【ネタ】スッポン事件

 

(※今回はだいぶ前にブログに書いた文章を書きなおしたものです)

 

 

 

 

 

高校一年の時、情報処理の授業があった。

初夏の頃、課題でホームページを作ることになった。

テーマは「東京の小学生に沖縄を紹介するぺージ」。

一班4人編成でページを作ることになったが、僕らの班は皆この授業に対してやる気がなかった。そこで、僕は当時死ぬほど川釣りにハマっていたので、川で釣った魚をテキトーに写真に撮ってアップすればいいんじゃない?と提案したところ、それがあっさり通った。かくして、テーマは「沖縄の川魚」に決まった。

東京の小学生が全く興味を持たなそうな、完全に自己中心的なテーマだった。

 

 

 

その週末、僕は近所の川で釣りをした。

いっしょに来たのは裕一郎。僕らの班には他にも2人いたはずだが参加せず、裕一郎も一時間遅れてくる始末。

でも、完全に僕の趣味がテーマだし、みんなやる気なかったししょうがなかったのかもしれない。

釣りが始まると、途端にティラピアが釣れまくった。

 

 

 

ここでちょっとだけこの川について

沖縄では海釣りは盛んだけれど、川釣りはほとんどしない。なぜなら、海と違って川はかなり汚いからだ。

沖縄のほとんどの川では、きれいな水に住む魚は死に、繁殖力の強いティラピアという外来種が王国を築いている。

この川も例外ではなかった。

2年前に死んだ祖父が、この川もティラピアしかいない、昔いた他の魚はみんな死んだ、と言っていて、僕もそう信じていた。それでも小学校の頃はティラピアを釣るだけでとても楽しかった。

 

ところがある日、川底の方を狙って釣りをしていたら、見たこともない魚が釣れた。

それはフナという魚だった。

その後も、この川でコイやグッピー、タウナギ、テナガエビなどを見つけることができた。

この川にはティラピア以外にも、いろんな魚がいるということを知って衝撃を受けた。汚い川も、次第に綺麗になって多くの生物のすみかに変わっていたのだ。僕はそのことを体感することができて、嬉しかった。

だから、ホームページ作りにはそれほど興味を持たなかったものの、僕はこの川で釣りするのは大好きだった。

 

 

 

 

 

 

川好きの僕としては、裕一郎がどんどん興味を失っていく様子を見るのは辛かった。

だから、なんとしてもティラピア以外の釣りたかった。

 

僕はウキ下を伸ばし、川底の魚を狙った。

 

すると。。

 

 

 

 

それは甲羅の大きさが30センチほどもあるスッポンだった。

 

 

 

 

スッポンは噛む力が強い上、一度噛んだらなかなか離さないという。僕は噛まれたことはなかったが、正直僕にとっては恐怖の対象だった。

だから、スッポンを固定して、安全を確保してから針を外したかった。

 

 

ところが、スッポンの甲羅はヌルヌル滑り、なかなか素手では抑えられない

 

 

さらに悪いことに、スッポンは見れば見るほど喉の奥まで針を飲み込んでいた。 これはちょっとやそっとじゃ取れそうにない。

 

 

もし魚と同じやり方で取るならば、口をこじ開け、先の曲がった針金のようなもので針を外す。するとそれなりの道具が必要になる。

 

 

僕は、裕一郎が道具を探している間、スッポンの口をどうやって開けさせたままにするか考えた。

 

 

 

ところが、、

 

 

 

 

次第に僕は焦りはじめた。すると

 

 

 

 

僕は大急ぎでスッポンを引き戻し、地面に押さえつける。

すると

 

 

 

 

 

口から何か赤い液体を吐き出した。それは血だった。

さっきまた竿にぶら下がった時に、釣り針がより深く喉に食い込んだようだった。

 

 

 

 

僕は、この時ようやく、自分がやっていることの残酷さを実感した。

罪の意識と恐ろしさが津波のように一気に押し寄せて、気が遠くなりそうになった。

 

僕はパニックになった。

 

 

 

 

 

 

僕は恐怖を感じ、一層パニックになった。

 

 

 

 

 

 

裕一郎は、何度呼んでも気のない返事しかしなかった。

こうなったら僕だけでなんとかするしかない。

僕は落ち着こうと試みる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パニックのせいで、僕の思考回路はおかしくなった。もしかしたら、多少強引に糸を引っ張れば、案外簡単に針がはずれるかもしれない、と思ったのだ。

それで、僕は誤った行動に出てしまった。

 

つまり、、糸を強引に引っ張ったのだ。

 

 

 

結果は壮絶だった。

 

 

嫌な感触とともに、凄惨な光景が目の前に広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はあろうことか、針がついたまま川に放り投げてしまった。

 

僕は怖くて、怖くて、逃げてしまったのだ。

 

当然、この先スッポンは生きていけるはずがない。

 

 

じわじわと、自分のやったことに対する罪悪感と自己嫌悪がこみ上げてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なっ・・・!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼は、はじめから道具を探しに行かず、一部始終を写真に収めていたのだ。

僕が焦っているのも含めて全部。

 

・・・・・・

 

僕はこの展開についていけず、怒りもどこかに飛んでいってしまった。

僕は疲れ果て、その日はこれで終わることにした。

 

 

 

 

 

 

次の週の情報の授業。

 

 

 

裕一郎はニヤニヤしながら僕にこう言ってきた。

 

 

 

 

 

彼はパソコンの画面を誰にも見せず、一心不乱にキーボードを叩き続けた。

 

 

ところが。

 

 

 

 

 

 

僕らは強引に裕一郎のパソコンの前に割り込み、画面を覗いた。

画面にはこう書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スッポンになった少年」は、

「東京の小学生に沖縄を紹介する」という課題の趣旨から大きく逸脱していたため、

作りなおしを命じられた。