チャリ戻る

久しぶりに面白い偶然が起きた。
実は俺4/10まで、チャリは2台ありました。一台は俺の、もう一台は富山裕一郎から譲ってもらったチャリで、この裕一郎のチャリがあんまりかっこいいから、わざわざメンテナンスもして乗り回してたわけ。
すると4/10、サークルの新歓の日に、学科のリッキーがチャリなくして困ってるって話を聞いていたので、俺が使っていないもう一つのチャリを貸してあげたわけです。
すると、4/29、デザ工タテワリの日、俺は裕一郎のチャリの鍵をなくしてしまい(『風の中を歩く』参照)、二日後にとりにいったらもうチャリはなくなっていた。
で、警備員や再転車運動の人とか、周囲のチャリ置き場とかを探しまわったんだけど結局みつからず、『あのチャリはね、星になったんだよ』って自分に言い聞かせていたわけ。
となると、残ったもう一方のチャリをリッキーから返してほしいところなんだけど、俺のチャリを大切に使って、忙しい中必死で頑張ってるリッキーの姿を見ると、とても突然『やっぱチャリ返して』なんて言えなかった。
で、結局時々同居人ヤーボー(男)のチャリを借りたりとかしたけど、ほぼ二ヶ月間、往復一時間の徒歩通学の生活が続いてたわけです。
それから二か月が経ち・・・
この前の月曜日に俺がパルコに行ってデザインの本を探していたら、リッキーから電話が・・・。
「俺が前にパクられたチャリ、警察が見つけてくれたよ。まーしーチャリなくしたんだって?今度返すよ!」
マジで!!それはホントに助かる!
リッキーに俺のことを教えてくれたのは良多だった。マジ感謝。
ところが水曜日の待ち合わせの時間、リッキーは俺のチャリ鍵をなくしてしまい、結局今日になって、俺がスペアキーを使って、無事返してもらうことが出来た。
で、今日の造形演習の時間・・・。
俺は前川とオクサンとチャリについて話してた。
俺 「そうなんだよ、チャリ戻って来たんだよ」
前川「まささん前はどこに止めてなくしたの?」
俺 「一号棟の入り口の正面。それでこの辺一帯も探して・・」
・・・・・・・?
前川「まささんどうしたの?」
俺 「ええ!??」
俺は目を疑った。
あるのだ、裕一郎のチャリが!普通に!
よく見ると赤い札がついていて、『7/4に撤去』とかいてあった。
てかなんであるの!?
今までさんざん探したんだぜ!?
いろんな人に聞いたんだぜ!!?
てかここに前はなかったんですけど!いつ、誰が持って来たの?
二ヶ月間も期間がありながら、チャリが2台同時に帰って来た。偶然同じ日に。
結構こんな体験はあるけど、今回はインパクト大に感じられた。
ああ、世の中ってやっぱ不思議だわあ・・・


逃した記憶はデカイ

ついさっきやっていたこと、やろうとしていたことをど忘れすることってない?
例えば家に忘れ物を取りに帰った時。鍵あけて、靴脱いで、居間入った頃には『あれ?なんで帰って来たんだろう』となることが多い。なんで?
今日ちょっとタイプが違うんだけど、ひらめいたアイディアをメモる直前にど忘れしてしまうということが起きた。
直前までエコデザインの課題(まだやっていた!!)についてアイディアを練っていただけにそのアイディアを失ったのは痛い。なんとか思い出そうとしたんだけど、一度見失った記憶を見つけ出すのは難しい・・・。
ああ・・・なんだったっけ?なんだったんだっけ??
逃した魚は大きいというけれど、このアイディアもそんな気がして来た。この現状を打破できる優れたアイディアになり得たかもしれないのに・・・!!
・・・・・
まあ、ここまで読んだらだいたいオチは読めるよね。俺は最終的に思い出したんだけど、それは別にたいしたアイディアではありませんでした。てか、アイディアなのかもよくわかりません。
思い出したアイディアってのは、・・・
『豆腐は壊れやすいけど、それを表現するとしたらどの言葉を使う?「柔らかい」?それとも「もろい」?』
・・・・・・・
日常的な盲点を発見した気分になってたんだね、当時の僕は。わかるよ、その気持ち・・・。でもね、豆腐は『柔らかい』んだよ。世間の常識だよ。エコデザイン関係ないよ


シティー・オブ・ゴッド

最近思うんだけど、課題とかで忙しいときこそ、『頑張ろう』と自分に言い聞かすのは逆効果で、そうではなく『楽しもう』と言い聞かす方がいいんじゃないかと思うようになって来た。(あ、俺の場合はね)
今の俺を例えるならば、へっぴり腰のサーファー。
勢いよくボードを抱えて海に飛び込んだのはいいものの、高い波を目の前にして体がこわばってしまい、思うような動きが出来ず、逆に逃げ出しそうになったところで波に巻き込まれてしまって必死でもがく、情けないサーファー。
いいサーファーというのは高い波を制覇しようと果敢に挑み、成功しようがしまいがその波を思う存分楽しむ事が出来るわけで、本人は楽しいだろうし、見ている人も気持ちがいいだろう。
何がいいたいのかというと、自分に『頑張れ』と言い聞かして、我慢しながら課題という波をを乗り切るのと、自分から楽しんでそれをこなすのとでは明らかにできが違うわけ。
今日それをまた実感して凹みました。これで何回めなんでしょ。学校の課題も映画を作ってる楽しさでこなせたら最高なんだけどな?。しかもうちの学部ならそれが出来るはずなのに。
それに人生は一度きりなんだから、楽しまなきゃ絶対損だ。
今度は楽しむようにするぞ。今度の金曜日の波はこれまた果てしなく高い・・・・。
で、まあ、面白くない気分で学校が終わったんで、今日返す予定の映画二本を一気にドドドと見ることにしたであります。
『シティー・オブ・ゴッド』と『トーク・トゥー・ハー』。方やブラジル産、方やスペイン産の多国籍コンビ。
結論から言うと、どちらもすごいよかった!特に『シティー・オブ・ゴッド』!これはヤバい!
すごいハイテンションで、『神の街』で生きる主人公とその周りの危ない青春、そして血で血を洗うギャングの抗争が描かれる。
その登場人物の人間関係とそれぞれのキャラの際立ちっぷりは圧巻。怒濤の展開もやばい。この前『ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』見たけど、あれに人生の奥深さを混ぜた感じ。ユーモアと示唆に富んでいてすごいいいと思った。映像センスもキレてる。
そして、最後に聞いてビビったんだけど、なんとこれ実話なんだって!!
人生はこんなに恐ろしくて、でも面白いんだと再認識。久しぶりに映画を『見た』のではなく『体験』した気分になった。ブラボー!マジブラボー!
そして『トーク・トゥー・ハー』。さっきとは打って変わって、とても静かな作品。これは登場人物の一人が俺の友達にそっくりでウケた。
特に印象に残ったのが劇中劇の『縮みゆく恋人』。まあ見て。
ツタヤで返却のついでに借りたのは、オッチーオススメの『ムーランルージュ』と、ダウンタウンの松本がオススメの『ペーパームーン』。どちらも期待大!
最近、『映画に意外なオチなどいらない』という意見が理解できるようになって来た。
まあ『セブン』や『オールドボーイ』とか、そういう傑作なら話は別なんだろうけど、意外なオチってのはどうしても欺くためのパターンにはまってしまって、作品が薄っぺらに感じてしまう気がする(『閉ざされた森』とか特に)。
意外なオチなんて、長い人生から見てみればたった一瞬の『びっくりした出来事』の一つにしか過ぎないわけで、重要なのは登場人物の心の動きだとおもうわけ。人間は『共感する生き物』だからねー。
・・・・・てかなんで、映画のオチの話になってるんだろ・・。頭が混乱してるので今日はこれまで。
(俺は『意外なオチ』系の映画大好きです)


つけの波

つけが一気にやって来てあほあほになってる状態です。土曜日スポ兵休んで考えたネットウェブ、今になって挫折。
どうすんの俺!
全然更新してなかったけど、今日も時間がなくて書けないっす。
てかなんでこんなの書いてるのって感じ


慰霊の日の思い出

今早朝のサッカーヤバかった・・。超面白かった。でも結果はブラジルに2-2の同点で、結局グループリーグ突破ならず・・・。
で、悔しい悔いとかいいながら6時に寝て、起きて見たら11時59分。おお、寝過ごした。
しかし、なんか大事な事を忘れているような気がする・・・
あ!今日『慰霊の日』だった!黙祷しなきゃ!
で、そのままさらに30分二度寝してしまった。
そう、今日は『慰霊の日』なんです。
6月23日は、沖縄では『慰霊の日』と言ってすべての学校が休みになる特別な日です。いまから60年前、牛島満司令官が摩文仁で自決したため、現地日本軍の組織的抵抗が終わりました。実際には戦闘はその後も局地的につづくのですが、この日『慰霊の日』と定め、住民の三分の一(!)が死んだ過去の悲劇を忘れないようにしよう、というのが、この日が定められた主な理由であります。
この日、沖縄では12時になると、皆一斉に黙祷を捧げます。
でもね・・・やっぱり限界があると思う。
昔こんな事があった、と言われても、もちろんこっちは理解しようとするけど、環境があまりにも変わりすぎていて、実感としてなかなか湧いてこない。
実は、いまでも戦争の傷跡って結構残っている。
例えば不発弾。もうしょっちゅう見つかってる。俺だけでも2年に一回は不発弾処理による避難勧告をうけた。
特にウケたのが2浪の時。これは海で見つかったものだったと思うんだけど、そのうち3発を業者の人が県庁に持って来てて、そこで不発弾の信管が抜かれてない事に気づき、県庁を中心に避難勧告が出された事があった。
うちの予備校も避難勧告が出されてたんだけど、みんな普通に自習してた。それだけ皆慣れているんだ。
さらにビビるのが、俺が実際に手榴弾を発見したことがあるという事。
沖縄以外だったら、まずないっしょ。
でも、それが戦争の実感に結びつくかというと・・・残念ながらノーだ。結局実際の戦争がどんなものなのか、何一つわかっていないと思う(まあ、あたりまえなんだけどね?)。
どうあがいても、やっぱり歴史というものは風化していくものなのかな・・・
しかし、俺はこの慰霊の日という事で、別にたいして重要な日じゃないとおもってるのか、というと、決してそうではない。
俺が高三の時だった。
6月23日、甲子園の地区予選が行われいた。俺はハンドボール部と応援団を掛け持ちしていたので、ものすごい灼熱の太陽の下、中学のときの学ランとはちまきと軍手をつけて、フレーフレーと応援していた。
うちは出来たてホヤホヤの高校だったので(俺は一期生)、伝統も何もない。野球部も弱小で、終始試合の主導権を握られっぱなしだった。
灼熱の熱さでくらくらしながら、無我夢中で吠えまくっていたら、突然サイレンが鳴った。その後場内アナウンス。
「ご来場の皆様、ただいま那覇国際高校と浦添商業高校の試合中ですが、今日は慰霊の日です。正午になりましたので黙祷を捧げましょう。黙祷」
その瞬間、『今、現在』という波が、青い空の遥か彼方に引いていくような感じがした。
残ったのは、驚くほどの静かな時間。
強烈な太陽を照り返してまぶしいぐらいのグランドと、雲がほとんどない青空で作られた空間は完全に時が止まっていた。
皆黙っていた。選手も観客も。
みんな、しずかに祈りを捧げている。
で、俺この時直感的に思った。
ああ、これが平和なんだって。
その時の感覚をどう表現すればいいのか、俺にはわからない。
でも、『慰霊の日』で、確かに感じたあの感覚。
『慰霊の日』はこの世に戦争がない、という意味での平和を実感する日であり、それが今後もつづく事を願う日でもあるんじゃないかと思った。
・・・・・・・・・・・・・・・
俺の意見をいろいろ書いてたんだけど、陳腐なのでやめました。
それとも、意見書くのから逃げてんのかな、おれ。
今年で戦後六十年。『慰霊の日』がなくなるってうわさ、本当なのかな・・・。戦争体験者が死んで、慰霊の日がなくなったら、沖縄の人々はいままでのように、過去の体験を振り返ることをするんだろうか・・
20050623204709.jpg

↑5年前の6月23日、沖縄にて。