カフェで勝手に敗北した話

1.

今日はずーっと前に描いた年賀状をちょっとアレンジしたやつです。柄を見れば何年前に描いたのかバレてしまう。。今日の話とは全然関係ないけれど。

 

2.

先週の日曜日、新宿で飲み会があった。僕は別件で家を早めに出ていたため、2時間近くも前に新宿についてしまった。そこで、会場の近くにあるエクセルシオールで、ブログの記事でも書きながら時間を潰そうと思った。

そのカフェは2階もあるほど広いのに、物凄い人数の人がごった返していて、席は当然のように埋まっていた。10分ほど待って、ようやく隅っこに座ることができた。

隣に座っていたのは若いお兄さん二人組だった。ふたりとも、口ひげとあごひげをアクセント程度に生やしていて、いかにも爽やか系クリエイターですよと言わんばかりの服を着ていた。その「いかにも」が都会的に洗練されまくっていて、それに比べると僕の格好は田舎のイモだった。その二人がiPhoneを手に持ちつつiPadをいじくって会社の話をしている。

それでちょっと被るのは嫌だったんだけれども、飲み会の後にブログを描くのは大変だと思ったので、僕もカバンからiPadを取り出して、文章を書きだそうとした。すると。。

「こんなんだからノマドって言ってる連中はだめなんだよな」

僕の横に座っているお兄さんが言った。iPadをカバンから取り出そうとしていた手が凍りついた。

「あれでドヤ顔してる連中って人生なめてるよな」

ノマドといえば今はやりのノマドワーカーのことだ。会社や組織には属さず、自分で仕事を作ったりもらったりしている人たちだ。ネットの整備が整った今、オフィスをネット上に置くことが出来るようになった。だから時間や場所にとらわれずに仕事をすることができる。その様子をノマド(遊牧民)にたとえて、ノマドワーカーと呼ぶ。

でも、はじめから一人で働こうとすると、仕事のノウハウを他人から学ぶことができない。自分で動いて仕事を生み出せる人ならともかく、社外でふらついている半人前に仕事が回ってくることなんて無いし、もし仕事が回ってきたとしても中途半端な仕事をされたら迷惑だ、などといった批判もある。また、ノマドワーカーを高らかに謳う人たちの中には、会社という組織の中で働く人は古いと批判する人もおり、それが逆に反感を買っていて、最近ではノマドに対して否定的な人も多い。

僕は普段一人で家で作業をしているので、ノマドワーカーに近い。遊牧民とは違い、バッチリ家という場所に囚われてはいるけれど、組織に属さないという点では同じだ。

でも、僕はノマドワーカーというのは、別に特別でもなんでもなく、ただの自営業の一形式だと思っている。それは昔からあった仕事のジャンルなのだ。ネットが整備されたために昔には無かった形式が生まれてきたわけだけど、自営業という点では特別なことはなにもない。毎日一人で孤独だし、収入も安定していない。

だから、ノマドワーカーをしている人にとって「人生を舐める」ような要素なんて無い。結局は自分で必死にやらなきゃいけないんだ。

・・・とは思うけれども、それでもiPadを取り出す手が止まる。というのも、カフェでiPadをいじってタカタカ文章を打ち始めると、いかにもノマドっぽいな〜と思ったからだ。正直、こんな大混雑なカフェの中で「仕事してまっせ〜」と言わんばかりに文章を打つのは、猛烈にダサい。さらに都会っぽい人の横で田舎っぽい俺が並んでiPadを並べるなんてどうなの、という謎の比較をしだして、無意味に卑屈になる自分が出てきた。

ついさっきまでノマドは特別じゃないなんて考えていたのに、なんて矛盾。なんて愚か。

と、うだうだしだした瞬間「ま、いっか」と思い直した。別に自分のなかで一本筋通ってなくてもいいじゃないか。それで楽ならば。

ということでiPadを鞄にしまって、何もせずにカフェラテを飲みました。美味しかったです。都会の人にはかなわないっす☆

 

 

3.

ということで、今週もよろしくお願いします。

 

 

 


タヒチアンダンサー

今年の春、10年ぶりぐらいに会った彼女から、ダンスを本格的に学ぶためにタヒチに行くと聞いて仰天した。確か彼女はウェブデザインをしていて、その後もデザイン関係の仕事をしていたはずだった。ところが、ある日タヒチアンダンスの公演を見て、凄まじい衝撃を受けた。全国的にもかなり有名なタヒチアンダンサーだったそうだが、その動きに一気に心を奪われた。そして、次の瞬間には、自分の生きる道はこれだと確信を持ったそうだ。それからは仕事を辞め、タヒチアンダンス教室に入り、その道一筋できている。でも将来を考えると、ダンサーだけでなくその先生になりたいと思うようになった。そのためにはどうしてもタヒチに行く必要があった。そこで数ヶ月お金を貯めまくる。三重県の工場に行って、寝泊まりで。僕が那覇市の飲み屋で話を聞いたのが、ちょうど結婚式で工場生活の合間に戻ってきた時だった。
今は、本当にタヒチにいるらしい。
夢を追い虫を地で行く人だ。ほんとに凄い。そして勇気をもらえるよね。こんな人がいるから、僕も頑張れる。

 

今週もお疲れ様でした。つぎは日曜日の夜に。


宮良彩子のライブのフライヤー

 

宮良彩子のライブのフライヤーを作りましたよ!

宮良彩子オフィシャルウェブサイト:irodolco.com

彼女は高校の同級生。二十歳ごろから東京で音楽活動を続けていて、今まで2枚ほどアルバムを出しています。
実は彼女とは高校の時はあまり接点がなくて、初めて話したのがなんと去年の沖縄のビーチでのバーベキューのときでした。でも、話していてつい最近知り合ったとは思えないような、明るい親しみやすさが彼女にはあって、それが彼女の魅力なんだろうなあと感じます。

そんな彼女の魅力があふれる作品が次に出るニューアルバム「ミナミノヒ」。デモ音源を聞きながら作業をしていたんだけど、ゆったりしていて明るい気持ちになれますよ。

来る7月24日(火)、東京渋谷のgee-ge.で、そのニューアルバムの公開録音が行われます。
これはライブ形式の録音で、その音がそのままアルバムに収録されます。また、その様子の映像もDVD化されるとのこと。万が一上手く録音できなかったら録り直すこともあるらしいというちょっと変わったライブです。

ということで、7月24日(火)は皆で渋谷にライブを見に行きましょう!僕はもちろん行きますよ。

 

絵についてちょっと書きます。
今回は普段ブログで描いている南国テイストのイラストを初めて実戦で使ってみました。アルバム「ミナミノヒ」のコンセプト自体も南国的な要素が多分に含まれていて、ちょうど良かったというのもあります(さすが沖縄出身)。
でも、いざ紙に印刷するイラストを描こうとすると、気楽なブログより倍ぐらい時間がかかるね。そのおかげで予定が狂いまくって、結局火曜日はブログをお休みする形になっちゃいました。ようやく言い訳がかけた。

 

修正:宮良彩子のオフィシャルサイトへのリンクを張り忘れてました〜うおーごめん。。


ポートを散策

1.
この前の日曜日。ふと思いついて、蘇我まで自転車で走ってテルマエ・ロマエを見てきたけど結構良かった。
何が良かったかって、阿部寛の肉体美でもなく、まんが譲りのテンポのいいギャグでもなく、北村一輝!本編の中で多分10%程度も出てるか怪しいところだけど、僕の中では完全に彼が持って行ってしまった。彼を見るためだけでも見たほうがいいぞ!
ハッキリ言ってあんま出番ないし、脇役だったけれども、彼の演技はダントツで良かったと思う。いや、僕は演技のことなんかよくわからないけれど、ただ、北村一樹ほどどんなクセモノな役に対しても、カメレオンのようにその役柄にあった自然な演技が出来る人っていただろうか?
いままで木村拓哉みたいな、どの役でも素の自分を出す意味での「自然な」演技の人は見たことがあるけど、北村一樹の場合は多重人格に見える。あの濃ゆい顔で、役柄も変幻自在で、俺もう超大好きです。
この映画の中では、阿部寛が申し出を断った瞬間の、北村一輝の演技を見て欲しいな。彼の周りの空気が変わります。それに鳥肌が立つほど感動してしまった。映画の本筋の中ではなんでもないシーンなんだけれども。

2.
その帰り、蘇我の海辺を散策した。魚が見たくて海面を凝視したけど、水が黒くて海中の様子がほとんど見えなかった。それでも時々ミズクラゲが浮かび上がってきて、それを見ているだけで満足。どんなところにも生物はいる。


猫の新生活

実家で10年以上前から猫を飼っている。名前は「ショウタ」。以前は名前を考えるのがめんどくさくてそのまま「にゃんこ」と呼んでいたけれど、5年ぐらい前から諸事情で改名した。
ショウタは嵐の夜に、実家の縁側に迷い込んできた。その時はまだ子猫で、全身がずぶ濡れで、尻尾の先を骨折し、寒そうにブルブル震えていた。この子猫に激しく同情した弟が、そのまま家で飼いたいと言い出した。初めは両親(特に母)が難色を示していたが、結局弟が母を説得した。
あれから10年。今では人間で言えば50代の立派なおっさんな猫である。両親は共に猫を溺愛していたが、逆に弟は猫アレルギーになって触れなくなってしまった。

この猫は非常に自由気ままで、しかもクールだ。甘える声などめったに出さない。そして、人間である僕らに平気で「指示」を出す。例えば、なにか作業をしている時、足にまとわりついてきたとする。それは大抵「ついてこい」という意味だ。それで席を立つと、ショウタはツアーガイドの旗のように先の曲がった尻尾をピンと立てながら玄関まで歩いていき、ドアの前にちょこんと座って、ドアノブをじっとみる。そして次に僕を見る。「開けろ」といっているのだ。それで僕が開けてあげると、こちらが早く出ろと蹴りたくなるぐらいにのんびりした動きで外に出ていく。

僕は長い間、ショウタには家族の一員であるという意識は殆ど無いと思っていた。というのも、家は彼にとって寝床であり、飯を食うところだったからだ。僕には指示を出すものの、特に甘えてこようともしない。我が家はただの住処であり、家族のメンバーは便利な召使いとしか考えてないんだろうと思っていた。

ところが、どうもそうじゃないらしい。

というのも、数年前から母だけには抱っこしてもらったり膝の上で寝たりするようになってきたのだ。以前は人に抱かられるのを嫌がっていたのに、どこかで猫なりの心境の変化があったようだ。あんなにクールな猫もようやく親愛の情的なものを持ち始めたらしい。

でも、親父と僕には相変わらず甘えてこなかった。親父も母と同じぐらい猫を溺愛しているので、ショウタを見ては抱き上げて無理やり抱っこしたり膝の上に座らせたりするんだけど、いかんせん力が強すぎるのか、猫は毎回決まって嫌がり、おやじのウデをすり抜け、玄関先に走っていく。ショウタが抱く親愛の情は、あくまでも母に対してだけのものらしい。

最近では母を陽の当たる縁側まで誘い出し、そこでゴロンと横になって、毛をブラシで梳いてほしいとねだるようになった。また、先に寝室に入って、一緒に寝ようと甘い声で呼ぶようになった。あんなに鳴かない猫だったのに!ふてぶてしいオッサン猫である。母を独占したいらしい。
ところが、最近天敵が現れた。もう一匹、若い猫がやってきたのだ。

毛の茶色いオス猫で、体は大きいもののまだまだ子供らしくとてもヤンチャだった。この猫もいつの間にか縁側に出現するようになり、両親を見つけては体を擦りつけて甘えてきた。まるで飼って飼ってと懇願するかのようだった。

二匹も同時に猫は飼えないと両親は困っていたが、家の外に出るたびに足にまとわりついてきたので、とうとう根負けして飼うことになった。でも元気のいい猫だったので家の中には入れず、ベランダに寝床を作り、餌を与える皿を置いてそこで飼うことにした。名前を「茶々丸」となずけた。
ところが、ショウタとしてはこれがちょっとおもしろくないらしい。特に母が茶々丸を抱っこするのを見ると、激しく怒りだす。それはどう見てもおっさんの嫉妬だった。それで困って母はショウタの前では茶々丸を抱かないことにした。そのかわりに茶々丸は親父にもよく抱っこされる。ショウタと違って親父が苦手ではないようだ。これに親父が歓喜して、毎晩太い腕で茶々丸を可愛がるようになった。ここに、ショウタと茶々丸の住み分けができた。ショウタは母担当、茶々丸は父担当だ。

 

こうして、実家に新しいメンバーが加わった。
二匹ならんでベランダで寝ていることもあるらしいけど、そこには古株と新参者の微妙な距離感があるのだそうだ。2匹の間には喧嘩こそ起きないものの、妙な緊張感が走っている。ショウタはいつ母を茶々丸に取られるのかビクビクしているのかもしれない。茶々丸は茶々丸で、なんとかショウタ先輩と仲良くなりたいと、そのチャンスを伺っているかのようだ。
そしてそんなことを気にせず笑う両親。

猫の新生活は続く。