2005の終わり

往復7万というバカ高い金を払えなかった俺は、今年初めて千葉で正月を迎えた。


いつもなら26日前後に帰っているのだが、今年は研究室の忘年会もあり、その日に帰ることが出来ず。その頃ならば往復4万前後で帰れたものの(それでも高い)、次の日あたりから2万、さらに次の日は一万アップして、結局七万越えするという半端無い値段になってしまったのだ。
それでも、三ヶ月ぐらい前に予約すれば三万前後で帰れたと聞いたから、ホント後悔。飛行機の予約は早めに取る、これは鉄則だと改めて思った。
さて、年末はと言うと、俺は29日のスポ兵のダメージで大いに苦しんだ。
29日、サークルのメンバーでサッカーをやった。ホントに久しぶりなので動けるか心配だったけど、この日は決定力さえなかったものの、全力で走ってもなかなか息が切れず、かなり好調だった。
ダメージが出て来たのはその夜からだった。
その日は家に赤嶺涼、裕一郎、正子をはじめとする高校のメンバーが集まって忘年会をした。この時俺んちを知らないメンバーを天台駅まで迎えにいくんだけど、皆時間がバラバラなので、何度も家と往復しなきゃならなかった。そんなときに襲ってくる全身筋肉痛。非常に辛い。
しかし、ヤバかったのはその翌日だった。
この日は昨日とは打って変わって中学の友達のアッちゃんが泊まりにくることになっていた。彼はかつてミュージシャンをやっていて、モンパチと対バンををしたり、浜崎あゆみの前座をしたこともある。
今は三重県できせつ(出稼ぎみたいなもの)をしていて、この年末の休みの間に全国の放浪の旅に出ているんだそうだ。
俺はもうこの日は全くと言っていいほど、動きたくなかった。もう全身が痛すぎて痛すぎてたまらん。サッカーやったのに、腕まで筋肉痛。当然歩くスピードも普段の半分近く。
しかし、せっかく中学の友人がこんなところまで来てくれたのだから、ここでおもてなしをせずにいつやるのだ。
はじめは、前日から引き続き泊まる赤嶺涼も含めて、三人で山九(近所の安い焼き鳥屋)にでも行こうと思ったが、テレビでゴジラがやるっていうんで、家で焼き肉でも食べながら見ようという話になった。
近くのスーパーに向かう。
信じられないほどの痛み。
筋肉痛ってこんなに痛かったっけってぐらい痛い。
明らかに遅く歩いている二人よりも遅い。痛くて歩けない。
その夜、布団を涼に貸して、絨毯の上にねたんだけど、体が痛くて寝返りがうてない。
ずっと同じ姿勢。背中に血がたまっていく感じがして気分が悪くなる。
翌日、大晦日。筋肉痛は衰えず。
さすがに涼も暇そうだった。いくら今日帰るからとはいえ、何にもせず千葉を去るのは気が引けるようである。ましてはその日は大晦日だ。ノリのいいことはないのか?アッちゃんも暇そう。
このままテレビのアメ横中継を見て、群がる人々をバカにするだけではあまりにも酷。
そこで風太君を見に行こうということになった。おりの中で孤独に年をこす、哀れな今年最大の見せ物を見るのも、なかなかおつではないかと思ったのだ。
モノレールの穴川駅に向かう。
二人は平然と歩いているが、俺は必死。
ふと、不吉な予感が走った。
大晦日でも、風太君はいるのか?
いや、いる。風太君は間違いなくそこにいる。ましてや、今頃立っているのかもしれない。
問題は、千葉動物公園が今日もやっているのか、ってことだ。
予感は的中した。
『千葉動物公園は1/1までお休みです』の張り紙を見つけた瞬間、その場に立っていたのは、風太君ではなく、哀れな歳男目前の三人だった。
緊急会議である。
どこに行こうか?ぶっちゃけ俺はもう体が痛いので帰って寝たかった。ふたりをここで見送って、俺はテレビを見ながらマッスルをいたわるのだ。でも、そんなふぬけたことが、大晦日に許されるはずない。
涼「よし、アメ横行くぞ」
アメ横!?よりによってアメ横!?
三人は、さっきまでバカにしていアメ横へと向かった。
アメ横は地獄のような場所だった。あんなに大勢の人が道ばたで群れている様子は、ドーン・オブ・ザ・デッドのゾンビ達を彷彿とさせる。
道脇の商店では、血なまぐさい魚類の肉片を売りさばいている。
肉をつかみ、叫ぶ男
群がる群衆。
獲物に伸びる手。
地獄。
涼と別れた後、俺は一人帰路についた。アッちゃんはアキバで時間をつぶして、別の友人と合流するそうだ。
ところが、家にもう少しでつくころ、メールが入った。アッちゃんは友人に会えなかったらしい。そこで、また俺んちに泊まりにくることになった。
その夜、俺んちには、岡P、アユちゃんがやって来た。あっちゃんと俺も含めて四人で桃鉄をする。
家の照明は、昼間のうちに白熱電球にスプレーで赤く染めたものを使っていたので、雰囲気が怪しくて素晴らしい。
酒も酔い、いつの間にか寝ていた。
夢見心地とはこのことだ。
2005が終わった。