今日は空回り



 
今日は朝はやく起きて散歩した。だいたい六時半。空も奇麗でとても気持ちがいい!
・・・はずだった。
散歩に出たけど胸やけがひどくて歩いていられなくなった。
さらに、家に帰って作業をしてもうまく集中して勉強できず、昼過ぎには眠くて寝てしまい、そのまま夕方を迎える始末。
こんな日は雲の写真でも張っときます。俺はこの雲をスーパー君と名付けた。


ホームページ事件 沖縄の妖怪編

(今日は、昨日に記事の続きです。)
かくして、『沖縄の川魚』というテーマのホームページはめっちゃくちゃなものとなった。
先生「このままじゃあんたら成績どうなか知らないよ。」
それは大変だ。なんとかいい成績は欲しい。しかし、このままではホームページは出来ない。なぜなら、『沖縄の川魚』というテーマなのに、現在手元にある写真はテラピアと、悶絶している俺の写真しかないからだ。インターネットから写真を見つけてくるの能力を誰も持たなかった俺たちはまた釣りに行くしかなかったのだが、そんなことをしていたら提出期限に間に合わない。
俺「どうするテーマ変える?」
皆「じゃあ将樹が決めて」
俺「え?まじで?じゃあ、沖縄の妖怪な!」
俺の提案は驚くほどあっけなく通され、テーマは沖縄の妖怪に変更になった。
俺の中での構成は、まず沖縄の妖怪の絵を描いて、その後に説明を書くというもの。幸い俺の班には裕一郎と幸将という絵の得意な連中がいたので、絵を書く作業は実にはかどった。
元々妖怪好きだった俺はすぐに沖縄の妖怪を見つけることが出来た。説明文とあとがきは全部俺が書き、はじめの文句は裕一郎が書いた。
見ると・・・
『我々はこのページの前に“沖縄の川魚”という大傑作を作ったものの、権力に握りつぶされてしまった。なんと悲しいことか・・・・』
的なことが延々とつらつらと書かれていて、妖怪と関係あることが全く書かれてなかった。なんじゃそりゃ!
このサイトはほどなく完成し、無事何事もなく提出することが出来た。そして、次第にそのサイトの存在は記憶の彼方に忘れ去られていった。
一年後・・・・・。
俺は物理の時間の後、担任の先生から呼び出しを受けた。
先生「将樹・・・・なんかテレビ局の人がお前を取材したいんだって」
・・・・・・・・はああああ!!!???
俺「え!?どうしてですか?」
先生「なんか僕も詳しくわからないけど、沖縄の妖怪がどうたらこうたら言ってたよ。」
後で去年のパソコンの先生に話を聞くと、どうやら本土の関西のローカル放送局が俺らが作った『沖縄の妖怪』のページを見て興味をもったそうなのだ。その番組は、町中で活躍している、あるいはひっそりと頑張っている若者を取り上げる、若者版“情熱大陸”みたいなものらしい。
先生「でね、あんたが一番妖怪に詳しいんでしょ?あんたに密着したいんだって。」
なんということだ・・・・
遂に・・・遂に世界が俺に注目しだしたんだ・・・!!!
しかし、なぜ俺がこうも密着されなければならないんだろう・・?俺は日頃の生活を振り返ってみた。朝学校に行き、普通に勉強して(後に全然勉強しなくなる)、地獄のハンド部の練習に参加し、飯を食って勉強も何もせずひたすら寝るだけの生活。
“平凡”という言葉以外何も当てはまらない。
こんな俺の生活をテレビで流して何が楽しいのだろうか?視聴率がとれる様子などどこにもないような気がするんだけどそれは気のせい?
いやしかし・・・・
トゥルーマンショーとい映画が去年やっていた(当時は1999年)。あれは普通の人生を放送するという内容・・・。意外と普通の人生の方が、こんな世紀末にはぴったりなのかもしれない・・・・。
俺は本気でそんなことを考えていた。馬鹿である。でも俺はその頃は“情熱大陸”なんて番組を見たことがないし(そもそもやっていたのか?)、仕方なかったのかもしれない。
今考えれば、テレビ局の魂胆はおそらくこうだろう。
まず、俺が妖怪オタクであるということ。俺の家には妖怪のフィギュアが溢れ帰り、自分で書いた妖怪の絵が所狭しと山積みとなり、妖怪関係の本は書棚に収まりきれないほど。
また、その膨大な妖怪の知識を生かしてなんかのイベントに参加したり、あるいは協力したりする、バイタリティー溢れる変わった少年。それが俺で、その様子を密着して、テレビで流そうとでも思ったのだろう。
その方が面白いドキュメンタリーになるに決まってる。
でも当時の俺にこんなことを考えられるはずもなく、『とにかく普通を意識しよう』と思って家に帰った。すると・・。
弟「将樹、なんかテレビ局から電話が来ていたよ」
俺「なに!もうか!!」
全世界注目の男に一刻の猶予も許されない。俺は早速弟が書き留めていた番号をプッシュした。ものすごい緊張・・・。
プロデューサー(以下P)「はいもしもし」
俺「こ・・こんばんわ・・山里ですけど」
P「ああ!山里君か!見たよ君のサイト・・・。とても良かったよ」
俺「ありがとうございます」
P「ところでさ、今度そのことについて君を取材しようと思うんだけど、事前にいくつか聞いておきたいことがあって」
俺「はい、いいですよ」
P「君は妖怪について詳しいみたいだね?」
俺は妖怪の知識には自信があった。
俺「あ、かなり自信ありますよ。妖怪の本とか読みまくりましたし」
するとPは食いついてきた。
P「ああそう!妖怪の本読みまくったんだ!じゃあ、今もその本は家にあるのかな?」
俺「ああ、本なら、読みすぎてボロボロになったので捨てました。」
P「えっ・・・」
空気が読めてないのにもほどがある。
明らかにPは戸惑ったようだ。
P「あの八重山に現れたという人魚の絵、うまかったね!君は絵は得意なの?」
俺「得意ですよ!この前授業で描いた絵が、今度の文化祭のポスターになったんです」
P「そうか!じゃあ、君は妖怪の絵とかも書くの?」
俺「いや?、妖怪はあんま描かないっすね?」
P「え?かかないの?」
またしても会話が途切れてしまった。なぜ?
なんとかしなきゃ。
俺「でも俺、メガマンの絵は描きますよ。」
P「?なにそれ?」
俺「俺の友達が作ったキャラクターです」
P「それは別にいいんだ・・・。」
え・・・そうなの
P「じゃあ最後の質問だけど、君は何か趣味を持ってる?」
俺「え?趣味ですか?」
ここは最後の質問だから、なんとかいい答えを出したいところだ。
俺「趣味はありますよ。俺の趣味は、・・・散歩です。」
“俺は馬鹿です”と言ってるような答えである。
P「・・・散歩・・・・」
俺「そうです。散歩をすると、普段思いつかないこともいろいろ思いついたりします。草木のにおいもいいですし。また明日から頑張ろうって気になるんですよね。」
P「そう、じゃあ、ゆっくり散歩をして、いい発想をして、漫画家にでもなってよ。」
俺「あ、漫画家ですか!はい!頑張ります!」
電話を切った俺の心は晴れ晴れとしていた。だって、俺は応援されたんだぜ!どこかのプロデューサーに!こりゃガンバルッキャないぜ!!
その後、取材依頼がくることはなかった。
ホームページ事件終わり。


過去の傑作選 その1  ホームページ事件

今日はほぼ一日中家にこもってたんだけど、やるべきこともある程度やれて、今後につながるなかなか充実した一日をおくれたんじゃないかと思った。
でも、そんな時ほど日記に書くような記事はないわけで、今日は過去に起きたあぶない出来事を、こういう機会を使って少しずつ紹介していこうかなと思います。
ホームページ事件 沖縄の川魚編
俺が高校一年のとき、コンピューターの授業で、何人かのグループに分かれてインターネットでホームページを作って、東京の小学生に沖縄を紹介しよう、という課題があった。
俺の班には、このブログでおなじみの赤嶺涼と、裕一郎(←『GO!GO!MOVIE CRAZY』)、あと川満幸将(天才)の四人。
で、早速テーマは何にするかって話になったんだけど、おそらくみんなどうせ文化やら基地問題やら芸能人といった、オーソドックスなやつを作るんだろうと思って、俺たちは『沖縄の川魚』をやろうって話になった。多分沖縄の海の魚のことなら他のところでも見れるけど、川魚のことなんかはまずどこでもやらないだろうと思ったからだ。
で、この時点で既に涼はすべてのやる気を失っていた。彼はその後完全にフェードアウト。
その週末、俺は裕一郎と二人で釣りに出かけた。川の魚を釣って写真を撮るためだ。もちろんその頃はデジカメなんてない。使い捨てカメラで写真をとって、学校のスキャナーで先生にスキャンしてもらう。
その日は小雨の上に裕一郎は一時間以上も遅刻してきた。
早速竿(竹で出来たとっても安いやつ)を買った俺たちは釣りを開始。
普段はその川は入れ食いなのに、その日はなかなか魚が食い付かなかった。とは言っても釣った魚は10匹は余裕で超えた。しかし、釣れる魚は全部テラピアばかり。
テラピアとは、アフリカ産の魚で、戦争後に米軍が持ち込んで野生化してしまったものだ。沖縄の川という川には、このテラピアがうじゃうじゃいる。この魚は、味はタイに似ていて、『世界の食料危機を救う魚』とも言われているらしい。しかし、ホントに馬鹿な魚で何をやってもつれるという印象があるが、川が汚いので誰もその魚を食おうとはしない。
たちまち俺の使い捨てカメラはテラピアで半分ぐらい埋まってしまった。いくら東京にはいない魚とはいえ、こんなに地味な魚を大量に見せられても困るだろう。
俺はいい加減別の魚を釣りたくなった。この川には他にコイとフナがすんでいる。コイがつれることは滅多にないので、せめてフナだけでも釣りたい。すっかり釣りに飽きていた裕一郎にカメラを渡して、俺はフナを狙うことに没頭した。
俺は川底を狙うことにした。フナは川の底らへんにいることが多いからだ。
餌の自家製練り餌を投入ししばらく待つ。
しばらくすると、ウキにあたりが・・・。
やがて、ウキがす?っと水中に消えた。俺は今だと言わんばかりに竿をあわせた。
手応えあり!
しかし、それは俺が知っているフナの引きとは違った。なんか、重いゴミ袋でも引っかかった感じ。長靴だろうか?
ところが、俺の予想は大きく、それも場外ホームランぐらい大きく外れた。なんと釣れたのは、あの凶暴なスッポンだったのだ。
スッポンに噛まれたらたまったものではない。めちゃくちゃ痛い上に、雷が鳴ってもはなさないって言われるぐらい、やつは歯を食いしばる。
どうしようどうしよう・・・!とりあえず針を外さなくては!しかし、甲羅はぬるぬるしてるし、手で触るのは危険だ!そうだ、板だ。板で甲羅を押さえよう!
俺「裕一郎!板!板持ってきて!!」
裕一郎「わかった?!」
その間俺は針を外すことを考えた。スッポンはだいぶ針を飲み込んでいて、喉の当たりにまで達していた。近くにあったはさみで針をつかみ、抜こうとしたが無理だった。その瞬間、スッポンが首をのばして俺の指をかもうとした。パクッ!!パクッ!!って音が、その力強さを物語っていた。
俺は血の気が引いた。
俺「裕一郎ぉぉぉぉ!!!早くしろよ!!!」
裕一郎「ちょっと待って?、今探してる」
俺は針がついた糸を引っ張ってみた。すると、口の裏側の皮がずるずるむけかけた。スッポンは苦しそうに血をはいた。完全に口の中をえぐってしまったのだ。
俺は自分のやっていることが恐ろしくなった。めまいさえ感じた。なんていう残虐な行為。今すぐにでも逃げ出したい!完全にパニック。
俺「裕一郎!!まだかよおせーよ!!」
裕一郎の返事がしない。何してるんだよあいつ!どこまで板さがしにいったんだよ!
もう絶望的。もうどうすればいいんだよ!完全にこのスッポン衰弱してるよ!
と、おもったつぎの瞬間、俺は信じられない行動を取ってしまった。
針の糸を切って、スッポンを川に逃がしてしまったのだ。
・・・・・・針はついたままだ。
次第に実感がわいてきた俺は、自分がやらかした罪にうちのめされた。
なんてことだ・・・。あの罪のないスッポンは、これから喉に針が刺さったまま生きていかなければいけないのだ。
いや、生きていけるはずない。あのスッポンは強烈な苦しみにもだえながら、一匹むなしく死んでいくに違いない。
ああ!!!
俺は両手を地面について懺悔した。ごめんよ、スッポン。ホントにごめん。俺は最低な男だ。いや、あやまても謝り足りるものではない。俺は薄々気付いてたんだ。釣りという行為をしている限り、いつかこういう日がくるんじゃないかって。
動物を傷つけてそのあとごめんだなんてひどすぎる。なんて俺は駄目駄目なんだ・・・
・・・・・・・・・・・
しかし、このときふと疑問が頭をよぎった。
裕一郎はどうしていたんだ?
俺が何回たすけを呼んでも来なかった・・・。ていうか助けようともしなかった。
もし二人で知恵を出し合っていたら、もしかしたらあのスッポンを救えたかもしれない。なのにあいつは俺を助けなかった・・・
次第に俺は怒りが湧いてきた。なんで俺を助けなかったんだ!
俺「おい!裕一郎!!!」
俺はこのとき初めて裕一郎の方を見た。
・・・・・なっ!!
俺はホントに驚いた!
やつは、なんと俺のパニクっている様子から、四つん這いになってスッポンに懺悔している様子までの一部始終を、全部写真に収めていたのだ!
俺が必死で助けを呼んでるところを彼は笑いながら夢中でシャッターを切っていたのである。俺は泣きそうになりながらがんばっていたのに・・・!!
俺は完全に言葉をうしなった。  
現像してみると、写真はテラピアと俺の情けない姿しか映っていない。
翌日学校に行ってみると、裕一郎が一生懸命にホームページを作っていた。みると、タイトルは何故か『沖縄の川魚』ではなく、『スッポンになった少年』になっていた。
内容はだいたいこんな感じ。
スッポンが血を吐いたのを見てパニックになっている俺の写真、その後に
『バリバリ!スッポンうまいぞ!まるでパワーがみなぎるようだ!!』
次に四つん這いになって懺悔している俺の写真
『うおおおおお!!!体が熱いいいいい!!!』
スッポンをしのんで夕焼けに黄昏れてるおれの写真
『あいつは、スッポンになってしまった』(スッポンになってしまったのは、ここに写っている俺の双子の弟という設定だそうです)
もちろんこの作品が先生に評価されるはずもない。
(『ホームページ事件 沖縄の妖怪編』につづく)


サッカー

あさ、激しい筋肉痛と、鋭い頭痛で起きた。筋肉痛は絶対昨日のサッカーのせいだ。
昨日のあさから昼にかけてサッカーをした。
俺はかなり張り切っていて、わざわざ前日に70年代のドイツっぽいユニフォームを買ってきた。
いや?、先月みせられたからね?。西卓とムッシュとリョウが出てた千葉大カップ。まじかっこ良かった。あれ見せられた後すんごい気持ちが高ぶって、実家に帰っても一人でリフティングとかしてたし(その割には当日は出来なかったけど)。
しかし、はっきり言って、今回は不完全燃焼だった。
体が重くて、全然走れない。攻撃の後、守備に戻る気力もない。
ドリブルしても全然抜けない。足下でボールをキープできない。
き??!!!
しかし、この時の岡Pはまじでキレキレだった。ムッシュやら、秋草さんやらのシュートをことごとくはじき返した上に、世良への絶妙なパスや、大きなサイドチェンジまでやってた。サイドチェンジは失敗したけど、もし俺にちゃんとボールが通ってたら決定的なチャンスになっていた。それは広い視野がなければ出来ない芸当だ。
すごい広い視野。そう思って岡Pを見ると、笑顔のときになる、垂れて細くなった目が神々しく感じられたから不思議だ。
ユウジにも、完全にどこに抜くのか読まれていた気がする。ただ最近抜き方がワンパターンになっているのもあると思うんだけど、でも読まれたのは素直に悔しかった。
世良にはマタ抜きでやられるし。そしてムッシュに至ってはあの爆発的スピードについていけず・・・。
なにより、せっかく指名してくれたサオリンの為に勝てなかったのが一番残念。
でも、スポ兵を終えて足を見ると、小指の皮がむけ、親指にでっかい血豆が出来ていた。
スポ兵の充実度のあかし。これが出来てなきゃ、あんまりやった感が無いんだよね?。
またやらないかな。完全にスポ兵中毒


9月に入り沖縄を去る

さっきやっと千葉の家に着きました。
ス—パーダラダラ生活も終わって明日からまたなんかやっていこうと思います。
で、思ったんだけど、何かに極端になってみようと思った。中途半端はやめて。
例えば、一日イスに座ってる!とか。
一日中腕立て伏せする!とか。
三日間寝ずに遊ぶ!とか。
一週間映画しか見ない!とか。
・・・・・・勉強のことが一個もない・・・・
では、CXが始まるのでこれにて。