那覇市の真ん中で助けてと叫んでいた友人の話

(頭の中では建物の無い新都心て↑な感じだったけど、あとで資料見たらぜんぜん違った)

僕が通っていた高校は、那覇市の天久開放地に建った最初の建物だった。今は那覇新都心として栄えているけれど、1987年までは米軍基地だった。基地縮小に伴って開放されたものの、1998年に僕ら一期生が入学するまでは、那覇市の真ん中にあるにもかかわらず、建物は1軒も建ってなかった。

道もほとんど整備されていなかった。広大な空き地には、東西に走る那覇中環状線の他、小さい道が数本走っている程度だった。当然バス停もなく、バスに乗るためにはわざわざ空き地の外にある大通りに出る必要があったが、学校からは非常に遠かった。空き地を学校まで一直線に突っ切ればさほど時間がかからないものの、わざわざ道沿いに行けば、「コ」の字を描いて大きく迂回をしてしまうことになり、30分以上も歩かなければならなかった。

高校一年のある日のこと。午後から突然大雨が降り出した。僕の友人でイケメンのYは自転車で登校していたので、困っていた。ずっと学校で待っていても雨はやみそうにない。傘も持っていなかったが、家からむかえを呼ぶわけにはいかないし明日の朝も自転車で登校したい。それで雨がちょっと小降りになったとき、大急ぎで帰ることにした。

Yと一緒に雨が上がるのを待っていたTも帰ることにした。彼はバス停まで歩かなければいけなかった。彼は小さい折りたたみ傘を持っていた。

それでTはYに、「傘に入れるから、一緒にバス停まで歩こうぜ」と提案した。Yは自転車なので当然バスに乗る必要はないのだが、バス停が通学路の途中にあったので、向かう方向は一緒だった。

ところがYは、それを拒否した。Tと一緒に歩くならば、ものすごい長い道をある歩かなければならなかったからだ。俺の自転車はオフロードでも走れる。だから、俺は空き地をショートカットでいくと言い出したのだ。彼はYに別れを告げると、自転車を空き地に向かって猛スピードで漕ぎ出した。

はじめの頃は快調だった。水たまりも走り抜け、草むらも通りこした。ところが、バス停のある国道330号線が見え始めたころ、再び大雨が降り出した。Tはスピードをあげて空き地の最後の部分に突っ込んでいった。これが大誤算だった。

そこは、ほかの地面と違うのか、ものすごく柔らかい泥がたまっていたのだ。たちまち自転車のタイヤが泥に捕われた。大急ぎで漕ぎまくったが、空回りしだし、ついに車体が傾いた。たまらず足をつくと、足首が泥にすっぽり埋まり、さらに手をついて、そこが肘まで埋まった。雨が更に激しさを増した。

あともう少しで大通りに出られるのに!

必死で自転車を押して通りまで歩こうとするが、泥がスポークの間にへばりつき、ペダルすら埋まって押しても前に進まない。そのため自転車を持ち上げなければいけなかった。彼は普段あまり運動していなかったが、歯を食いしばって持ち上げる。ところが自転車に付いた泥のせいでいつもよりだいぶ重くなっており、ついに尻餅をついた。これで足から腰までほとんどが泥に沈んだ。重たい泥を自転車を押しながら進んできたので、精も根も尽き果てた。きた道には、瀕死のカブトガニが残したような自転車を引きずった跡が伸び、雨に均されようとしていた。もう泣きそうになった。

そのとき、彼はバス停にTが歩いてくるのを見た。歩いた方が明らかに早かった。でもその事実を華麗にスルーして、彼は助けて!と叫んだ。

助けてくれー!!

Tは振り返った。あれはYじゃないか。あんなところで泥まみれで何やっているんだ。しかも助けてと叫んでいるぞ、この那覇市の真ん中で。

でも雨に濡れるのは嫌だ。ましてや泥まみれなんて。そのとき、向こうからバスがやってくるのが見えた。自分の乗るバスだ。これは乗らなきゃいけない。

Tは手を振ってバスに乗り込んだ。がんばれーと叫んだ。

Yだけが助けてと叫んでいた。

 


月を見に行きたい

1.
今年の夏は計画停電は無いみたいだ。それはすごくいいことだと思うし無いに越したことないんだけど、個人的にはちょっぴり寂しい。西千葉の街が計画停電で真っ暗になって、月のあかりを頼りに近所を散策した去年の春の夜が忘れられないからだ。信号も消えるので車の交通がほとんど無くなり、時々通る電車の音以外は、街から音が消えてしまった。普段は光が漏れている家々の窓も暗い洞窟の入り口のようで、唯一の光源は上弦に近い不完全な形の月のみ。青白く冷たい光が街を包み込んでいた。その美しさといったら!

2.
今は電気が溢れかえっていて、どこもかしこも明るい。でも、町中が暗くなることって、それ自体に価値があると思う。月のあかりは、田舎に行けば体験できるだろう。でも、それを町中で見ると、今まで見たこともないような新しい世界が現れる。でもその価値と言っても、完全にアートとしての価値だ。実際にやっちゃうと経済損失が半端ないから無理って話になるんだろう。防犯の問題もあるのかもしれない。でも、せめて15夜の夜ぐらいは「町中を1時間だけ電気を消す」みたいなイベントがあってもいい気がする。純粋に名月を月のひかりだけで楽しみたいな。この間見たスーパームーンも、町中で見てもなんの感動もなかった。

3.
話変わって、沖縄の離島に旅行に行く事があるのならば、満月か新月の日がおすすめです。満月の夜は、とにかく月が明るくて美しい。浜辺でお酒を飲みながら、はるか向こうまで青白く輝く海を眺めるのは格別です。逆に新月は月が全くない日。辺りは闇に包まれるけれど、その代わりに信じられないほどの星が見られます。浜辺に寝そべって空を見上げていると、星の海に吸い込まれそうになりますぜ。
どっちの夜も本当に美しくて胸を打つはず。夜を島の居酒屋で過ごすなんてもったいなさすぎる!
描いていてまた月を見に行きたくなった。


俺はビザを焼くぜッ!

何週間か前に千葉大の柏の葉キャンパスで、ピザパーティが開催された。それは園芸学部の方々が作られたピザの生地を、庭に設置された石釜で焼いて食べるというもの。うちの相方が研究でよく柏の葉キャンパスに通っていたということもあり、今回も誘ってもらえて凄く嬉しかった(いつもありがとうございます!)。今回西千葉から参加したのは、僕とゆやまんと、大学の研究室の後輩の早野くん。

毎回そうだけど、このパーティーで作ったピザは、本当に美味しい。新鮮な生地を直接石釜で焼くからか、生地はパリパリ、具はホカホカ。しかも参加者ひとりひとりが具をトッピングしていくので、いろんな味のピザが楽しめるのもたまらない。

でも、今回は他にも感動したことがあった。早野くんだ。

彼はどの角度から写真をとっても絵になる。今回そのことを改めて認識した。彼が石釜にピザを入れる時、カメラを向けると笑顔でポーズをとってくれたのだが、その笑顔がえらく安定していて素晴らしかった。被写体として百戦錬磨な笑顔だ。そして安定しているのは笑顔だけではない。ハンドボールで鍛えた全身の筋肉が、無駄のない動きと安定した体勢維持能力を生み出していた。ピザ用のヘラを持つさまは、一族から受け継いだ槍を持つ太古の戦士のようだ。今から焼かんとするピザを見せつけ、さあ撮れと言わんばかりだ。なんて豪胆な男なのだ。

と思いきや、彼はシャイだった。「そのポーズすごくいいよ!」と声をかけてあげると、何故かメガネのレンズが曇った。彼は恥ずかしくなるとメガネが曇るらしい。ちょっと恥ずかしい時は片方だけ、結構恥ずかしい時はレンズが二枚とも曇った。雨でメガネが曇りやすくなっていたということもあったが、どういう原理でそうなっているのかぜんぜん分からなかった。その可笑しさもさることながら、「彼は恥ずかしい気持ちをグッと堪えて、ここまで安定感のあるポーズを実現しているのか」思うと胸が熱くなってきた。気がつくと僕はすっかりファンになってしまった。

 


カフェで勝手に敗北した話

1.

今日はずーっと前に描いた年賀状をちょっとアレンジしたやつです。柄を見れば何年前に描いたのかバレてしまう。。今日の話とは全然関係ないけれど。

 

2.

先週の日曜日、新宿で飲み会があった。僕は別件で家を早めに出ていたため、2時間近くも前に新宿についてしまった。そこで、会場の近くにあるエクセルシオールで、ブログの記事でも書きながら時間を潰そうと思った。

そのカフェは2階もあるほど広いのに、物凄い人数の人がごった返していて、席は当然のように埋まっていた。10分ほど待って、ようやく隅っこに座ることができた。

隣に座っていたのは若いお兄さん二人組だった。ふたりとも、口ひげとあごひげをアクセント程度に生やしていて、いかにも爽やか系クリエイターですよと言わんばかりの服を着ていた。その「いかにも」が都会的に洗練されまくっていて、それに比べると僕の格好は田舎のイモだった。その二人がiPhoneを手に持ちつつiPadをいじくって会社の話をしている。

それでちょっと被るのは嫌だったんだけれども、飲み会の後にブログを描くのは大変だと思ったので、僕もカバンからiPadを取り出して、文章を書きだそうとした。すると。。

「こんなんだからノマドって言ってる連中はだめなんだよな」

僕の横に座っているお兄さんが言った。iPadをカバンから取り出そうとしていた手が凍りついた。

「あれでドヤ顔してる連中って人生なめてるよな」

ノマドといえば今はやりのノマドワーカーのことだ。会社や組織には属さず、自分で仕事を作ったりもらったりしている人たちだ。ネットの整備が整った今、オフィスをネット上に置くことが出来るようになった。だから時間や場所にとらわれずに仕事をすることができる。その様子をノマド(遊牧民)にたとえて、ノマドワーカーと呼ぶ。

でも、はじめから一人で働こうとすると、仕事のノウハウを他人から学ぶことができない。自分で動いて仕事を生み出せる人ならともかく、社外でふらついている半人前に仕事が回ってくることなんて無いし、もし仕事が回ってきたとしても中途半端な仕事をされたら迷惑だ、などといった批判もある。また、ノマドワーカーを高らかに謳う人たちの中には、会社という組織の中で働く人は古いと批判する人もおり、それが逆に反感を買っていて、最近ではノマドに対して否定的な人も多い。

僕は普段一人で家で作業をしているので、ノマドワーカーに近い。遊牧民とは違い、バッチリ家という場所に囚われてはいるけれど、組織に属さないという点では同じだ。

でも、僕はノマドワーカーというのは、別に特別でもなんでもなく、ただの自営業の一形式だと思っている。それは昔からあった仕事のジャンルなのだ。ネットが整備されたために昔には無かった形式が生まれてきたわけだけど、自営業という点では特別なことはなにもない。毎日一人で孤独だし、収入も安定していない。

だから、ノマドワーカーをしている人にとって「人生を舐める」ような要素なんて無い。結局は自分で必死にやらなきゃいけないんだ。

・・・とは思うけれども、それでもiPadを取り出す手が止まる。というのも、カフェでiPadをいじってタカタカ文章を打ち始めると、いかにもノマドっぽいな〜と思ったからだ。正直、こんな大混雑なカフェの中で「仕事してまっせ〜」と言わんばかりに文章を打つのは、猛烈にダサい。さらに都会っぽい人の横で田舎っぽい俺が並んでiPadを並べるなんてどうなの、という謎の比較をしだして、無意味に卑屈になる自分が出てきた。

ついさっきまでノマドは特別じゃないなんて考えていたのに、なんて矛盾。なんて愚か。

と、うだうだしだした瞬間「ま、いっか」と思い直した。別に自分のなかで一本筋通ってなくてもいいじゃないか。それで楽ならば。

ということでiPadを鞄にしまって、何もせずにカフェラテを飲みました。美味しかったです。都会の人にはかなわないっす☆

 

 

3.

ということで、今週もよろしくお願いします。

 

 

 


タヒチアンダンサー

今年の春、10年ぶりぐらいに会った彼女から、ダンスを本格的に学ぶためにタヒチに行くと聞いて仰天した。確か彼女はウェブデザインをしていて、その後もデザイン関係の仕事をしていたはずだった。ところが、ある日タヒチアンダンスの公演を見て、凄まじい衝撃を受けた。全国的にもかなり有名なタヒチアンダンサーだったそうだが、その動きに一気に心を奪われた。そして、次の瞬間には、自分の生きる道はこれだと確信を持ったそうだ。それからは仕事を辞め、タヒチアンダンス教室に入り、その道一筋できている。でも将来を考えると、ダンサーだけでなくその先生になりたいと思うようになった。そのためにはどうしてもタヒチに行く必要があった。そこで数ヶ月お金を貯めまくる。三重県の工場に行って、寝泊まりで。僕が那覇市の飲み屋で話を聞いたのが、ちょうど結婚式で工場生活の合間に戻ってきた時だった。
今は、本当にタヒチにいるらしい。
夢を追い虫を地で行く人だ。ほんとに凄い。そして勇気をもらえるよね。こんな人がいるから、僕も頑張れる。

 

今週もお疲れ様でした。つぎは日曜日の夜に。