消しゴム落として一目惚れ(お仕事報告)

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 先週最終回を迎えてしまった「爆笑問題の大変よくできました!」で使われたイラストですー。
消しゴムを落とした女の子。拾おうとしたとき、隣のかっこ良くていい匂いのイケメンと手が触れてキャーッ。。
よくあるシチュエーションだけど、女の子を描くのが苦手な僕はえらい苦労しました。


iPhoneの地図アプリに裏切られた話

ブッ 
この間、初めてiPhoneの地図アプリに裏切られた。
それは初めて出版社との打ち合わせをする日のことだった。イラストレーターとしてようやく活動の本舞台に立てた気がして、めちゃめちゃ嬉しかったのと同時に、心臓が口から出そうになるぐらい猛烈に緊張していた。初めての体験だから、何か失敗するのではないかと不安だった。何をすれば失礼に当たるのか、その辺の知識もあまり持ち合わせておらず、子羊のように震えていた。
ただ、一つだけハッキリしていることがあった。絶対に遅刻はまずい。
そのため、電車の発車時刻の一時間前には、駅前のドトールでコーヒーを飲んで出版業界関連の本を読んでいたし、打ち合わせの30分前には、目的の駅に降り立っていた。
場所はiPhoneで検索していた。iPhoneの地図アプリならば、住所を入力すれば、該当する場所を地図上にポインターで示してくれる。GPSに頼る現在地の検出とは違い、住所による検索なので間違うはずがなかった。
ところが、地図に示された場所まで歩いていくと、そこにはみずぼらしい2階建ての建物が一件ポツンと立っているだけだった。どう考えても、この建物が出版社には見えない。
それだけではない。よく見たら、スーツ姿のおっさん達が、ダンボールを持って出たり入ったりしている。周りにはパトカーも数台止まっている。この光景はテレビで見たことがあった。なんと、この建物は家宅捜索を受けているのだ。そんなバカな!
iPhoneは間違いなくこの場所を指している。打ち合わせまでの残り時間をみると、なんとあと10分しかない。思わず大声を上げそうになった。完全にパニック。
家宅捜索とか一切無視して、そのまま建物に突っ込もうかと思ったが、いや、待て。この建物はどう見ても出版社じゃない。どこにもその名前がかいてないじゃないか。そこでもう一度検索してみることにする。深呼吸をして冷静に住所を入力する。
すると、今度はテレビ局のビルにポインターが立った。これは明らかに違う。
今度は出版社の担当の方からいただいたメールに記載された住所をコピペして検索。
ところがそれでもテレビ局にしかポインターがいかない。
どうなってるんだこれ!あと七分しかないだろー!!
とその時よくみると、日テレの隣のブロックに、探し求めていた出版社のあるビルの名前を発見。あとは雨の中、傘も刺さずに全力疾走。無我夢中で走ったら、なんとか間に合った。
やっぱり位置検索はiPhoneアプリに全信頼を置いちゃだめ。パソコンでちゃんと調べないと。


仕事と学校


ありがたいことに、七月から仕事が徐々に入るようになって、八月はほぼ毎日仕事をしていた。それで、九月に入ってイラストの学校が始まると、授業に全く魅力を感じなくなってしまった。
仕事だと描いた分だけお金が入る。クライアントの方々が絵に価値を見いだし、お金を払ってくれる。ぼくはこの「絵という価値を自分の手で生み出して、買ってもらう」という感覚がすごく新鮮で、衝撃的だった。
会社をやめて、イラストの学校に入り直して以降、絵を描くことは、目的はいろいろあれど、所詮学業の一つに過ぎなかった。先生から評価やアドバイスをもらえて、それはそれでありがたいけれど、自分か描いた絵がどれぐらいの社会的価値を持つのかはわからなかった。一定の価値を持っていなかったとしても、頑張っていればそれなりに評価された。でも、アートではなくイラストである以上、なんらかの社会的価値がないと意味がない。社会的価値を無視して絵を描くのは、美的追求みたいな崇高な目的でもない限り、「頑張っている」気分に浸って自己満足にふけるのと同じだと思う。
というわけで、学校で絵を描くということに対してあまり興味を持てなくなってしまった。実際にはもっと自由に実験が出来る学びの場のはずなのに、全然そう見えなくなってしまった。
お金にならないから学校に行きたくない感覚。汚れた考え方なのかな…。
でも、もはや卒業することには興味ない。


コーラのイラストコンペのボツ案


月曜日から今日にかけてダルイ。しかも今日は頭が痛い。めっちゃ痛い時は、熱に浮かされたような、変なイメージしか出てこない。
偏頭痛は頭の血管の炎症らしく、脈を打つような痛みが走る。
一般的に寝ればよくなると言われてる。でも、逆に睡眠の質が悪いと、偏頭痛の原因にもなるらしい。
僕の場合はこの一般例に大体当てはまる。だから僕の場合は、頭の痛みは睡眠にかかっている(もちろん他の要因もあるんだろうけど)。
ああ、そんな事書いてるうちにますます頭が痛くなってきた。。。
もう寝ます。


駅に向かう途中の老人の話


今朝駅に向かう途中、老人がゴミ捨て場を漁っていた。ターゲットは雑誌の束だった。古い少年ジャンプが読みたかったらしい。
ヨボヨボで、手もかなり震えていた。その手で、すずらんテープを一生懸命外そうとがんばっていた。それをみて、なんか悲しくなってきたのさ。
老人になってまで、捨てられた雑誌に手を出すなんて。しかもジャンプて。
でも、考えてみたらその前日、同じ場所を通りかかった時、ananの「美しい身体特集」って書かれた雑誌が捨てられていて、思わずなんだろうと手にとっていたのを思い出した。
その途端、完全に老人擁護派に思考回路がチェンジ。
気になるものを手に取るのは自然な行為だ。駅のゴミ箱から雑誌を拾うのとは違って、違法じゃ無い(と思う)し。花村萬月は小説の題材を探すためゴミ箱を漁ると言っていた。
それにまだ使えるものを捨てる人が多すぎるから、ゴミを拾って使えばゴミ問題にもちょっとは貢献できる。
人間としてどうなの?と言われそうだけど、多様化の時代だし、全然大丈夫っしょ。
と、その時視線を感じてふとみると、物陰からじーっと様子を見ている老婆がいた。人間に対しては向けない類の眼をしていた。それは明らかに紛れ込んだ旅行者を窓の隙間からのぞく、辺境の民の眼だった。多様化した時代なら許されるかも知れない廃棄物探索行為を完全に拒絶した眼だった。
ま、それが普通の人の反応だよねと思った。