猫の新生活

実家で10年以上前から猫を飼っている。名前は「ショウタ」。以前は名前を考えるのがめんどくさくてそのまま「にゃんこ」と呼んでいたけれど、5年ぐらい前から諸事情で改名した。
ショウタは嵐の夜に、実家の縁側に迷い込んできた。その時はまだ子猫で、全身がずぶ濡れで、尻尾の先を骨折し、寒そうにブルブル震えていた。この子猫に激しく同情した弟が、そのまま家で飼いたいと言い出した。初めは両親(特に母)が難色を示していたが、結局弟が母を説得した。
あれから10年。今では人間で言えば50代の立派なおっさんな猫である。両親は共に猫を溺愛していたが、逆に弟は猫アレルギーになって触れなくなってしまった。

この猫は非常に自由気ままで、しかもクールだ。甘える声などめったに出さない。そして、人間である僕らに平気で「指示」を出す。例えば、なにか作業をしている時、足にまとわりついてきたとする。それは大抵「ついてこい」という意味だ。それで席を立つと、ショウタはツアーガイドの旗のように先の曲がった尻尾をピンと立てながら玄関まで歩いていき、ドアの前にちょこんと座って、ドアノブをじっとみる。そして次に僕を見る。「開けろ」といっているのだ。それで僕が開けてあげると、こちらが早く出ろと蹴りたくなるぐらいにのんびりした動きで外に出ていく。

僕は長い間、ショウタには家族の一員であるという意識は殆ど無いと思っていた。というのも、家は彼にとって寝床であり、飯を食うところだったからだ。僕には指示を出すものの、特に甘えてこようともしない。我が家はただの住処であり、家族のメンバーは便利な召使いとしか考えてないんだろうと思っていた。

ところが、どうもそうじゃないらしい。

というのも、数年前から母だけには抱っこしてもらったり膝の上で寝たりするようになってきたのだ。以前は人に抱かられるのを嫌がっていたのに、どこかで猫なりの心境の変化があったようだ。あんなにクールな猫もようやく親愛の情的なものを持ち始めたらしい。

でも、親父と僕には相変わらず甘えてこなかった。親父も母と同じぐらい猫を溺愛しているので、ショウタを見ては抱き上げて無理やり抱っこしたり膝の上に座らせたりするんだけど、いかんせん力が強すぎるのか、猫は毎回決まって嫌がり、おやじのウデをすり抜け、玄関先に走っていく。ショウタが抱く親愛の情は、あくまでも母に対してだけのものらしい。

最近では母を陽の当たる縁側まで誘い出し、そこでゴロンと横になって、毛をブラシで梳いてほしいとねだるようになった。また、先に寝室に入って、一緒に寝ようと甘い声で呼ぶようになった。あんなに鳴かない猫だったのに!ふてぶてしいオッサン猫である。母を独占したいらしい。
ところが、最近天敵が現れた。もう一匹、若い猫がやってきたのだ。

毛の茶色いオス猫で、体は大きいもののまだまだ子供らしくとてもヤンチャだった。この猫もいつの間にか縁側に出現するようになり、両親を見つけては体を擦りつけて甘えてきた。まるで飼って飼ってと懇願するかのようだった。

二匹も同時に猫は飼えないと両親は困っていたが、家の外に出るたびに足にまとわりついてきたので、とうとう根負けして飼うことになった。でも元気のいい猫だったので家の中には入れず、ベランダに寝床を作り、餌を与える皿を置いてそこで飼うことにした。名前を「茶々丸」となずけた。
ところが、ショウタとしてはこれがちょっとおもしろくないらしい。特に母が茶々丸を抱っこするのを見ると、激しく怒りだす。それはどう見てもおっさんの嫉妬だった。それで困って母はショウタの前では茶々丸を抱かないことにした。そのかわりに茶々丸は親父にもよく抱っこされる。ショウタと違って親父が苦手ではないようだ。これに親父が歓喜して、毎晩太い腕で茶々丸を可愛がるようになった。ここに、ショウタと茶々丸の住み分けができた。ショウタは母担当、茶々丸は父担当だ。

 

こうして、実家に新しいメンバーが加わった。
二匹ならんでベランダで寝ていることもあるらしいけど、そこには古株と新参者の微妙な距離感があるのだそうだ。2匹の間には喧嘩こそ起きないものの、妙な緊張感が走っている。ショウタはいつ母を茶々丸に取られるのかビクビクしているのかもしれない。茶々丸は茶々丸で、なんとかショウタ先輩と仲良くなりたいと、そのチャンスを伺っているかのようだ。
そしてそんなことを気にせず笑う両親。

猫の新生活は続く。