昨日思ったこと

「その人が嬉しいと、自分も嬉しい」って言う状態ってあるじゃない?


例えば俺が頑張ってブログ書いて、それでみんながおもしろがってくれたらすごい嬉しい。
自分が頑張って作った映画がみんなを喜ばせたら、作ってよかったって素直に満足できる。
好きな人に何かを送って、それが喜ばれたら、それもやっぱり嬉しい。
まあ、結局自分が喜ぶためだろっていったらそれまでなんだけど、他人も自分も嬉しいって、それ以上にいい事ってないんじゃない?素晴らしい事だよ。
でもこの事って、意外と忘れがちだと思う。特に焦っているときほど自分しか見えなくなるわけで。
で、俺も例にもれずおろそかにしがちなんだけど、去年の誕生日からその事を改めて重視して生きようと心に決めた。まあ、実際に出来ているかはわかんないんだけどね?。
で、話は少し変わるんだけど。
最近は本当に感情の起伏が激しい。
激しくイライラしたり、正体不明の不安を抱えたり。
いきなり奇声を上げたくなるぐらい嬉しくなったり。
で、俺が思うに、不安ってのは、大半が無知からきているんじゃないかと。
その不安に思う要素自体を知らなければ別に問題はないんだけど、例えば物事を中途半端に知っていた時。
それって、暗闇の中に何かがあるのは知っているのに、それが何なのか、どこにあるのかがわからない、という状態で、前に進まなければならないのと似ていると思う。
だから、ようは不安が解消されるまで徹底的に調べればいいのだ。
出来るか出来ないのかがわからないで不安なのであれば、それがわかるまで頑張ればいい。
でも、不安が一気にやってくると、でかすぎてその原因が見えなくなる。何が不安の原因なのかがわからなくなる。
さらにそこに、悲しみとか、後悔とか、自己嫌悪が加わると死ぬ。恋愛の苦しみもやってくるとマジ死亡。
そんな状態に一度なってしまうと、目の前の課題なんかに手が付くはずもない。
もうひたすら独り言を言ってるか、寝るしかないのだ。
ひたすら耐えて、通り過ぎるのを待つしかない。
すると、何もかも投げ出して、どこか遠くに逃げたくなるわけですよ。
昨日、俺の中で色んな苦しみが渦巻いて、どうしようもなく自分がいたたまれなくなった。
原因はわからないけど、とにかく自己嫌悪がわき上がって、それがさらに悪い思い出を思い出させ、さらに自分に対する嫌悪感を増す。
そしてそれがさらに別の悪い出来事を思い出させ・・・
ひたすら自己嫌悪する悪夢のような堂々巡りになってしまうのだ。
そんな状態で一人広い研究室にいるのが耐えきれなくなった俺は、昼間に家に帰った。
カップ麺を食ってぐったりしていると・・
俺が高三の2月に書いていた怪文書(ノート)が。
で、その冊子の最後のところは、失恋の苦しみと絶望的な状況へのもがきを吐露する日記がびっしりと書かれていた。
読んでいて、泣けてきた。
ちょうどその頃、俺は、失恋の烈火のような苦しみと、センター試験の失敗という絶望感を抱えながら、二次試験の勉強をしているというところだった。
俺は、間違いなく落ちるのはわかっていた。落ちるのをわかっていても、俺は勉強しなきゃいけなかった。
毎日毎日その女の子の亡霊を追っかけては死んで、受かる事のない受験勉強をしている絶対的な絶望状態の当時の俺は、それでも日記の中で『頑張らなくちゃ、きっと良くなるんだ』と希望を見つけ出そうとしていた。
なんか、すごい泣けてきた。すっごいお礼が言いたくなった。
『ありがとう、お前が頑張ったから、今の俺がいるんだぞ』
そう思った時、もしかしたらこの苦しみも、将来の俺に対するバトンタッチみたいなものなのではないかとという考えが起きた。
きっと、今の苦しみも、苦しみ抜いて希望を繋いでいけば、きっと将来の自分につなげられるんじゃないのか。
将来の自分。
将来の自分、という他人。
その人のために、頑張ろう。
将来の自分が喜んでいるのを考えると、自分も嬉しくなるもんな!
というわけで、今の状況に苦しんでる皆さん。ひとつ“将来の自分”という人の為に、頑張ってみるってのはいかがでしょうか。
・・・・・・・・・今日はなんでこんなくさいんだろ