます!」
おばさん「チェーン、お店で直してもらえるから、いって直してもらうといいよ」
おばさんは笑顔がすてきで、本当に聖人のように見えた。
なんて素晴らしい世の中なんだ


負け犬の遠吠え

え?・・・お待たせしました。本編です。
ここ十年で二番目ってのは大げさかもしれないんだけど、とにかくぬか喜びだったんで、その話を書きたいと思います。
とりあえず今回の課題について簡単なおさらいをしておくと・・・
今回環境に優しいストリートファニチャーをデザインするという課題がでた。それで19名中上位10名は東京デザイナーズウィークに出品するということが決まっていた。これは課題であると同時に一大イベントであった。
だけど俺の方はというと、最近ますますデザインに自信がなくなっていて、さらにこの前自分をサーファーに例えた通り、課題から逃げるような気分になっているわけでやんす。
で、この前の7/1のエコストリートファニチャーの最後のプレゼンで、一発奮起でこの悪い流れを断ち切ろうと、もがき続けたわけなんすよ。このどん底のような状態を打破するためには、なんとかここでいい成績を出して、自信を手に入れたいと思ってたわけ。
それで何日も前から悩みに悩んで、ようやく当日の朝それを出してプレゼンした。すると意外に先生や院生に好評で、原先生には『もしかしたら、これ東京デザイナーズウィークに出せるかもしれないよ』とまで言われた。
それはそれは嬉しかった。
ていうか・・・・
めっちゃ嬉しかった!!!!
ここで東京デザイナーズウィークに作品が出品できれば、今まで弱気だった俺に新たな自信が湧いてくるだろうし、その功績は絶対将来役に立ってくるだろう。そして、何より、先生にほめられたのは嬉しかった。それは先生に認められたからに他ならない。一番偉い清水先生がプレゼンを見ていたわけじゃないのが心配だけど、原先生にあそこまで言わせたんだ、これで自信がわけないわけが無い。
俺は、遂に自信を手に入れたんだ。
俺は、遂に自信を手に入れたんだ!
これをもとに、どんどん成長していこう!負け癖を、勝ち癖に変えていくんだ・・!
大げさかもしれないけど、俺は将来に希望が見えてきて、これから頑張ろうと、自分を励ましていたわけ
で、一週間後の環境の授業・・・。エコデザインの第一次審査の結果が発表された。今回は19人が15人にしぼられる。つまり、ワースト4が落とされるってこと。
プリントが配られた。
・・・あれ、俺の名前のところに×がついている・・・。
原先生のところに行って、「これどういうことですか?」と聞いた。先生は「残念だったね」としかいわなかった。
授業の終盤、その日来ていたゲスト講師を囲んでビールを飲んだ。先生が『どうした・・?なんか悪いことでもあったか?』とかいって、俺のコップにビールを注いだ。俺はビールを何回も飲んで、
俺  「先生、おれ、なんで落ちたんですか?上位に入れなかったとしても、なんでワースト4位に入ってるんですか・・?」
先生はまともには答えなかった。
そこに清水先生(環境の大御所)が来て、俺の作品について聞いてみた。
先生はどの作品のことかと聞いてきて、俺は作品の名前をいうと、先生は苦虫をかみつぶしたような顔をして、「でもあれはねえ・・」といった。
清水先生は俺のプレゼンを見ていない。先週書いたとおり、俺はプレゼンボードにはほとんどいいたいことが書けなかったので、代わりに口で頑張って好評価を得た。俺ははっきり言って、俺の考えが清水先生にちゃんと伝わっているのか疑問だ。
・・・・負け犬の遠吠え。
帰り際、原先生が俺に言った。
原「でも、ただ一つ言えるのは、君のデザインはまだまだ荒くて、多分これから多くの試練を乗り越えなきゃいけないと思うよ。」
俺「解ってます。俺のデザインはまだまだだってことは解ってます」
そう、わかってる。わかってるからこそ、今回のぬか喜びは痛いんだ。手に入れかけていた自信も、跡形も無く消え失せてしまった。
夜中、小雨の中を『ムカつく!!ムカつく!!!!』と絶叫しながら県道沿いを走った。
俺はサークルで、今度の発表会で”デザイン統合部長”をつとめている。
19人中15名にも入れない俺がこんなのやってるよと自虐的な笑いが起きないわけが無かった。


果てしなく凹む

エコストリート・ファニチャーの件。
ここ10年で二番目のぬか喜びを味わいました(人生最大のぬか喜びは一浪目のときのデザ工合格)。
先週とは正反対の感情で、チャリこぎながら奇声連発。
詳しくは明日。


そしてアイツは旅に出た

一人暮らしに戻りました。先週の金曜日、同居人は遂に一人暮らしを始めたのです。
同居人のやーぼーは高校の友達。そして、最も仲のいいグループの一人。そんな彼との二人暮らしは二ヶ月にも及んだ。
俺んちは過結構狭いんで、二人一緒のときはプライベートなんか皆無。もちろん寝る場所を仕切るドアなんて無い。アイツはロフトで寝泊まりしていたので、いつでも俺を見下ろせる位置にいる。寝言や独り言とかもダイレクトに聞かれてしまうので大変恥ずかしい・・。
やーぼーは今年琉球大学を卒業して、雑誌編集の仕事に就くために、就活と出版社のバイトを探しにやってきた。
本当は東京で一人暮らししたいところなんだけど、お金が足りないので、俺んちで最初の一ヶ月を過ごしてお金を貯めることになったのだ(二ヶ月に延長になったけど)。
で、どんな生活だったかと言うと・・・
別に喧嘩していたわけじゃないけど、あまり会話はしなかった。お互いそれぞれ課題や履歴書、ネットに夢中になっていた。それがかえってお互い適度な領域を保ち続けた原因だったのかもしれない。
洗濯はだいたいやーぼー。時々飯も作ってくれた(これがうまい)。部屋は俺が片付けることが多かった。
考えてみると、朝の会話がウケる。やーぼ?が派遣のバイトに行く時・・・。
やーぼー「じゃ、俺行ってくる」
俺   「あ、いってらっしゃい。今日何時に帰るの?」
やーぼー「七時ぐらいだと思う」
俺   「夕飯はどうする?」
やーぼー「あー、家で食べるからご飯炊いといて」
俺   「おっけー!がんばってね!」
夫婦かよ!
隣とかどう思ってたのかな?後藤さんに聞いてみたら、俺が二人暮らしのことを知ってたから大丈夫だったけど。
先週の金曜日やーぼーは東京の船堀に引っ越した。二ヶ月以上つづいた同居生活も遂に終わりを迎えたんだ。
その夜ユウイチロウとカネシを呼んで軽い飲み会を開いたんだけど、久しぶりに皆集まるとやっぱり楽しいものじゃ。友人の新しい門出に立ち会えたのは素直に嬉しい。
別に寂しいとか無いんだけど、時々ふと、『あ、いないんだっけ』と思う瞬間がある。今日もそれがあった.
なんか、『うしおととら』のラストみたいだと思った。