恐竜の骨

何かのインタビューで、ITジャーナリストの佐々木俊尚が、新聞記者時代に担当した東電OL殺人事件についてこんなことを語っていた。

「被害者のエリート社員である女性が、なぜ夜だけ売春をしていたのか、どんなに取材を重ねても結局最後まで理解することができなかった。でも、桐野夏生の小説『グロテスク』を読むと、なんとなくOLの心情を理解することができて、そのことに衝撃を受けた。」

東電OLの事件にしても、過去に起きた事件はどんなに証拠が残っていても、被害者が何を考えて行動したのか知ることはできない。こちらが勝手に想像するだけだ。この場合小説がその心情を把握するためのヒントとなっていた。もちろん、小説はフィクションであり、事実ではない。結局は想像することしかできない。そしてそれは個人的なことだ。でも、そうすることで、被害者の心に少しでも近づくことはできる。で、それってすごい大切なことだよなーって思う。

なんでこんなことを書いているかというと、ツイッターのタイムラインにときどき戦争についての議論が流れてくるんだけど、その中で「〜との証言はあるが、その証拠はない」と書かれている時がある。この姿勢は学術的には正しいと思う。でも、戦争だとか歴史には、特に民衆が体験した出来事など、後世に証拠として残らないようなこともたくさんある。これらを無視する姿勢の人に対してはやっぱり違和感が残る。戦争の数字や記録と違って、民衆の体験には想像でしか近づくことができない。でも、そういうところにも、過去の出来事を知る価値が潜んでいるんだと思う。

例えばアンネの日記。あれは民衆の記録が残ったレアな事例だ。でもそのおかげで、当時の人々の感性が今に生きる人達とほとんど変わらず、だからこそ同情もできるし、現代の人からも当時の人々の気持ちを想像できるということがわかる。

声にならない民衆の体験は、時間の流れとともに風化して溶けて、流れていってしまう。残るのは証拠の一部だけ。それはまるで恐竜の化石のようだ。恐竜が死ぬと肉は腐り、骨だけが残る。だから現代人は骨しか目にすることができない。でも、僕たちは骨だけを見ても、恐竜がどういう生き物だったかはわからない。

だから、僕たちは今生きている生き物をヒントに、恐竜の骨に肉付けしていく。つまり想像する。そうして始めて恐竜がどういう生き物だったのかを理解することが出来る。

それと同じで、戦争の証拠を元に、残らなかった民衆の悲劇や体験の想像を積み重ねることで、戦争を捉え直す事ができると思う。そのヒントは現代の人間性だったり、映画だったり小説だったりする場合もある。これは学問である恐竜と違って、とても個人的なことだ。でも、自分の中で、過去の戦争をただのデータとして理解しようとするのではなく、自分の全感覚を動員してより深く体験しようとすることは戦争を体験していない僕らには必要だと思う。

 

今、戦争の証拠を恐竜の骨に例えたけど、これは普段のニュースでも言えることだ。ニュースという「骨」。報道は中立を謳うから、基本的にその部分しか伝えない。

東日本大震災のとき、ビートたけしが、雑誌のインタビューでこう言っていた。

「数字じゃない。この大震災で死者は1万人、もしかしたら 2万人を超えてしまうかもしれない。でも『1万人』『2万人』と一括りにして考えてしまうと、被災者のことを全く理解できなくなっちゃうよ。それぞれにそれぞれの 悲しみがある。個人にとっては家族や身内が死ぬことの方がつらい。その 悲しみが1万人、2万人分あるってことなんだ。そう考えれば重さがわかるだろ」。

「2万人」という数字はただの数字でしか無い。つまりそれは恐竜の骨だ。この数字は、日本の歴史が続く限りずっと後世まで残るだろう。でも、「肉」である死んでいったひとりひとりの記憶は、歴史の中で風化していくだろう。「2万人が死んだ」という冷たい事実しか記録されない。

「2万人」という括りを、「悲しみが2万人分」と捉えることで、亡くなったひとりひとりを僕らは想像する。そうすることで、当事者ではない僕達も、あの出来事を生きた災害として捉え直すができると思う。遠いところにいたとしても、本を読んだり、話を聞いたりして、なんとかヒントを得て想像することが出来る。たとえそれが現実とは比べ物にならないほど甘っちょろいものだったとしても、意味は絶対あると思う。

 

世の中が複雑になりすぎていろんなニュースがあるけど、それにはもともと、さまざまな肉がついていた。僕はそれらを想像して一喜一憂していきたいなと思う。ニュースという骨に肉付けをしていきたい。想像して、どうしてこうなったのか、できるだけ正確に理解するようにしたい。想像力を持っている人がどんどん増えていって、お互いを理解し合おうとする人が増えていくと、世の中ももう少しマシな世界になる気がする。

 

というわけで、今週もどうぞよろしくお願いします。もう7月ですね。本格的な夏到来。

皆様もいい一週間になりますように。


卒業文集

1.

今日も諸事情で過去の作品を。これは文部科学省で研修を受けた国立大学法人の有志の人たちが作った研修記録「卒業文集」の表紙です。この絵自体は昨年の2月ごろに描いたのですが、文集自体は今年の3月で完成しました。かなりかなり初期のころの作品のため、当時受けていた中村佑介(バンドASIAN KANG-FU GENERATION ののCDのイラストレーター)の影響をもろに感じさせる作品になってます。

当時文科省が携わっている作品を調べあげ、いろんな要素を詰め込みました。

 

2.

今週もこのサイトに来てくれて有難うございました。またつぎ日曜日の夜(深夜になるかも)に更新したいと思います。来週もよろしくね。


無人島のヤギ

中学校の時、慶良間諸島の一つの安室島という無人島に、4日ほど泊まったことがある。
何かの団体の一員として(なんの集団だったか忘れた)遊びに行ったんだけど、そこまでは近くの島からボートで渡って上陸した。島の周囲はサンゴのリーフで囲まれ、場所によっては砂浜もあった。干潮時にリーフに遊びに行くと、潮が引いて露出したリーフの水たまりに、1メートルもあるウツボや、40センチほどもあるブダイ、タコなどが取り残されていて、それをモリで仕留めて食べた。

島には他にヒメハブという毒蛇が住んでいて、ヤギもいると聞いた。僕はなぜか、野生のヤギをどうしても見たくなった。

ところが、島を一周しても、キャンプ地近くの森を散策しても、結局ヤギは見つからなかった。島に来て3日目になり、野生のヤギがこの小さい島にいる事自体が次第に怪しく感じられるようになった。

島にはちょうど真ん中に小高い丘がある。3日めの午後、その頂上に登ろうということになった。高さは100メートルもいかなかった気がする。でも、形的にも存在感的にも、この島の中では十分「山」だった。もちろん頂上までの道はない。僕らは、お生い茂るアダンの枝をのこぎりで切りながら、頂上を目指した。アダンの枝はグニャグニャと絡み合っていて、それを切るのになかなか時間がかかる。葉にもノコギリのようなギザギザがついていて、急ぐと危険だ。

上り始めて3時間ほどで、ようやくアダンの群生を抜け、大きな岩をよじ登り、頂上に到達した。山頂からは、東シナ海に沈む夕日と、島を取り囲む慶良間の島々がポツポツと見えた。東の空には巨大な入道雲がそびえており、夕日に照らされて真っ赤になっていた。

そのとき、僕は足元を見て驚いた。そこには、茶色い土のようなコロコロとした糞が。

ヤギは確かに島にいた。お釈迦様の手のひらを飛んでいた気分になった。


ブーゲンビリアの生垣

1.

今日は僕が超好きな映画ですが、頑張ったのに登場人物がまっったく似なかったので、映画のタイトルは教えません(うそです、『ナビィの恋』です)

本土ではあまり知名度は無いかもだけど、沖縄では公開当時県内のタイタニックの興行収入を超えるヒットを記録した映画です。ちなみに元首相の小渕恵三もこの映画の大ファンで、監督と対談したこともあるのだとか。監督は中江裕司。

この映画の何がいいかって、物語もあるようでないような感じだし、唐突に沖縄の民謡を劇中の登場人物が歌い出したりして、初めて見た人にはついていきづらいところもあるだろうけれど、映画全編の空気が物凄く良くて、何度も何度も見てしまう。

今日この絵を描くためにネットの画像を漁っていたら、映画のラストのシーンの画像を見つけて悶絶死しそうになった。また見たいな〜。

2.

南国を描いていて思うのは、南の島は日差しが強いので明暗のコントラストが強い。ここに、「明」と「暗」の魅力がある。日差しの強い楽園。でも、その葉の陰には、過去の戦争で死んだ人の骨が埋まる。「明るいところこそ影も濃い」とは言うけれど、その極端な振れ幅に南国というテーマの可能性があるんでないかと最近感じてます。

かなり個人的な文章だな。。


少年の世界

小学生の時は、世界はどこまでも広くて、いつか世界中を旅したいと思っていた。

家の近所の公園の滑り台から見える海を見て、その向うにはなにがあるのかと、テレビや教科書で知ってるくせにアホみたいにぼんやり思っていた。

砂漠にはなにがある?洞窟にはなにがある?密林の中には?古代の遺跡の中には?この世のありとあらゆる全てをこの目で見たいと思っていた。

でも、大人になるに従って、世界は、小学生の時に想像していたよりは、少々退屈な場所だと理解するようになる。世界は人工衛星でくまなく調べられ、誰にも見つかっていない島など無いし、前人未到の森など殆ど無い。時々見つかる新種の動物といえば小さい虫ぐらいだし、不思議なものもあらかた発見されてしまった。そしてそれらは、パソコンのキーボードをちょこっと叩けば、画面に出てくるようになる。

今や僕も四六時中狭い部屋で一人、机に向かって絵を描いている始末。世界もなにもあったもんじゃない。

それでも、Facebookで中学の友人の息子の写真を見た時、忘れかけていた世界は広いと信じている自分を思い出して感動してしまった。もうだいぶ昔の話だけど、僕にも確かにその時期があった。

首里城の城壁に立って世界を見渡す息子の背中を見ながら、友人は父親として何を思ったのだろうと想像しながら描いた。子供のいない僕にはその領域はわからない。
僕だったら息子になんというだろうか。
僕は結局世界を旅してないから、息子に本当の意味で「世界は広い」とは伝えられない。でも「お前が行って見てこい」とは言える。きっとそういうと思う。