be joyful always

3月に行われた結婚式用に描いたウェルカムボードをアレンジして、那覇の病院に置かせて頂きました。それにしても、聖書に「be joyful always, pray continually, give thanks in all circumstances」という言葉があって、僕はクリスチャンじゃないけれど、本当にいい言葉だなと思うんすよ。いつも楽しんで、いつも祈り、いつも周りの環境に感謝しなさい。そうだよね。

※明日と明後日は都合によりブログはお休みです。火曜日に。


飛んで目に入る春の虫

今日公園を自転車で走っていたら、一瞬だけ視界が黒くかすみ、目に小さな虫が入った。びっくりして瞬きをしたら、それはまぶたに巻き込まれた。その瞬間、何かが潰れたような感触があり、酸が入ったようなじわっとした痛みがまぶたの裏に広がった。家に帰ってまぶたを捲ると、その虫は丸くなって死んでいた。

この虫は今日、まさか鳥に食べられるわけでもなく、人にはたかれる訳でもなく、自分より巨大な生物の目に巻き込まれて命を落とすなんて考えもしなかったに違いない。
おれ、こうやって死ぬのか、なんてあっけない死に方なんだ。まぶたと眼球に挟まれてすり潰される瞬間、走馬灯のように思い出が走る。
はじめて卵の殻から出てきた頃のこと、蛹になって引きこもりになっていたこと、引きこもりを抜け出して、始めて自分の羽で空を自由に飛んだ日のこと、巨大な虫に襲われ恐怖に打ちひしがれた日のこと、そして初めて綺麗な羽を持ったあの娘に出会った、あの日のこと。
その意識も、次の瞬きで一瞬ですり潰され、この世から永遠に消えてしまった。

丸まった死骸を指先に留めて見つめる。まぶたで命を刈り取ってしまった。蛇口をひねって水に流す。


ヴァンパイアのルール

最近スティーブンキングの『呪われた町』と、そのオマージュである小野不由美の『屍鬼』を読んでから、自分の中で吸血鬼、特にヴァンパイアがマイブーム。

『呪われた町』は、ジェルサレムズ・ロットというアメリカの小さな街の古い屋敷に何者かが引っ越してきて、徐々に街の人たちが吸血鬼になっていくという話。小野不由美の『屍鬼』は舞台を日本の外場村に変えてはいるものの、ほぼ同じストーリーだ。しかし、舞台となる国が変わることで信仰や生活文化が全く違ってくるので、ストーリーが同じでも受ける印象が全然違ってすごく面白い。

でも、この両者の比較の話はいろんなサイトでやられているから置いといて、僕はこのキングの呪われた町の中で、ヴァンパイアの扱い方(特徴とかルールとか)の説明がほとんどされていないことに驚いてしまった。みんな、ヴァンパイアのこと知ってるよね、って扱いだ。

もちろん僕も以前から吸血鬼のことは知っている。血を吸う化け物だろ?不老不死。十字架とニンニクが苦手。日光がダメで昼間は棺桶で寝る。心臓にくいを打たれると死ぬ。そして血を吸われた者も吸血鬼になる。

でも、たとえばヴァンパイアは家に侵入しようとする時、家の中の人に招待されないと入れないっていうのは知らなかった。また吸血鬼は鏡に映らないってことも初めて知った。
これらのルールは、キングの小説を読み進めるうちに知ったことだった。でも、小説の登場人物は、20世紀の現代社会(吸血鬼なんておとぎ話さ)が舞台なのにもかかわらず、みんなこのルールを知っていた。つまり、このルールは説明されるまでもない一般常識だということだ。そうなのかーこれも文化の違いかーと感心したが、その時はそれで終わった。

で、この間『ぼくのエリ 200歳の少女』というスウェーデンの吸血鬼映画を見た(オススメ!)。こっちは小さな子供のヴァンパイアが出てくるんだけど、この作品にも鏡に映らない、中の人の誘いがないと部屋に入れないなどのルールが適応されていた。しかもその友達である人間の子供まで、このルールを最初から知っていた。

おどろいた。このルールは世界規模で常識だったのか!アメリカと北欧で細かい設定まで同じってすごい!

これらのルールは19世紀の小説『ドラキュラ』で一気に広まって、それ以後あまり変わってないらしい。でも、僕は小説は読んだことないけど、フランシス・コッポラの映画版だとヴァンヘルシング教授は普通に最初からドラキュラの性質を知っていた。ということはルールはそれ以前からあったということだ。
一体いつからこのルールが存在するんだろう?

ヴァンパイアのルールは昔から受け継がれて、生き残ってきた。そしてこの21世紀でもうまく適応して、次々に新しいものがたりを生み出して行く。
一見幼稚な設定なのに、こんなに息長く続き、しかも世界規模に成長していることに、凄い壮大なものを感じる。ただの怪談から生まれたバケモノなのに、科学が比べ物にならないほど発展した現代社会でもしぶとく生き残っているところが本当にすごい。きっと人間の恐怖の感情の根源に触れるものがあるから、こんなに続くんだろう。

恐怖って本当に奥が深いな。取り敢えずジョニーデップの「ダーク・シャドウ」は絶対見る。


5月6月はボヤザトさん

毎年、5月から6月にかけて、頻繁にイライラしたり注意散漫になる傾向がある。この時期を『24人のビリーミリガン』から拝借して「混乱の時期」と勝手に名付けてるんだけど、酷い年は本当にすごい。うっかりミスが多発するのみならず、他人に対して心の底から憎しみが湧き出てきて、ストレスで胃が痛くなったり、頭がぼやぼやして、メガネを手に持ちながら「メガネどこ?」っていう状態が続く。ちなみに、このぼやぼやした状態のことを、うちの相方は「ボヤザトさん」と呼んでいる。

いままで、なぜこの時期にそういうことが起きるのかわからなかったんだけど、ここ数日でなんとなくその原因の見当がついてきた。

この時期って、毎年日の出の時間が早く感じるんだよね。冬至を超えたあたりからじわじわと日の出が早くなってきてはいるんだけど、ある地点で閾値を超えたのか、ドーンと早くなったように感じる。その変化についていけず、4月から5月の始めにかけて、睡眠の質が一気に悪くなる。いや、これ僕の勝手な想像だけど。。
今朝の関東の日の出の時刻は4時55分だったそうだ。昨日夜2時過ぎに寝たんだけど、朝5時に、カーテンの隙間から刺す朝の日差しを浴びて起きてしまった。眠いから何度も布団に潜り込むんだけど、そこからは深い眠りに入れない。そんな感じがここ数日ずっとつづいてる。

朝、日差しを浴びると体内時計がリセットされるって聞いたんだけど、もしかしたらそれで眠りづらくなっているのかもしれない。もしそうだとしたら、一番健康的な解決法は早寝早起きということになる。
でも、四月のこの時期って、新年度ということで張り切っちゃって、夜更かししがち。だからこの負のスパイラルに陥っちゃうんだよね。で一気に5月にドカンとくる。思い返せば、過去に5~6月に精神状態が狂った年は、大抵この時期睡眠不足だったか、眠りの質が悪かった気がする。

以上僕の勝手な妄想だけど、もし本当に時期のせいで睡眠の質が悪くなるってことがあるのだとすれば、これって僕に限ったことじゃないんじゃないだろうか?この時期ちゃんと睡眠が取れてないっていう人結構いるんじゃない?僕はADDの性質があるからボヤボヤっぷりの方に針が振れていくんだろうけれど、そうでない人もここでいろいろ体調を崩しはじめて、五月病とかの一因になったりするんじゃないのかな?

とりあえず、今のペースだと、僕は5月6月はボヤザトさん。今から対策を講じるのだ。

 


自分勝手なアドバイスを未遂

この間、大学の友人から電話があって、「このゴールデンウィークに沖縄に旅行に行くんだけど、半日だけ予定が埋まらない。見た方がいい場所ないか?」と聞かれた。

で、聞いてみると、すでにスキューバーダイビング、美ら海水族館、首里城などの予定は入っている。そして、空いているその日に泊まるのは那覇市。レンタカーは事情により借りれないらしい。俺に任せろと言わんばかりに、意気揚々と相談に乗ったが、はたと止まった。どこを紹介したらいいのやら。

那覇市に泊り、しかもレンタカーを借りれないのであれば、那覇市で観光したほうがいい。でも、那覇市の観光なんて、首里城や国際通り、平和通りを見ればだいたい済んじゃう気がする。
と、ここで日頃のわだかまりがフツフツと湧き上がる。国際通りのなにを見るんだろう?首里城になにを見る?どれもこれも観光客用に作られた人工物じゃないか!
地元に住んでいた身としたら、そうした沖縄人が沖縄人を演じるかんじの観光商業施設にすごい嫌悪を感じちゃう。それ偽物だろー!!って言いたくなる。

でも、そんな事言ったら、俺が京都に行った時に舞妓さんとか人力車とか見た時にすっごく興奮したり、北海道に行った時にアイヌの服を買おうか迷ったりしたのはなんだったんだろう。お客さんの身になったら、そんなの人工物じゃ~ってこだわりはどこかに消し飛んで、結局楽しんじゃうわけだ。

そんなことを考えていると、俺は観光客が沖縄になにを求めているのか、ぜんぜん知らねーんだなってことに気がついた。地元の人の立場から観光客になにを見てもらいたいのかってことと、観光客が見たいものとはぜんぜん違う。

僕は夏に沖縄に帰ったら、とりあえず雲を見ているだけでお腹いっぱいになる。あるいは石垣に生える植物の葉っぱだとか、咲き乱れる花だとか、そういったのを見ているだけで満足しちゃう。つまり、町中であれどこであれ、沖縄の至るところにある自然が大好きなんだ。だからもし、僕流に沖縄を楽しむアドバイスをするのであれば、「どこにも行かず、空とか海、草を眺めましょう」更に言うならば、「ただ、ぼーっとしとけ」ってことになる。

だから、彼らに、どこにも行かないでいいよ、って言いたかった。
ただ雲を見て、植物観て、海を見て、ぼーっとしてたらいいよ。海に石投げてもいいよ。砂浜に寝そべってもいいよ。なにも考えなくていいよ。
そんなこと言ったら、彼らはどんな反応示すんだろう?

とか、考えながら、普通に玉泉洞に行ったらいいよとアドバイスしました。

 

 

※玉泉洞は沖縄本島の南にあり、那覇市からだと車がないと行けませんが、本人たちがタクシーでの長距離移動も可能だってことがわかったので、そこをおすすめしました。