入道雲よこい

1.
早く夏が来てほしい。もうその準備はできている。

丘の上で入道雲を見上げて、見上げて、そのまま反り返って、ひっくり返って、芝生の斜面を転げ落ちたい。

 

2 .
高校か中学の時、創作ダンスの選択授業があったんだけど、僕は全く興味がなくて、むしろ誰がこんなのを取るのか不思議なぐらいだった。でも、それから10年ほど経つ間に何回かダンスを見て感動する瞬間があって、創作ダンスの魅力を知った。今ならどういう人が創作ダンスを取るのかわかる気がする。人の動きに感動したことのある人達なのだろう。

誰かが、小学生に絵を描かす前に、たくさん絵を見せた方がいいって言っていたけど、つまりはそういう事なんだろうなと思う。感動は人の心に火をつける。小学生が絵を見た方がいいのは、ただ表現の引き出しを作るだけじゃなく、絵を見て感動してその素晴らしさを知ってほしいからなんだろう。

そう考えると、たとえばそれを見て何が面白いのかわからない、感動出来ない、という事があれば、その人はそれに向いてないんだろう。それに対して情熱を燃やす事が出来ないからだ。でも、逆に、それに感動したからといって、必ずしも自分がそれに向いているとは限らない。自分がそれを見て、どこらへんに感動したのか吟味する必要がある。

なぜか知らないけれど、今日そんな事を夕日を見ながら考えていた。僕は夕日に感動していた。僕は入道雲にも感動する。でもそれをそのまま描いても、なんか違う気がする。どこに感動したのか考えるのは、なかなか楽しい。

 


中層の魚

1.
今日は過去の作品のリメイクを投入で。

 

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なんでか知らないけれど、僕は魚が空を泳いでいる様子を描くのが好きだ。海の中って上下どこにでも泳いでいける。鳥と違って、水の浮力で中層をフワフワと漂える魚は、鳥よりも自由度が高いように感じる。そういうところに憧れを感じているのかもしれない。

 

3.
今、例えば1000mもある深海のうち、500m付近を住処にしている魚って、どんな風に世界が見えているのか気になっている。

人間が生活している地上には、木や石などいろんなものが溢れかえっている。だから、自分が移動した時、それらのものからどれぐらい離れたかをみることで、自分がどれだけ移動したか視覚で感覚的に理解する事が出来る。

でも、大海原の真ん中の500mの中層に住む魚にとって、そんな目印なんてあるんだろうか。そこは、海底も見えず、水面も見えない。左右を見渡しても何も無い。そういうところに目印ってあるんだろうか。

人間の目には真っ暗でも、そこに住んでいる生き物にはかろうじて光は見えているのかもしれない。でも、視覚や重力の感覚で上下を判断する事は出来ても、左右(同じ深さの層)の位置関係はわかりにくいと思う。陸上のように位置関係を示す木のような目印が無いからだ。

見渡す限りどこまでも広がる空間。上を見ると、光が見える。そして下を見ると、吸い込まれるような深い闇。そして、前を見ても後ろを見ても、左右を見ても、何も無い。ただひたすら空間が広がっているだけだ。どれほど泳いでも、どれだけ移動したのかわからない。

走っても走っても、移動した実感が湧かないと、底に閉じ込められた気分になる。ずっと同じ部屋でベルトコンベアの上を走っているのと同じだ。一生をそういう空間で過ごす魚にとって、世界ってなんなのだろう。

 

4.

今日は風邪こそ落ち着いたものの、蓄膿症気味になってきてほほ骨や額あたりが痛くなってきている。まだ体調が万全でない事や、やるべき事が一段落着いたってこともあり、今日は家でマッタリ。窓の外の小雨が降る様子を眺めてた。中層を泳ぐ魚に、お前は孤独なのかと聞いてみたい。たまに起きる出会いを大切にしているかと聞いてみたい。今夜は雨の音を聞きながら深海の魚を思いを巡らせて寝る。

 


2000年の後夜祭

今までで一番アツいなと思った夜は、2002年のワールドカップを見た那覇市の火の玉ホール、2000年の大晦日、そして、2000年の高校の後夜祭。同じぐらいテンションが上がったときもあったかもしれないけれど、やっぱり多感な時期に経験する夜は全然違う。

2000年(高三)に行われた体育祭の後夜祭はもの凄く熱かった。ライブでは先生曰く「出来たての体育館のはずなのに揺れまくっていた」ほど盛り上がった。

特にこの後夜祭で一番印象にのこっていたのがこの二人で、手前は下田あきの、奥のオレンジの服は城間ゆうと。二人とも超絶に歌がうまくて、しかもダンスも出来るという、音楽のセンスがない僕としては異世界の存在だった。彼らの透き通るような声とゆったりとしたダンスは、他の出演者と比べても別格だったと思う。色物のパフォーマンスをする人が多い中、音楽で真っ向勝負する彼女らは、すぐに観客を虜にしてしまった。彼らのパフォーマンスを見ていて、これから僕らもこれに出るのかと思うと、すぐに逃げ出したくなる気分になった。

そう、実は音楽センスが無いと言っておきながらも、この後夜祭には僕もバンドのボーカルとして出たのだ。メンバーのほとんどが演奏経験の無い即席の色物バンドマンだったが、どういう風が吹いたのか、後夜祭に出場するための予選でかなり大当たりしてしまって、なんとトリを射止める事に成功したのだ(実際にはさらに後ろに告白イベントが入って、それが全部持っていってしまった)。ところが、本番では、前の人達でおしてしまったため楽器を調整する時間がぜんぜん無くて、演奏開始してるにもかかわらずギターもベースも音が鳴らなくて、大爆死。観客からペットボトルまで投げ込まれ、悲惨な目にあった(この話、結構面白いからいつか詳しく書きます)。

 

facebookのおかげで、高校時代はなかなか接点がなかった人とも交流が出来るようになって、本当にすごい時代になったなあと思う。あらためて10年以上も前のあの夜を思い出すと、違った風景が見えてくる。

今日は始め今まで通りイラレで描いていたけど、あのときの興奮がどっとわき上がって来て、ラフなテイストで一気に描いて気持ちよかった。

 


渡部家の結婚式

1.

昨日は大学の友人であるズンの結婚式だった。今回もウェルカムボードを作ったんだけど、火曜日から引いていた風邪のおかげで、制作が大幅に遅れてしまい、結局山内真とゆやまんにお手伝いを願いし、当日の朝に完成。二人のおかげで好評を頂くことができて有り難かったです。ところが、会場にかざられたボードの写真を撮り忘れるという痛恨のミスをしてしまった。誰か写真を撮った方、僕にお譲りください。。

ところで、ズンもまた結構伝説を残している強者だ。例えば大学3年の冬の夜、一人暮らしのアパートの部屋を全焼させた。しかもその時おりた保険金でビッグスクーターを購入し、日本全国に旅に出る。その後東南アジアに一ヶ月滞在して、各地を観光するもギャングに絡まれお金を搾り取られる。日本からお金を振り込まれるまでいろいろな裏技を見つけてなんとかすごす、、、とまあ書き出したらきりがない。

でも、実は彼こそが、僕に初めて本格的なイラストの仕事を振ってくれた張本人だったりする。それまで仕事らしい仕事がなかった僕に、いきなり来週までにテレビ用のイラストを30枚も描いてと依頼してきて、しかもその番組はテレビ東京のゴールデンタイム番組『爆笑問題の大変よく出来ました』だったという。

全く仕事をしていなくて、しかも営業をかけて来たわけでもない人に、いきなりこんな大量の責任ある仕事を振ってくる彼はやっぱりどこかぶっ飛んでる。でも、もしこれがなければフリーに本当になろうと決意出来たかわからない。だから実は、彼には一生の恩がある。

奥さんは今回のウェルカムボードの打ち合わせの時に初めてお会いしたんだけど、上の絵のようにかなりの美人さん。二人は出会ってからもう10年以上も経っていて、お互いを良く知ってるので、時々ぶっ飛んだ事をするズンもちゃんと受け止めてあげられると思う。二人ともおめでとさん。

でもズンよ、どんなに仕事が忙しくてもなるべく家には帰ってあげような〜。

 

2.

それにしても、昨日は信じられないぐらいの頭痛に襲われた。視界が狭まり「ぐわんぐわん」という音が脳内に響き渡るような感じ。電車の座席から立上がるたびに、万力でこめかみを強烈に締め上げるような激痛が走って、吐き気までしてきた。とにかく早く家に帰ろうと稲毛駅の駐輪場から自転車に乗り換えたが、足をこぐ度に声に出したくなるような痛みが起きて、小雨のなか前も良く見えなくて、そのまま紫陽花の生け垣に突っ込みそうになった。家に帰って倒れるように蒲団に突っ込んでねたんだけど、こんなに頭が痛くなる事があるのかと、感動すら覚えた。こんな事にも、感動する事があるのですね。

 

ということで今週も頑張っていきましょう。また一週間よろしくお願いします。

 


キラキラネームに関する2つの記事を読んでおぞましい気分になった


つい最近、いわゆるキラキラネームをつけられた高校生の女の子が、yahooの知恵袋に悩みを書き込んでいて、それに対して800件も回答が寄せられるってことがあった。

「わたしの名前は、キラキラネームです。」

この子は自分の名前がどうしても好きになれず、友達からあだ名として「優子」と呼んでもらうことにし、そのことを嬉しく思っていたが、両親はそれに激怒した。そこで、自分がキラキラネームのせいでどんなに苦労したか親に訴え、なぜこの名前を付けたのか聞いてみると、「かわいいからつけた、響きがいいから」と言われたという。その答えに彼女としては納得がいってないらしい。

確かにこれは…と思う名前って最近よく見かける。なぜ将来子供が苦労しそうな名前をつけるのか理解できなかった。

ところが今日某掲示板で、日本で最高に頭がいいとされてる大学を卒業した姉が、今度生まれる子供にキラキラネームをつけようとしているというスレを見て愕然とした。子供にポケモンの名前をつけようとしているのだ。直接は書かないが、トカゲを英語読みして、それに漢字をあてている。そんな名前だ。

掲示板のスレ主は弟らしく、その名前はやめろと姉を説得しようとしているのだが、「名前が別の人と被るのが嫌だから」として拒否するという。どうしても世界に1つだけの名前にしたいらしい。

そんな名前つけたら、先に上げた女子高生の事例みたいになる可能性が高いのは誰が見ても明らかだ。でも、こんなに頭のいいはずの人でも、子供の視点に立たずに、本当に親の願望だけで名前を付ける事があるんだと知ってショックを受けた。しかも本人はこれが子供のためになっていると思っているわけで、善意の気持ちしかない。それが本当にショックだった。「他の人と被ると腹が立つ」のは親であって、子供はぜんぜん思わないかもしれない。でも、親は全くそのことに気がつかないのだ。

今回の一連の記事を読んで思ったのは、子供を自分の「所有物」だと思っているからこういう事になるんじゃないのか?ってこと。

この人は、「誰とも被らないオンリーワンの名前をつけたい」という理由でこの名前を付けたとのことだった。スレッド内には特に書かれていないけれど、もしかしたらこの人は他にもいろんな願いをこの名前に込めたのかもしれない。そしてそれはどんな親でもする事だ。名前に自分の願望を込めない親っているだろうか。

でも、同時に子供も「他人」だって事を忘れちゃいけないとおもう。子供は親の「所有物」ではないのだ。子供はまだ発達途中だとはいえ、一人の人間なのだ。特にこの人にはそういう視点が欠けていると思う。もし自分がそういう名前だったとして、初対面の人に名前を名乗らないといけないとき、自分がなんと思うか全然考えた事がないのだ。なぜなら子供を自分の所有物だと考えているからだ。所有物だから、わざわざ所有物の視点に立つ必要などないのだ。

深夜なのにもの凄く腹立ってこんな事書いたけれど、明日冷静になったら消してるかもしれない。
でも、親の願望だけで名前をつけて、「お前のために考えたんだぞ」と言っている人を想像しておぞましい気持ちになった。

僕は子供が出来たら絶対一人の人間として接するぞ。風邪もどんどん酷くなってきたので寝る。