先週の三連休の中日に当たる土曜日、カメラを手に昭和の森に行ってきました。僕は昭和の森のことはほとんど知らなかったのですが、足を踏み入れてみると予想以上に大きな公園で、巨大なプレハブが立っていたり、だだっ広い広場や雑木林が広がっていたり、湿地帯があったりとバラエティ豊かで、歩いているだけで風景がめまぐるしく変化して楽しかったです。
でも、一番印象に残ったのは風景ではなく公園でシャボン玉を飛ばしているおじさんと、それに群がる子供達、そしてその親たちでした。そのおじさんは、二本の棒の先端についた紐を石鹸水に浸したあと、 それを巧みに操って様々な泡を生み出していました。僕も以前、こういうことをやっている人を見たことがあります。その紐で、でっかい風船を作ったりするんです。
しかし、今回圧巻だったのはそうじゃなくて、ちょっと大きめの泡と細かい泡を一気に大量に作り出すというものでした。紐をよく見てみると、鎖状に小さな輪っかが数珠繋ぎになっていて、その小さな穴から大量の泡を一気に生み出していました。その泡の大群は風に乗り、空中をまるで川のように流れ、11月の夕日の中に消えて行きました。その泡の流れに手を延ばし、巨大な泡な泡を必死で追いかける小さい子供達。
二本の棒の先から泡を生み出すおじさんの様子は、非常にベタな表現だけど、まさに魔法使いのようでした。石鹸という種は仕込んでいるものの、何もないところから儚く消える泡を果てしなく生み出す様子はまさに魔法。現代に残された数少ない魔法です。
今や小さい時からiPadやらCGやらに慣れ親しんでいる子供達にとっても、シャボン玉は未だに魔法として健在なんだなと思いました。「消えた泡はどこに行くの?」とお父さんに聞く子供が本当に可愛かった。そして、気がつけば、写真をとっている僕自身がそれに夢中になっていました。
考えて見たら、シャボン玉が生み出される瞬間て、本当にその場にいなければ体験できないんですよね。シャボン玉は生み出すことはできても、手に入れることはできない。だからシャボン玉がある光景なんてそこにしかないんです。シャボン玉が空中を飛んでいるこの瞬間って本当に特別なんですよ。