弔い

 

記録として。

 

1.

この間沖縄で、18年ぶりに再会した小学校時代のクラスメートと飲んだ。その子は沖縄でNHKのアナウンサーをしていた。僕の知らない18年間の話をたくさん聞くことができた。

話の流れから、すでに亡くなってしまった小学校の同級生の話題が出た。その子は野球部だった男の子で、大学の時にオートバイの交通事故で亡くなった。僕は彼が亡くなる一年ぐらいまえに、那覇の新都心でたまたま再会していたので、亡くなったと聞いて凄い衝撃を受けた。お葬式にも参列した。

そのことについてひとしきり話していたんだけれど、友人は、もう一人亡くなった人がいると言った。

その子は女の子だった。アメリカで交通事故で亡くなったとの事だった。でも僕はその子の名前を言われても、全く思い出せなかった。

飲み終えて実家に戻った後、小学校のアルバムを引っ張りだして、その子を探してみた。その子には見覚えがあった。確か5年の時同じクラスになった子だった。

その子は一人だけ雰囲気の違う子だった。バスケットシューズを履き、どことなくアメリカのストリート系の雰囲気を漂わせていた。ダンスがうまかった。そして頭も良かった。小学校を卒業すると、沖縄で一番学力のある私立の中学校に進学していった。その彼女が23の時に交通事故にあったのだそうだ。

でも僕は普通の中学にそのまま進学したので、彼女にはそれ以来18年間会っていなく、名前すら忘れていた。

 

 

2.

小学校を卒業して10年間、彼女がどういう人生を送ったのか、ちょっと興味を持ってしまった。そこで、彼女の名前で検索すると、あるブログにあたった。

そのブログの管理人は、彼女と同じダンスのチームのメンバーだったらしかった。彼は、ブログで彼女のプロフィールを簡単に紹介していた。それによると、彼女は高校の途中からストリートダンスの教室に入り、大学卒業後アメリカに留学した。アメリカでもダンスの練習に励み、ダンスを通じて日本とアメリカの交流会を行う活動も行なっていたようだった。

彼女とは亡くなる半年前、夜明けまで今後の目標や人生に語り合ったと書いていた。それは、彼にとって忘れられない思い出なのだろうか、ブログ中にその記述が何箇所か見受けられた。

そして、さらに調べてみると、そのダンスチームに関するニュースを見つけた。彼女の死から一年後、ロサンゼルスのダンス大会で優勝を収めたのだそうだ。その時は、チームで彼女のTシャツを作り、結束を高めたのだのだそうだ。

さらに写真まで出てきた。何歳の頃かはわからないけれど、ダンスの練習着を着ていた。僕の記憶の中のその子よりも大分大人になった印象だった。

 

 

3.

当たり前だけれど、みんな死ぬときは死ぬし、大抵の死なんてあっという間で理不尽だ。彼女も気がついた時には車に跳ねられ、23歳の若さでこの世を去った。

もう18年も会ってないし、名前すら覚えていなかった彼女。ニュースの中の死者と同じだ。だから正直に言うと、悲しみは感じなかった。

でも、悲しみとはちょっと違うけど、なにかしら沈むものがあった。なんていうか、もっと遠くから見ている感じだ。接点は確かに存在した。それは、その前の晩、目の前で飲んでいた18年ぶりに会った友人と同じだった。18年間、それぞれ生きている間いろんなことがあった。まるで楓の葉のように、付け根は同じでも、葉の先に向かってそれぞれぜんぜん違うベクトルを生きてきた。でも、友人は友人だった。小学校の雰囲気を残したまま大人になっていた。18年を飛び越えて話ができる何かがあった。彼女が生きてても、きっとそうだっただろう。18年間こう生きてきた、と話ができたはずだ。

だから、あまり他人ごとのようには感じられなかった。

 

無理やり接点を見つけ、善人ぶって悲しもうとするつもりはない。でも、彼女の名前を今度は忘れないようにしようと思う。

僕と少しだけど接点があった人間。死んだ後に他人のTシャツになって、国際大会を優勝に導くほど、23年間を熱く生きた女性。

 

そんな同級生が、小学校の時にいた事を忘れないようにする。

名前を、心に刻む。

それが弔いになると思う。