ふじりゅーのはなし

昨日本人に了承を得たので、友人のふじりゅーについて。
彼は高校の時からものすごいハイテンションで、イケメンでオシャレなのに毒舌。3月にあった稲福政司の結婚式の時に、十年ぶりに再会したんだけど、テンションも雰囲気も10年前と全く変わってなくて、肌もツヤツヤ。時が止まっているようだった。

彼は式の最中に僕のところに近づいてきて、iPhoneを取り出し、「今からニコ生を始めるから俺を撮ってくれ」という。一瞬なんのことかわからなかったが、要は、iPhoneのアプリをつかえば、iPhoneのカメラで撮影することで、その様子を全国のパソコンの前の視聴者に見てもらうことができるらしい。それを使って、今からこの結婚式会場で生放送をはじめる。俺に手伝ってほしい、そういうことだそうだ。

「もうすぐキャンドルサービスが始まる。主役の二人が舞台を降りてきたら、舞台袖で踊るからそれを撮って」
そう言い残すと、俺にiPhoneをわたし、彼は何処かに消えていった。

しばらくして舞台の緞帳が上がり、煙がもくもくと立ち上って、手にろうそくにつける火を持った新郎新婦が姿を表した。僕はその様子を撮影したかったので、右手に自分の黒いiPhoneをもち二人を撮影。そして、ふじりゅーの白いiPhoneは左手に持ち、舞台袖に向けた。

iPhoneを二刀流。しかも白と黒。これはなかなか恥ずかしい。

主役の二人がテーブルを回り始めても、まだふじりゅーは姿を現さない。右手は2人を追っているに、左手はずっと舞台袖に向けていたので、だんだん両手を広げるショーシャンクな感じになって、撮影がしんどくなってきた。早く出てくれないか。ふじりゅー。早くしてくれ。

と、次の瞬間、ふじりゅーが舞台横のカーテンからヒョコっと顔を出した。彼はあたりを一度見渡すと、カーテンからぴょんと飛び出し、ぴょこぴょこと踊り始めた。
それは、操り人形の紐をデタラメに引っ張ったかのような、かなり不自然な動きをする踊りだった。真面目な人のやる気を削ぐような、あるいは、元気のない人をますます落ち込ませるような、そんな不思議な踊りだった。もちろん式の参加者は主役の二人に夢中で、誰もふじりゅーの踊りに気がついていない。彼は舞台から飛び出して俺のところに走ってきた。
「どうだった?ちゃんと撮れた?」
俺はコメント欄を見た。
視聴者が一人、「ワロスw」と書き込んでいた。

 

 


いやらしいキリン

 

今年2月に北海道の旭山動物園に行ってきた。
まだ氷点下10度近くある真冬で、辺り一面にパウダースノーが降り積もっていた。上野動物園では暑くてうなだれている様子しか見たこと無いシロクマが、ここでは信じられないぐらい元気で、2頭が激しくじゃれあったりしていたけど、
カバなど赤道付近に生息する動物のほとんどは、園の奥の暖かい場所引っ込んでしまって、見ることができなかった。

そんななか、キリンが2頭、普通に屋外のケージにいるのを見て、驚いた。

これがなんとも奇妙な光景だった。本来ならサバンナに住んでるはずのキリン。それが雪景色に佇んでいる。でも、それがなんとも言えず美しかった。

 

 

2頭は寒さを物ともせず、平気でケージ内を闊歩していた。時々、雪を美味しそうにモグモグしていたけど、寒くないんだろうか。
キリンのケージはサーキットのトラックのように、グルグル回れるようになっていて、僕がキリンを見始めた時は、2頭寄り添って、ひっきりなしに歩き回っていた。

しばらくたって、二匹が前後に並んで止まった。すると後ろのキリンが、クビを垂直に伸ばし、舌をニュルッと出した。舌はとても長く、先端は細く尖り、うねうねと動きまわって、なんともいやらしい。と、思っていたら、今度は頭を前のキリンの股下に突っ込んだ。どうも前のキリンは雌だったようだ。なにしてるんだこいつは。見物客の間でうわ〜ともきゃ〜ともつかない声がでた。中年の女性がアラアラと言っている。

すると、後ろのキリンが股下からクビを引っこ抜き、頭を垂直にした。。なんか、様子がおかしい。やつは唇をめくり上げ、前歯を出し、興奮したように左右に揺らし、よくわからない奇声を発しはじめた。
こいつ、にやけてやがるのだろうか。すごいイヤラシイ。もはやエロオヤジにしか見えん。。

となりのカップルが、きゃ〜っとはしゃいでいた。ちょっと腹が立った。


アジ?

今日は11月にやる展示会のテーマについて、メンバーと西船橋の喫茶店で相談していたんだけど、5時間たっても話し合いが堂々巡りでなにも決まらず、ついに頭も働かなくなり、訳のわからないことに。そんな時、だれかがアジトって単語を出したんだけど、ヨットが「アジと」と解釈。

アジって魚の鯵?

頭の中をアジがおよぐ。


M or D

僕はよく無意識で行動する。だから行動が論理的でないことが多い。気がついたら行動をしていて、あとでなんでこんなことをしたのか解釈したりする。

小雨の日は、あまり傘をささない。理由はとくにない。でもあえて挙げてみる。

  • まず、僕は多少服が濡れても、あまり気にならない。
  • 傘をさすと、風がうざくて、つねに傘の向きに気を配らなきゃならない。
  • 小雨だと、傘をさしても 、パラパラとした心地よい音があまり鳴らないので損した気分になる。
  • 傘を持つと片手がふさがる。
  • 雨に濡れるのって、ちょっとかっこいい?なんて心のどこかで思っている。

正直どれも当てはまる気がするが、一番最初の「服が濡れても気にならない」って要因が、決定的だと思う。

多少の不便をあまり気にしないクセ。不具合を無意識的に受け入れているところがある。その不具合はだいたい自分の体への負担などだ。パソコンの動きが遅くなるなどなら我慢できなくなるけど、濡れる、歩く、重いものを持つなどの体への負担は、あまり気にならなかったりする(もちろん限度はあるけど)。マゾなのか?それとも鈍感?

小学校の時は、ランドセルに全教科を入れて通学していた。それは、全てカバンに放り込んでいたら忘れ物することはないだろう、という思考からきていたんだけど、おかげで毎日信じられないほど重い荷物を背負っていた。でも、それを自然に受け入れている自分がいた。
僕はめんどくさがりやで、なるべく楽したいと思っているんだけど、どの点で楽をしたいのか、その選択の基準がいつもおかしい。明日の準備をする手間よりも、重い荷物を持つという選択って、どうなんだろう。
だから、より便利なものや効率を考えるデザイナーは、僕には向いていないなーって思ってイラストレーターに転向したわけです。

なんでこんなこと書いているのかというと、今日、雨の新宿を、傘を持っているにもかかわらず、ささないで歩き続けていたことに、目的地に着いて初めて気がついたから。

恐るべきMorD。