嵐を待っていた

東京アメッシュっていうサイトがあって、これは関東の雨雲の様子が五分ごとにわかるようになっている。

今年の春、僕が家で作業中、横浜でゴルフボール大の雹が降ったとツイッター上で大騒ぎになった。それでアメッシュを見てみると、真っ赤な雲の塊が神奈川上空を覆っていていた。サイトを見てもらえばわかるが、赤は「猛烈な雨」を意味する。正直、こんな火のような雲は見たことがなかった。しかも、それが徐々に東に向かってくる。このまま東に行くと千葉に直撃だ。
次第にツイッターでは東京にいる方が「凄まじい土砂降りだ」と騒ぎ出した。しばらくすると雨雲の最前線が東京湾上空にさしかかり、さらに5分経つと市川に住んでいるひとが「雹だー!!」と騒ぎ出した。
それでいよいよ千葉にも来ると思い、なぜか興奮して、胸が一杯になった。雹が降るなんて、危険すぎるだろ!とひとりごとを言いながら、いてもたってもいられなくて、部屋の中をウロウロして、指を折りながら危険なポイントを列挙したりした。そして窓際に膝をつき、嵐がくるのを今か今かと身構えていた。
すると次第に空が黒くなった。そして風も強くなった。そして。。そして。。

風が次第に弱くなり、やがてやんだ。空も次第に明るくなってきた。

アメッシュを見ると、雨雲は見事に千葉県の北西部を通過して茨城を真っ赤に染めていた。

こんな肩透かしはいらないです。

 

ということで、今週もお疲れ様でした。
つぎは日曜日。の深夜。来週もどうぞよろしくお願いします。


坂口恭平のぷちファンになった / ツイッターで人間関係に悶える

1.

最近ボクの中でも坂口恭平が熱くなりつつある。ちょっと前に「独立国家のつくりかた」っていう危ないタイトルの本を講談社の新書で出しているんだけど、これが、めっちゃくちゃおもしろい。といってもまだ50ページほど残っているからこの人はどうだ、とは言えないけど、とりあえず、右とか左といった政治の話ではない。そうではなくて、生き方の話。

この人は大学の時、あるホームレスと出会った。その人は、ゴミをいろんな形で再利用して、素晴らしい家を作り上げていた。ただダンボールを組み合わせるのではなく、ソーラーパネルを取り付けて発電もできるし、防犯設備の整った窓も自作で取り付けていた。これはもはや立派な家と言えた。さらに水とトイレは近所の公演で済ませ、風呂は週に一度銭湯へ。ほぼ0円で、日々を普通に生活している。その事実に衝撃を受け、家とは何か、お金とは何か、と考えるようになった。

今の世の中の常識を疑って、徹底的に考える。それが坂口恭平の最大の魅力だ。自分独自の経済も考えだし、家のあり方、お金のあり方、国のあり方、そして人生のあり方、いろんなことを一から考えなおして、実践に移す。読んでいていちいち、目からウロコ。こんな人がいるのかと衝撃を受けて、目がうるうるするほどだった。もうすでにファン。今後どうなるのかすごく楽しみ。

2.
全然関係ないけど、最近ツイッターを見てて、人と人の関係性を感じて興奮することが多い。例えばお笑い芸人の水道橋博士をフォローしているんだけど、彼がものすごい坂口恭平のファンらしい。ツイッターの中で、彼のことを天才だ狂人だと言って、何度もつぶやいている。水道橋博士の方がぜんぜん歳上なのに、この熱心なファンっぷりを見るのがなぜか気持ちいい。そういえば彼はビートたけしを崇拝して追っかけをしたのが芸人になるきっかけとなった。同じ匂いを感じているのかと思うと胸が熱くなる。

同じく興奮してしまう関係が橋下市長と経済学者の池田信夫(二人の主張していることが好きか嫌いかは別にして)。二人は原発問題や消費税増税問題で凄まじいバトルをツイッター上で繰り広げてものすごかったけど、初めは全否定だった橋下市長がある段階から池田さんを認める発言をし始め、池田信夫の方も普段は皮肉を言っているくせに、ところどころで「でも応援してる」的な発言を挟み込んでくるので、うおおお!!となる。「ツンデレとはこういうことか!」と叫びたくなるね。あるいは殴り合いの後に「おめーつえーじゃん」と言い合う番長のような。べつにBLファンじゃあないよ。

 


那覇市の真ん中で助けてと叫んでいた友人の話

(頭の中では建物の無い新都心て↑な感じだったけど、あとで資料見たらぜんぜん違った)

僕が通っていた高校は、那覇市の天久開放地に建った最初の建物だった。今は那覇新都心として栄えているけれど、1987年までは米軍基地だった。基地縮小に伴って開放されたものの、1998年に僕ら一期生が入学するまでは、那覇市の真ん中にあるにもかかわらず、建物は1軒も建ってなかった。

道もほとんど整備されていなかった。広大な空き地には、東西に走る那覇中環状線の他、小さい道が数本走っている程度だった。当然バス停もなく、バスに乗るためにはわざわざ空き地の外にある大通りに出る必要があったが、学校からは非常に遠かった。空き地を学校まで一直線に突っ切ればさほど時間がかからないものの、わざわざ道沿いに行けば、「コ」の字を描いて大きく迂回をしてしまうことになり、30分以上も歩かなければならなかった。

高校一年のある日のこと。午後から突然大雨が降り出した。僕の友人でイケメンのYは自転車で登校していたので、困っていた。ずっと学校で待っていても雨はやみそうにない。傘も持っていなかったが、家からむかえを呼ぶわけにはいかないし明日の朝も自転車で登校したい。それで雨がちょっと小降りになったとき、大急ぎで帰ることにした。

Yと一緒に雨が上がるのを待っていたTも帰ることにした。彼はバス停まで歩かなければいけなかった。彼は小さい折りたたみ傘を持っていた。

それでTはYに、「傘に入れるから、一緒にバス停まで歩こうぜ」と提案した。Yは自転車なので当然バスに乗る必要はないのだが、バス停が通学路の途中にあったので、向かう方向は一緒だった。

ところがYは、それを拒否した。Tと一緒に歩くならば、ものすごい長い道をある歩かなければならなかったからだ。俺の自転車はオフロードでも走れる。だから、俺は空き地をショートカットでいくと言い出したのだ。彼はYに別れを告げると、自転車を空き地に向かって猛スピードで漕ぎ出した。

はじめの頃は快調だった。水たまりも走り抜け、草むらも通りこした。ところが、バス停のある国道330号線が見え始めたころ、再び大雨が降り出した。Tはスピードをあげて空き地の最後の部分に突っ込んでいった。これが大誤算だった。

そこは、ほかの地面と違うのか、ものすごく柔らかい泥がたまっていたのだ。たちまち自転車のタイヤが泥に捕われた。大急ぎで漕ぎまくったが、空回りしだし、ついに車体が傾いた。たまらず足をつくと、足首が泥にすっぽり埋まり、さらに手をついて、そこが肘まで埋まった。雨が更に激しさを増した。

あともう少しで大通りに出られるのに!

必死で自転車を押して通りまで歩こうとするが、泥がスポークの間にへばりつき、ペダルすら埋まって押しても前に進まない。そのため自転車を持ち上げなければいけなかった。彼は普段あまり運動していなかったが、歯を食いしばって持ち上げる。ところが自転車に付いた泥のせいでいつもよりだいぶ重くなっており、ついに尻餅をついた。これで足から腰までほとんどが泥に沈んだ。重たい泥を自転車を押しながら進んできたので、精も根も尽き果てた。きた道には、瀕死のカブトガニが残したような自転車を引きずった跡が伸び、雨に均されようとしていた。もう泣きそうになった。

そのとき、彼はバス停にTが歩いてくるのを見た。歩いた方が明らかに早かった。でもその事実を華麗にスルーして、彼は助けて!と叫んだ。

助けてくれー!!

Tは振り返った。あれはYじゃないか。あんなところで泥まみれで何やっているんだ。しかも助けてと叫んでいるぞ、この那覇市の真ん中で。

でも雨に濡れるのは嫌だ。ましてや泥まみれなんて。そのとき、向こうからバスがやってくるのが見えた。自分の乗るバスだ。これは乗らなきゃいけない。

Tは手を振ってバスに乗り込んだ。がんばれーと叫んだ。

Yだけが助けてと叫んでいた。

 


月を見に行きたい

1.
今年の夏は計画停電は無いみたいだ。それはすごくいいことだと思うし無いに越したことないんだけど、個人的にはちょっぴり寂しい。西千葉の街が計画停電で真っ暗になって、月のあかりを頼りに近所を散策した去年の春の夜が忘れられないからだ。信号も消えるので車の交通がほとんど無くなり、時々通る電車の音以外は、街から音が消えてしまった。普段は光が漏れている家々の窓も暗い洞窟の入り口のようで、唯一の光源は上弦に近い不完全な形の月のみ。青白く冷たい光が街を包み込んでいた。その美しさといったら!

2.
今は電気が溢れかえっていて、どこもかしこも明るい。でも、町中が暗くなることって、それ自体に価値があると思う。月のあかりは、田舎に行けば体験できるだろう。でも、それを町中で見ると、今まで見たこともないような新しい世界が現れる。でもその価値と言っても、完全にアートとしての価値だ。実際にやっちゃうと経済損失が半端ないから無理って話になるんだろう。防犯の問題もあるのかもしれない。でも、せめて15夜の夜ぐらいは「町中を1時間だけ電気を消す」みたいなイベントがあってもいい気がする。純粋に名月を月のひかりだけで楽しみたいな。この間見たスーパームーンも、町中で見てもなんの感動もなかった。

3.
話変わって、沖縄の離島に旅行に行く事があるのならば、満月か新月の日がおすすめです。満月の夜は、とにかく月が明るくて美しい。浜辺でお酒を飲みながら、はるか向こうまで青白く輝く海を眺めるのは格別です。逆に新月は月が全くない日。辺りは闇に包まれるけれど、その代わりに信じられないほどの星が見られます。浜辺に寝そべって空を見上げていると、星の海に吸い込まれそうになりますぜ。
どっちの夜も本当に美しくて胸を打つはず。夜を島の居酒屋で過ごすなんてもったいなさすぎる!
描いていてまた月を見に行きたくなった。


俺はビザを焼くぜッ!

何週間か前に千葉大の柏の葉キャンパスで、ピザパーティが開催された。それは園芸学部の方々が作られたピザの生地を、庭に設置された石釜で焼いて食べるというもの。うちの相方が研究でよく柏の葉キャンパスに通っていたということもあり、今回も誘ってもらえて凄く嬉しかった(いつもありがとうございます!)。今回西千葉から参加したのは、僕とゆやまんと、大学の研究室の後輩の早野くん。

毎回そうだけど、このパーティーで作ったピザは、本当に美味しい。新鮮な生地を直接石釜で焼くからか、生地はパリパリ、具はホカホカ。しかも参加者ひとりひとりが具をトッピングしていくので、いろんな味のピザが楽しめるのもたまらない。

でも、今回は他にも感動したことがあった。早野くんだ。

彼はどの角度から写真をとっても絵になる。今回そのことを改めて認識した。彼が石釜にピザを入れる時、カメラを向けると笑顔でポーズをとってくれたのだが、その笑顔がえらく安定していて素晴らしかった。被写体として百戦錬磨な笑顔だ。そして安定しているのは笑顔だけではない。ハンドボールで鍛えた全身の筋肉が、無駄のない動きと安定した体勢維持能力を生み出していた。ピザ用のヘラを持つさまは、一族から受け継いだ槍を持つ太古の戦士のようだ。今から焼かんとするピザを見せつけ、さあ撮れと言わんばかりだ。なんて豪胆な男なのだ。

と思いきや、彼はシャイだった。「そのポーズすごくいいよ!」と声をかけてあげると、何故かメガネのレンズが曇った。彼は恥ずかしくなるとメガネが曇るらしい。ちょっと恥ずかしい時は片方だけ、結構恥ずかしい時はレンズが二枚とも曇った。雨でメガネが曇りやすくなっていたということもあったが、どういう原理でそうなっているのかぜんぜん分からなかった。その可笑しさもさることながら、「彼は恥ずかしい気持ちをグッと堪えて、ここまで安定感のあるポーズを実現しているのか」思うと胸が熱くなってきた。気がつくと僕はすっかりファンになってしまった。