夏のサンバ

1.
シャンシャンシャン!夏が来た!ゾイ!

 

2.

この絵は一昨年前に暑中見舞として描いたものです。まだ公開していなかったのでアップ。
右が兄、左が弟という設定です。

兄の口癖は「どうしようどうしよう」

弟の口癖は「もうだめだから諦めろ」

です。

 

3.

たとえば2つ並んでいる何かを説明する文章を書く時、「右は〇〇、左は〇〇」というふうに右から説明しますか?それとも左から説明しますか?

僕は語感的に「右」から説明したくなるタイプ。でもいざそれを文章にした時、「右」から説明すると、文の並び的には左側に「右」という漢字が来るので物凄く気持ち悪い。ならば「左」から説明すればいいんだろうけど、音読すると語感的に気持ち悪い。これは日本語の欠点の一つだと勝手に思ってる。

上の兄弟の説明の場合、絵の中では兄は右側にいるのに、文の並び的には弟の左側に書かれているので、ややこしい。


金曜日のデモを見て思うこと

 

先週金曜日のツイッターのタイムラインに原発再稼働反対デモの情報が流れてきた。主催者の発表によれば21時の時点で4万5千人も参加していたらしい。知人も数名参加していて、その場の写真もタイムラインに載って伝わってきた(のちの警察発表では1万人とのこと)。写真に写っている人たちはみな思い思いに原発に反対する意思を表現していた。少なくとも内閣の遺影を持っているような人はいなくて、真摯な気持ちで訴えているように僕には思えた。僕はそれを見て悲しくなった。

僕はその時、1995年の9月に起きた沖縄の少女暴行事件を思い出していた。当時12歳だった女の子が、若い米兵3名に手足を縛られて監禁され、海辺で性的暴行を受けたのだ。
数々の証拠から、警察は海兵隊が関与していることは間違いないとし、逮捕状を請求した。ところが、そこに日米地位協定が立ちはだかる。
それによると、被疑者がアメリカ兵の場合、その身柄がアメリカ側の手中にあるとき、起訴されるまではアメリカが被疑者の拘禁を引き続き行うとのことだった。つまり、事実上は米軍が犯罪を犯してもアメリカに保護されるわけで、逮捕状が発行されても、アメリカ兵を逮捕して取り調べを行うことができないのだ。

これで県民の怒りは一気に爆発した。それまで溜まりに溜まった基地に対する不満が、一気に吹き出し、島を覆いつくした。僕は当時中学生だったが、学校の先生(なぜか音楽の先生の怒りが半端無かった)や周りの大人達の反応から、その空気をひしひしと感じた。

そしてそれは、同年10月21日にかつてない規模の反基地デモへと発展した。当時の知事である大田昌秀も参加し、主催者発表によると、参加者は8万5千人にも達した。みんな米軍基地の整理・縮小、日米地位協定の見直しを叫び、知事も政府に対し強くその実行を迫った。そしてデモが終了しても、沖縄の反基地感情はものすごい勢いだった。

その結果、翌年、当時の橋本首相が、記者会見で、普天間基地を5年〜7年で全面返還することを約束した。また米軍基地の縮小などの方向性も示された。

でも、17年以上たった今、沖縄はどうなったのか。

日米地位協定も、「改正」こそできなかったものの「改善」はされた。そのため、米軍が犯罪を犯した時、米軍の「好意的な考慮」によって日本側に引き渡されるようになった。
でも、未だに普天間基地は存在するし、基地をとりまく沖縄の現状はほとんど変わっていない。そのかわり、政府から多額のお金が沖縄に入るようになった。事実上の基地の見舞金だ。沖縄はその金に溺れ、未だに経済的自立ができていない。結局はほとんどなにも変わっていないどころか、もっとダメになった。

この一連の時期とともに成長してきた僕が学んだこと、それは「デモで大声を出しても、根本はほとんどなにも変わらない」ということ。

島に住む人達のうち8万5千人が集まっても、なにも変わらないのだ。ただ叫んでも意味は無いのだ。

沖縄の人にとって、基地は生活に関わる大問題だった。でもそれは、「日本国の国益」を考える人たちにとってはただの現地のわがままにしか映らなかったのだ。あの日の8万5千人の情熱は、結局一定の譲歩(のようなもの)とお金を渡せばいいと思われたのだ。情けない話だけど、沖縄はそのお金を受け取った。本土復帰前から本土との経済格差がものすごい差になっていたのだからしかたない話なのかもしれない。

僕は将来的には脱原発派だけど、本当に夏の電力が足りなくて経済がいっそう悪くなるのなら、一時的な再稼働もしょうがないんじゃないかと思っている。だから何が何でも再稼働反対って人には必ずしも全面的に共感するわけではない。それに一番の反原発の行為は、代替エネルギーの開発だと思ってる。僕にはそれは無理だけど、たとえばそれを使った商品に金を払うなどとといった支援の仕方は出来るんじゃないかと思っている。だから反原発のアピールはデモが一番だとも思わない。

それでもその人達のデモでの情熱は、(礼儀正しい抗議である限り)観ていて共感してしまう。沖縄のあの日のデモを思い出すからだ。でもそれだけに悲しくなってしまう。僕は沖縄のデモの結果とともに成長してきて、政府への抗議行動に対して無力感を植え付けられて生きてきた。沖縄の同世代にもそういう人は多いと思う。

これ以上民衆の声が届かないという無力感を国民に植え付けないでほしい。再稼働するならば、ちゃんとした説明を国民に対して欲しい。
本当に道を踏み外しそうになる時も、民衆の声をちゃんと聞いてくれるような政府であって欲しい。

随分自分勝手だけどそんなことを思いました。


2次会の二人

1.

今日は3月に結婚した二人の2次会のハイライトです。昨日奥さんの方から「たまごクラブ買ったよ〜」と報告を頂いたので、描きました。今後に期待してまっせ!

 

2.

今週もお疲れ様でした。つぎは日曜日に更新します。

 

 

 


ズンのウェルカムボード

今日はこの間のズンの結婚式のウェルカムボードです。

本番で飾られている様子を取り忘れてしまったため、わざわざズンに写真を撮ってもらいました。ズンありがとね。

二人と打ち合わせしていたら、なんと紅型が好きだというので、二人の周りに配置してます。紅型の模様も独特なものが多くてとても綺麗で、なんとか僕のイラストにも取り入れられないかなと思っているんだけど、なかなか難しいですね。何度もなぞりながら、どういう形が紅型たらしめているのか本質的なところを追求して、南を描いているシリーズに反映させていけば、もっと絵にオリジナリティが出てくるんじゃないかなと感じてるんですが、まだ先の話になりそう。


住宅開発地で一晩過ごした話

3年前の10月の金曜日の夜。会社帰りに先輩に居酒屋に連れてって貰い、半蔵門で酒を飲んだ。日頃のストレスで非常に疲れていたので、たった数杯ビールを飲んだだけで出来上がってしまった。

終電間際になってお開きとなり、僕はほろ酔い気分で千葉への帰途についた。一時間半後には着いているはずだった。

ところが実際には、僕は見知らぬ駅に立っていた。新しい駅だったが、終電だったためか人が殆どおらず、駅の周囲も闇に包まれていた。僕は東西線を西船橋で寝過ごして、東葉勝田台方面に何駅も来てしまったのだ。

財布の中身を見ると、1000円札が一枚しか無い。携帯電話の電源も残り僅か。これではタクシーには乗れない。僕は駅を出た。すると背後でシャッターが閉まった。シャッターもピカピカで、改めて見ると本当に真新しい駅だった。でも、周りは真っ暗闇だった。そこで、お金を下ろせるコンビニが見つかるまで散歩することにした。そして分かった。
このあたりは新興住宅の建設予定地だったのだ。

駅は、その新興住宅に合わせて作られていた。でも住宅地の開発が遅れているのか、周りにあるのはだだっ広い空き地で、家は殆ど無かった。さらにその予定地の周囲は林で囲まれており、さらに遥か向こうに市街地の明かりが見えた。この新興住宅は市街地から離れた閑静な住処をウリにしているのかもしれない。

広大な空き地の目の前に、コンビニを見つけた。周りに建物が殆ど無いのに、コンビニの明かりだけが煌々と輝いている。どうやら住宅街からの集客を見越して建てたものの、大幅なフライングをしてしまったらしい。取り敢えずお金を下ろせると一安心だった。

ところが。

肝心のATMが取引時間を過ぎてしまい、お金が下ろせないということが分かった。どんなにカードを突っ込んでも吐き出されてしまう。それは何度やっても結果は同じだった。
財布の中の1000円は何度見ても1000円で、10000円にはならなかった。だからタクシーは諦めることにした。すでにケータイも事切れていた。こうなったら千葉まで帰るのは諦めて、どこか市街地まで歩くしか無い。

でも、外に出てみると、市街地は遥か向うにあって、あそこまでいったいいくらあるのか見当もつかなかった。そして、僕の体力も限界に近かった。眠気で視界はかすみ、足の裏も一面が血豆になったかのようだった。

時計を見た。すでに2時を回っていた。眠くて当然だ。
いやまて。ということは始発が5時だとすると、3時間我慢すればよい。どこかで3時間潰せばいいんじゃないのか?

ということで、市街地まで行くのは諦め、野宿することにした。

さすがにコンビニの横で寝るのはまずいので、せっかくだからと新興住宅の建設予定地に入っていった。そこでまばらに草が生えているところを見つけ、そのへんで拾ったダンボールを敷いてゴロンと横になる。

するとからだが冷えてきた。10月の夜は冷える。野宿するにはかなり寒い。
それでも頑張って上着にくるまり、目をつむる。すると今度は小雨まで降りだしてきた。そしてそれは本降りに発展した。コレはもう耐え切れない。

コンビニに戻った頃には体がガチガチに震えていた。時計を見るとまだ2時半で30分しか経っていない。

これでは外で眠れない。コンビニで雑誌でも読んで朝を迎えようか。でも、もう眠すぎて、立っているだけでつらい状態だった。
そこで、苦肉の策として、上下別売のかっぱを購入した。そして、闘莉王が大見出しになっている新聞紙をありったけ買い込んだ。コンビニの外に出てかっぱを着る。そして、かっぱの中に、すべての新聞紙をねじ込んだ。
すると、透明のかっぱに新聞が透けて見える状態になった。僕の全身が闘莉王まみれになった。ひどい格好だ。

でも、これは大正解だった。かっぱの気密性に、新聞紙が加わって、保温性が抜群だった。
僕は再びさっきの新興住宅地まで行き、ダンボールに横たわった。雨が降っていたが、かっぱが僕を守ってくれた。でも雨は長くは続かなかった。雲もやがて薄くなり、ついに雲の切れ目から月が覗いた。ずっと曇っていたのでぜんぜん気が付かなかったが、その日は満月だったのだ。

視界全体に一切人工物が入り込まず、ただ、月の輝く空だけが広がっていた。千葉でもこういう光景が見えるのかと感動した。

結局ほとんど眠れないまま朝を迎えたが、月を見ながら一晩過ごす経験は悪くなかった。
でも東葉勝田台トラップにはもう二度とかかりたくない。