宮良彩子のライブのフライヤー

 

宮良彩子のライブのフライヤーを作りましたよ!

宮良彩子オフィシャルウェブサイト:irodolco.com

彼女は高校の同級生。二十歳ごろから東京で音楽活動を続けていて、今まで2枚ほどアルバムを出しています。
実は彼女とは高校の時はあまり接点がなくて、初めて話したのがなんと去年の沖縄のビーチでのバーベキューのときでした。でも、話していてつい最近知り合ったとは思えないような、明るい親しみやすさが彼女にはあって、それが彼女の魅力なんだろうなあと感じます。

そんな彼女の魅力があふれる作品が次に出るニューアルバム「ミナミノヒ」。デモ音源を聞きながら作業をしていたんだけど、ゆったりしていて明るい気持ちになれますよ。

来る7月24日(火)、東京渋谷のgee-ge.で、そのニューアルバムの公開録音が行われます。
これはライブ形式の録音で、その音がそのままアルバムに収録されます。また、その様子の映像もDVD化されるとのこと。万が一上手く録音できなかったら録り直すこともあるらしいというちょっと変わったライブです。

ということで、7月24日(火)は皆で渋谷にライブを見に行きましょう!僕はもちろん行きますよ。

 

絵についてちょっと書きます。
今回は普段ブログで描いている南国テイストのイラストを初めて実戦で使ってみました。アルバム「ミナミノヒ」のコンセプト自体も南国的な要素が多分に含まれていて、ちょうど良かったというのもあります(さすが沖縄出身)。
でも、いざ紙に印刷するイラストを描こうとすると、気楽なブログより倍ぐらい時間がかかるね。そのおかげで予定が狂いまくって、結局火曜日はブログをお休みする形になっちゃいました。ようやく言い訳がかけた。

 

修正:宮良彩子のオフィシャルサイトへのリンクを張り忘れてました〜うおーごめん。。


ポートを散策

1.
この前の日曜日。ふと思いついて、蘇我まで自転車で走ってテルマエ・ロマエを見てきたけど結構良かった。
何が良かったかって、阿部寛の肉体美でもなく、まんが譲りのテンポのいいギャグでもなく、北村一輝!本編の中で多分10%程度も出てるか怪しいところだけど、僕の中では完全に彼が持って行ってしまった。彼を見るためだけでも見たほうがいいぞ!
ハッキリ言ってあんま出番ないし、脇役だったけれども、彼の演技はダントツで良かったと思う。いや、僕は演技のことなんかよくわからないけれど、ただ、北村一樹ほどどんなクセモノな役に対しても、カメレオンのようにその役柄にあった自然な演技が出来る人っていただろうか?
いままで木村拓哉みたいな、どの役でも素の自分を出す意味での「自然な」演技の人は見たことがあるけど、北村一樹の場合は多重人格に見える。あの濃ゆい顔で、役柄も変幻自在で、俺もう超大好きです。
この映画の中では、阿部寛が申し出を断った瞬間の、北村一輝の演技を見て欲しいな。彼の周りの空気が変わります。それに鳥肌が立つほど感動してしまった。映画の本筋の中ではなんでもないシーンなんだけれども。

2.
その帰り、蘇我の海辺を散策した。魚が見たくて海面を凝視したけど、水が黒くて海中の様子がほとんど見えなかった。それでも時々ミズクラゲが浮かび上がってきて、それを見ているだけで満足。どんなところにも生物はいる。


猫の新生活

実家で10年以上前から猫を飼っている。名前は「ショウタ」。以前は名前を考えるのがめんどくさくてそのまま「にゃんこ」と呼んでいたけれど、5年ぐらい前から諸事情で改名した。
ショウタは嵐の夜に、実家の縁側に迷い込んできた。その時はまだ子猫で、全身がずぶ濡れで、尻尾の先を骨折し、寒そうにブルブル震えていた。この子猫に激しく同情した弟が、そのまま家で飼いたいと言い出した。初めは両親(特に母)が難色を示していたが、結局弟が母を説得した。
あれから10年。今では人間で言えば50代の立派なおっさんな猫である。両親は共に猫を溺愛していたが、逆に弟は猫アレルギーになって触れなくなってしまった。

この猫は非常に自由気ままで、しかもクールだ。甘える声などめったに出さない。そして、人間である僕らに平気で「指示」を出す。例えば、なにか作業をしている時、足にまとわりついてきたとする。それは大抵「ついてこい」という意味だ。それで席を立つと、ショウタはツアーガイドの旗のように先の曲がった尻尾をピンと立てながら玄関まで歩いていき、ドアの前にちょこんと座って、ドアノブをじっとみる。そして次に僕を見る。「開けろ」といっているのだ。それで僕が開けてあげると、こちらが早く出ろと蹴りたくなるぐらいにのんびりした動きで外に出ていく。

僕は長い間、ショウタには家族の一員であるという意識は殆ど無いと思っていた。というのも、家は彼にとって寝床であり、飯を食うところだったからだ。僕には指示を出すものの、特に甘えてこようともしない。我が家はただの住処であり、家族のメンバーは便利な召使いとしか考えてないんだろうと思っていた。

ところが、どうもそうじゃないらしい。

というのも、数年前から母だけには抱っこしてもらったり膝の上で寝たりするようになってきたのだ。以前は人に抱かられるのを嫌がっていたのに、どこかで猫なりの心境の変化があったようだ。あんなにクールな猫もようやく親愛の情的なものを持ち始めたらしい。

でも、親父と僕には相変わらず甘えてこなかった。親父も母と同じぐらい猫を溺愛しているので、ショウタを見ては抱き上げて無理やり抱っこしたり膝の上に座らせたりするんだけど、いかんせん力が強すぎるのか、猫は毎回決まって嫌がり、おやじのウデをすり抜け、玄関先に走っていく。ショウタが抱く親愛の情は、あくまでも母に対してだけのものらしい。

最近では母を陽の当たる縁側まで誘い出し、そこでゴロンと横になって、毛をブラシで梳いてほしいとねだるようになった。また、先に寝室に入って、一緒に寝ようと甘い声で呼ぶようになった。あんなに鳴かない猫だったのに!ふてぶてしいオッサン猫である。母を独占したいらしい。
ところが、最近天敵が現れた。もう一匹、若い猫がやってきたのだ。

毛の茶色いオス猫で、体は大きいもののまだまだ子供らしくとてもヤンチャだった。この猫もいつの間にか縁側に出現するようになり、両親を見つけては体を擦りつけて甘えてきた。まるで飼って飼ってと懇願するかのようだった。

二匹も同時に猫は飼えないと両親は困っていたが、家の外に出るたびに足にまとわりついてきたので、とうとう根負けして飼うことになった。でも元気のいい猫だったので家の中には入れず、ベランダに寝床を作り、餌を与える皿を置いてそこで飼うことにした。名前を「茶々丸」となずけた。
ところが、ショウタとしてはこれがちょっとおもしろくないらしい。特に母が茶々丸を抱っこするのを見ると、激しく怒りだす。それはどう見てもおっさんの嫉妬だった。それで困って母はショウタの前では茶々丸を抱かないことにした。そのかわりに茶々丸は親父にもよく抱っこされる。ショウタと違って親父が苦手ではないようだ。これに親父が歓喜して、毎晩太い腕で茶々丸を可愛がるようになった。ここに、ショウタと茶々丸の住み分けができた。ショウタは母担当、茶々丸は父担当だ。

 

こうして、実家に新しいメンバーが加わった。
二匹ならんでベランダで寝ていることもあるらしいけど、そこには古株と新参者の微妙な距離感があるのだそうだ。2匹の間には喧嘩こそ起きないものの、妙な緊張感が走っている。ショウタはいつ母を茶々丸に取られるのかビクビクしているのかもしれない。茶々丸は茶々丸で、なんとかショウタ先輩と仲良くなりたいと、そのチャンスを伺っているかのようだ。
そしてそんなことを気にせず笑う両親。

猫の新生活は続く。


恐竜の骨

何かのインタビューで、ITジャーナリストの佐々木俊尚が、新聞記者時代に担当した東電OL殺人事件についてこんなことを語っていた。

「被害者のエリート社員である女性が、なぜ夜だけ売春をしていたのか、どんなに取材を重ねても結局最後まで理解することができなかった。でも、桐野夏生の小説『グロテスク』を読むと、なんとなくOLの心情を理解することができて、そのことに衝撃を受けた。」

東電OLの事件にしても、過去に起きた事件はどんなに証拠が残っていても、被害者が何を考えて行動したのか知ることはできない。こちらが勝手に想像するだけだ。この場合小説がその心情を把握するためのヒントとなっていた。もちろん、小説はフィクションであり、事実ではない。結局は想像することしかできない。そしてそれは個人的なことだ。でも、そうすることで、被害者の心に少しでも近づくことはできる。で、それってすごい大切なことだよなーって思う。

なんでこんなことを書いているかというと、ツイッターのタイムラインにときどき戦争についての議論が流れてくるんだけど、その中で「〜との証言はあるが、その証拠はない」と書かれている時がある。この姿勢は学術的には正しいと思う。でも、戦争だとか歴史には、特に民衆が体験した出来事など、後世に証拠として残らないようなこともたくさんある。これらを無視する姿勢の人に対してはやっぱり違和感が残る。戦争の数字や記録と違って、民衆の体験には想像でしか近づくことができない。でも、そういうところにも、過去の出来事を知る価値が潜んでいるんだと思う。

例えばアンネの日記。あれは民衆の記録が残ったレアな事例だ。でもそのおかげで、当時の人々の感性が今に生きる人達とほとんど変わらず、だからこそ同情もできるし、現代の人からも当時の人々の気持ちを想像できるということがわかる。

声にならない民衆の体験は、時間の流れとともに風化して溶けて、流れていってしまう。残るのは証拠の一部だけ。それはまるで恐竜の化石のようだ。恐竜が死ぬと肉は腐り、骨だけが残る。だから現代人は骨しか目にすることができない。でも、僕たちは骨だけを見ても、恐竜がどういう生き物だったかはわからない。

だから、僕たちは今生きている生き物をヒントに、恐竜の骨に肉付けしていく。つまり想像する。そうして始めて恐竜がどういう生き物だったのかを理解することが出来る。

それと同じで、戦争の証拠を元に、残らなかった民衆の悲劇や体験の想像を積み重ねることで、戦争を捉え直す事ができると思う。そのヒントは現代の人間性だったり、映画だったり小説だったりする場合もある。これは学問である恐竜と違って、とても個人的なことだ。でも、自分の中で、過去の戦争をただのデータとして理解しようとするのではなく、自分の全感覚を動員してより深く体験しようとすることは戦争を体験していない僕らには必要だと思う。

 

今、戦争の証拠を恐竜の骨に例えたけど、これは普段のニュースでも言えることだ。ニュースという「骨」。報道は中立を謳うから、基本的にその部分しか伝えない。

東日本大震災のとき、ビートたけしが、雑誌のインタビューでこう言っていた。

「数字じゃない。この大震災で死者は1万人、もしかしたら 2万人を超えてしまうかもしれない。でも『1万人』『2万人』と一括りにして考えてしまうと、被災者のことを全く理解できなくなっちゃうよ。それぞれにそれぞれの 悲しみがある。個人にとっては家族や身内が死ぬことの方がつらい。その 悲しみが1万人、2万人分あるってことなんだ。そう考えれば重さがわかるだろ」。

「2万人」という数字はただの数字でしか無い。つまりそれは恐竜の骨だ。この数字は、日本の歴史が続く限りずっと後世まで残るだろう。でも、「肉」である死んでいったひとりひとりの記憶は、歴史の中で風化していくだろう。「2万人が死んだ」という冷たい事実しか記録されない。

「2万人」という括りを、「悲しみが2万人分」と捉えることで、亡くなったひとりひとりを僕らは想像する。そうすることで、当事者ではない僕達も、あの出来事を生きた災害として捉え直すができると思う。遠いところにいたとしても、本を読んだり、話を聞いたりして、なんとかヒントを得て想像することが出来る。たとえそれが現実とは比べ物にならないほど甘っちょろいものだったとしても、意味は絶対あると思う。

 

世の中が複雑になりすぎていろんなニュースがあるけど、それにはもともと、さまざまな肉がついていた。僕はそれらを想像して一喜一憂していきたいなと思う。ニュースという骨に肉付けをしていきたい。想像して、どうしてこうなったのか、できるだけ正確に理解するようにしたい。想像力を持っている人がどんどん増えていって、お互いを理解し合おうとする人が増えていくと、世の中ももう少しマシな世界になる気がする。

 

というわけで、今週もどうぞよろしくお願いします。もう7月ですね。本格的な夏到来。

皆様もいい一週間になりますように。