金環食

今日近所のデパートに行ったら、金環食グッズのコーナーが設けられていて、しかも売り切れていて驚いた。
僕は実は25年前、沖縄で金環食を見た。その時ぼくはまだ幼稚園。街では日食を見るためのメガネやらプラスチックの板がバカ売れしてたんだけど、なぜかうちはそれを用意していなかった。
そのことを当日になって気がついて、なんとか金環食を見ようということになった。でも、もちろん直接太陽を見るわけにはいかない。そこで、祖父が慌ててその場にあったものを使って即席の日食板(?)みたいなものを作った。

 

1.ガラスの板と、ロウソクまたは100円ライターを用意します。

2.ライターに火をつけ、ちょっと距離をおいてガラスを炙ります。

3.ガラスをススで真っ黒にしたら出来上がり

 

扱いを間違えるとススが服についちゃうといったデメリットはあるけど、意外と綺麗に見える。祖父の家の庭先で見れた金環食は、輪っかこそ小さかったけど、完全にリングになって、神秘的だった。

その祖父も2年前に死んだ。21日は子供の頃を思い出して、ガラスにすすをつけて見ようかな。
でも今年はちゃんと見れるのかな?なんか曇になる気がするぞ。


他人と自分は違う

最近、あるきっかけで他人に対して想像力ないなーと、凹むことがあった。そのことはあまり書きたくない。その時考えたのが、「他人と自分は違う」ってことを認め、常に認識しておかないと、他人に対して思いやりも想像力も生まれてこないってこと。

「自分と他人は違う」。冷たい言葉に聞こえるけど、つまりは他人をちゃんと見て考えようということだ。他人を自分と同じだと考えると、他人の大切にしているもの、嫌だと思っているものなど、他人の視点を見落としてしまう。他人は他人と捉え、その人のだいじなもの、大切にしているものをちゃんと見よう、ということだ。

言われてみると当たり前のことかもしれないけど、意外とその事実を忘れてしまう時がある。例えば、自分と価値観が似ている親しい人と一緒にいるときに、「その人と自分は違う」ということを忘れがちになる。もし忘れてしまうと、あたかもその人と自分とが同じ思考回路を持っているように錯覚してしまう。お互い理解しているものとして振る舞ってコミュニケーション不足になっていく。そうするとなんか問題が起きた時、「これぐらい言わなくてもわかるだろ」とか、「なんでそんなこともわからないんだ」ってことになる。「他人と自分は違う」。友人に対しても、恋人に対しても、自分の配偶者に対してさえも、つねにこの意識を持つべきだと思う。コレはネガティブなことじゃない。もし持っていなければ、結局どこかでその事実を思い知らされ、スレ違いが起きていく。

また、「この人とは違う」と表面的には理解していたとしても、どう違うのか理解するのが難しい時もある。僕の場合はうつ病の人と接する時がそうだった。特に外見的特徴があるわけでもなく、話していてもあまり区別がつかないので、なぜ彼らが苦しんでいるのかわかりづらい。彼らの苦しみを理解できないのは、彼らをそうでない人の視点でしか捉えていないからだろう。でもそれは仕方ないことだ。だってうつ病の気持ちはうつ病にならないとわからないのだから。

だから「彼らと僕はちがう」という立場に立って彼らとちゃんと接していくためには、彼らを出来るだけ理解しようとしないといけないと思う。脳の分泌成分の異常だということのみならず、どういう時にどんな気分になるのか、その結果どういう風に生活に支障をきたすのか、本を読んだり彼らと話をしながら想像を膨らませていかなきゃいけないんだと思う。

今日そのことを改めて思った。
実はここ数日、来月発売される雑誌のために妊婦さんの資料を集めてイラストを描いているんだけど(さりげなくアピール)、妊婦さんて大変そうだな。つわりの苦しみなんて、全然わからないし、腹が重くて足が筋肉痛になるなんて、つい最近まで知らなかった。酸っぱいものが食いたくなるって感覚も全然わからない。また、妊婦さんはよく不安な気分になったりするらしい。できないことが多くなってストレスが溜まったり、からだの変化によってそういうことが起きるそうだ。もう、ぜんぜん違う。妊婦を知れば知るほど、こんなにも違うのかと感じるようになってきた。

妊婦が安心して10ヶ月を過ごすためには、夫の協力が不可欠だ。家事をやったり買い物など、手伝うことはたくさんある。でも、そういう外見でわかるお手伝いだけでなく、精神の不安に気づいてあげて、心の支えになってあげられるような、そんな想像力を持っていたい。


波が来た

やっぱりイラストは将来的に沖縄を描きたいな。
ってことを昼間シャンプーで頭を洗っている時にズバーーンと思った。

というのも、この間赤田首里殿内の話を書いている時に頭の中で映像が流れて鳥肌が立ったからだ。黄金色に光る灯籠、夕暮れに生える入道雲、薄暗闇の琉球石灰岩、そして少年の頃の胸の高なり。こういう絵を描きたいんだよなと素直に思った。リアルな絵じゃなくて、その空気とか、雰囲気を表したような絵だ。それをシャンプーで頭をワシャワシャしている時に思い出したのだ。そしてズバーン。

沖縄に20年住んで、こっちに来年で10年。だから、こっちのテイストにもあった沖縄の絵が描ける気がする。コンセプトは「南国の風を吹かしてやるぜ」(笑)
ていうか、最終的に目指す方向はそこなんだろう。実はこの考えは以前からあった。頭の浜辺に、この考えが波のように打ち寄せては引いていったのだった。でも、打ち寄せるたびに確実に潮位を増して、色や臭いや形を運んでくる。今日の潮位はかなりすごかった。浜辺がすっぽり波に飲み込まれる感じだった。だから、それが僕の方向なんだ。今はまってる三国志風に言うと、これは天命だ。

沖縄には本土にはない形が結構ある。紅型だったり焼き物だったり、琉球ガラスだったり、染物だったり。自然も本土とは気候帯が違うので、形や色が特殊に見えるのも多い。別に沖縄の方が本土よりも美しい、なんて言うつもりはない。本土にしか無い美しさも沢山ある。でも、沖縄にしかない美しさも多い。そういうところを拾って行きたい。

別に露骨に沖縄じゃなくていいんだけど、「あの人のイラストってどこか南国なんだよな〜」って言われるようになりたいな。具体的なテイストはこれから模索だけど。無理して急にそういう絵を描くんじゃなくて、体からジワーっと滲み出るようになるように、徐々に徐々に目指す。そういう感じにしていきたい。

胸が高鳴る!


ヒソヒソ電話

この前友人宅で飲んでいた時に、友人の電話が鳴り出した。

それは仕事先からの電話らしく、でも彼もここ数ヶ月はフリーの身だから電話に出ざるを得ない。それで部屋の片隅でヒソヒソ電話をしだしたんだけど、その体勢が、妙に落ち込んでいるように見えて笑ってしまった。みんなヒソヒソ電話をする彼の写真撮影会になった。

ヒソヒソ電話をするのって、相手とひみつを共有しているようで、それだけで興奮する(昔はね)。糸電話はそういう意味で最高のヒソヒソ電話機だった。糸電話は大声で喋ったら直接相手に聞こえちゃうので、自然と小声でしゃべるようになる。そうすると、なにか秘密を共有しているような、企んでいるような気分になってきて、ドキドキした。


赤田首里殿内

この間、深夜に稲毛のベイブというバーでゆやまんと飲んでいたら、店内に流れていた曲が、ジャズからクラブミュージックに切り替わった。で、もちろん初めて聞く曲なんだけれど、どこか聞き覚えがある。なんだろうと思ってたら、思い出した。これ、赤田首里殿内(あかたすんどぅんち)じゃないか!

赤田首里殿内は沖縄で親しまれている童謡だ。沖縄に住んでる人だったら誰でも聞いたことがあるとおもう。那覇市を走るモノレールにも、オルゴール調にアレンジされたのが使われている。
僕は沖縄の童謡をそれほど知っているわけではないんだけど、それでもこの童謡は好きな曲のトップスリーに入ってる。歌詞がすごく神秘的で不思議な感じがするからだ。

 

赤田首里殿内 黄金灯籠提げてぃ(あかたすんどぅんち  くがにどぅーるーさぎてぃ)
(首里赤田村の首里殿内に 黄金色に輝く灯籠を提げて)

うりが灯がりば 弥勒御迎え(うりがあかがりば  みるくうんけー)
(それが明るく灯ったらば 弥勒様をお迎えしよう)

※以下囃子

しーやーぷー しーやーぷー
みーみんめー みーみんめー
ひーじんとー ひーじんとー
いーゆぬみー いーゆぬみー

 

wikipediaによると、この歌は首里の赤田町で、琉球王朝時代から行われてきた「弥勒迎け(みるくうんけー)」という祭礼で歌われてきたらしいんだけど(見たことない)、この歌詞は弥勒(神様)を招き入れる様子を表しているらしく、お祭り時にこの曲を歌うらしい。僕がこの歌詞ですごく好きなのは、弥勒(神様)を直接描いているのではなく、到来の予兆が描かれているという点だ。太陽も水平線に沈み、祭礼の準備をし終え弥勒の到来を今か今かと待っている時に、屋敷の前に下げていた灯籠が黄金色に輝きだす。
その情景ってさぞかし神秘的なんだろうなと思う。コレを聞くと、いつも脳内で映像が再生される。僕はいつも子供で、灯籠が輝きだした途端胸が高鳴って、琉球石灰岩の門をくぐり、屋敷の前に飛び出して、道路を右に左に見渡す。西には、東シナ海の上空に立ち上る、夕日の残光を受けた巨大な入道雲。そして、足元には、、魚の眼?

そう、魚の眼なのだ、さらに不思議なのは。囃子の部分。四つあるフレーズのうち、「いーゆぬみー」という部分を以前「いゆ、ぬ、み」、つまり「魚の目」という意味だと聞いていた(「いゆ」は方言で魚の意)。他のフレーズの意味も聞いたような気がするが、この「魚の目」がすごく印象に残っている。そこには呪術的な匂いがする。いったい、魚の目ってどこから出てきてるんだろう?お供え物として出すとも聞いたことがない。すごく不思議だ。

金色の灯籠、弥勒の到来の予兆。そして魚の目。こんな神秘的な歌はない。

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ベイブで流れたクラブミュージック調にアレンジされた赤田首里殿内もすごく良かった。バーの中にあふれる赤い光が、弥勒の到来に意外と合っているような気がした。酒に酔っていたのだろうか。空気が変わる。

※いーゆぬみーの意味は諸説あるらしい。