死は無

人間って、死んだら本当に無になるんだろうなって思うようになってきた。
人間の体を構成する要素は、タンパク質だのなんだのといろいろあるらしいんだけど、どれも新陳代謝みたいな働きによって、全部入れ替わってしまうんだって。一年もたてば、殆ど完全な別人になっているらしい。そして、養老孟司曰く、人間の体はこういう『システム』であり、自然と一緒。体は自然そのものなのだそうだ。
精神は日々変わりゆく肉体を、同じ人間だとしてつなぎ止める役割も持っていて、だからこそアイデンティティが保たれる。
精神自体は、脳の働きから生み出されているのは間違いないらしいんだけど、どのように生み出されるのかは全くの謎。神経細胞を流れる電気信号の状態でどんどん生み出されるんじゃないかって思われる。
ところが、電気が流れる・流れない、という差異しか起きない神経細胞は、コンピューターでいう0と1と同じようなデジタル的な振る舞いをするにもかかわらず、なぜか生み出される精神は曖昧で、コンピューターのパキパキとしたデジタルな世界とはかけ離れている。茂木健一郎は奇跡的な現象だと言っていた。この仕組みは、いずれは解明されてくることだろう。
でも、僕としては、昔は、脳はなんか霊の乗り物のようなもので、俺のコアになるような小人が、ウィーン、ガシャンとハンドルを操作しているようなもんなんじゃないのかと思っていたわけで(小人の脳を操作しているのは更に小さい小人)、そんな事実を本で読むたんびにガッカリしてくるわけです。
先日船橋でサークルの先輩と同輩で飲み会をした。ユウジと俺はお酒自体は若干セーブ気味だったが、顔を真っ赤にして嵐と化した某先輩が僕らを巻き込み、ウギャーとかいいながらあえなく撃沈。
目が覚めたら、ズンの家。それまでは何の夢も見ない全くの闇だった。いや、闇だったという自覚すらなかった。
アルコール漬けの脳は、なんにも感じないし、なんにも見えない。ましてや何も感じていないという自覚すらない。
これって無なんだろう。死後の世界ってどうなんだ?とかいうけど、このような状態なのかもしれない。
あるいはノンレム睡眠の時。あれも完全に無だ。
死というのはシステムの停止。システムが停止すると精神も停止。自覚のない無の世界。そういう事だと思います。
小人が脳から脱出する事は無いのだ。
(でも、痛いのや苦しいのは嫌だから死にたくないです)