デザインにいて考えたこと(まじめな話)/TV出ます(ただのニッキ)

(今日は2部構成です)
1.今日のメモ(すっごいまじめなので読み飛ばしても可)
今学校で、ある会社との産学協同のプロジェクトをやってるんだけど、それがなかなかうまくいってない。


課題は家の収納のことについてで、僕らのグループはリビングに置ける簡単な収納器具を考えてます。それで、結構いいアイディアが出てきて、今のところそれが一番有力なんだけど、それがなんかどうもシックリこない。
それで、班の中で議論しまくって出てきた結論は『見た目からは、これが何に使われるのかイマイチイメージできないからビミョーなんじゃないのか?』だった。
そのためだろうか。今日の視覚の赤瀬先生の授業で、『すべての物は記号だ』と聞いたときは本当に目から鱗だった。
これはどういうことかというと、例えばある人が包丁を見たとき、「これは鋭くて、冷たくて、めっちゃ切れそうだ」と感じたとします。で、この現象は、包丁自身の形がそういうことを表現している、とも取れるわけです。
もちろん以前そのひとが刃物の類いの物を経験していなければ、包丁がいくら包丁の形をしていても「これは切れそうだ」と感じることはない(幼児が包丁の恐ろしさを知らないのは馬鹿だからじゃないんだよ)。
しかし、みんなやがていろんな経験をしていくわけで、そうなってくると物の形が記号性を帯びてくる。もの自体がさまざまな情報を発している状態になってくるのです(でいいのかな?プリントを学校に忘れてしまった・・)。
で、プロダクトデザインにこのことを当てはめてみると・・
提案するプロダクトにも、そのような見た目の記号性、情報が入ってなければいけない、ということになるよなあ。
やっぱりデザインされた物は、それ自体がある程度使われ方を表現していないと(記号化してないと)、誰もどう使えばいいのかわからないし、使ったとしてもあんまいい心地がしない(と思う)。
こう書いてみると、なんかすっごい当たり前なことなんだけど、今までスケッチをしたり、いろいろ提案している時は、いつも見落としてしまうんだよね。現に僕らのプロジェクトでもそのような視点が欠如していたわけだし。
でも、ここまではまだ以前から考えていたこと。
目から鱗だったのは、この記号というのは使い方だけではなく、それを使った時の感情も含んでいる(包丁が切れそう→大根をスパスパと切ったとき気持ち良さそう)ということなんだよね。これも当然デザインに反映させなきゃならない。
これ、いままであまりこのことを意識してなかったわけですよ。「物をこう使います」ということは考えても、「ユーザーは見た瞬間こう感じる」「それで、さらにこう感じる」という風に考えてスケッチしていたことはほとんどない。
機能と同時にエモーションもデザイン!!うほーー!!鱗ぎょうさん出まっせ!!!
デザインやってる人なら誰でも知ってる人で、深沢直人さんていう方がいます。auのInfobarを作って一気に有名になった人です。で、以前その人の『デザインの輪郭』って本を読んだんだけど、書いていることの意味がちっとも分からなくて、すごくつまらないと思っておりました。でも、さっきまで書いていたプロダクトの外見の記号性に関することを考えているうちに、何となくあの本のいいたかったことの一端が見えてきたような気がした。
深沢さんは本の中で「デザイナーは語る必要はない、物が語ればいい」と書いていた。それはつまり、使い方と使った時の感情、それらを同時に表現するプロダクトを作れ、といっていうことなのかもしれない。
それで気がついたんだけど、そういえば、深沢さんは自分の感じたことを何かに例えて人に表現するのがとてもうまいと思う。
例えば、新しい携帯Infobar2を『口の中で溶けかけの飴玉』と表現していた。
そういえば、以前学校に講演に来ていた柴田文江さん(この人も超有名プロダクトデザイナー)も、デザインの打ち合わせの時に『プニプニッとしたような』みたいな擬態語をたくさん使うって言ってた。
糸井重里さんも、他人の話を聞いたとき、『つまり、こうこうこう・・・って感じだよね』と自分の感覚に置き換えるのがうまいと思う。
多分こういう分野で成功している人は、この普段感じる感覚を自分の言葉に置き換えて、たくさんストックして、自分の中に蓄えているんだろう。包丁も、『切れやすい!』を体験していなければ、切れやすそうかどうか見た目で判断できない。そういう『鋭く切れそうな感覚』という経験をたくさん蓄積しているのだろう。そしてそれらを、デザインを考える鍵の一つにしているに違いない。
深沢『感じることすべてが情報です。人間が生きている以上、情報がないところはないと思います。』
なるほど!オレも蓄えよう!!
深沢『「どんな物でも形にするよ」という力がなければ、アイディアはあっても着地はしない。』
  『抽象の具体化にブレがないということ。「たとえば・・・」にずれがないこと。それとデザインは同じです』
うひゃ?・・頑張ります.,,
2.TV出ます!!(フツーのニッキ)
今日テレビの取材があったぜ!!といってもスカパーだけど!
実は去年の年末、環境デザイン研究室の有志が集まって、西千葉の『ゆりの木通り』にシャッターアートを描きました。で、なんとそれをテレビ局が目をつけて、僕らの取材をしたいと言ってきたのです。
で、参加したメンバーはゆやまん、Kざわ君、オレの三人。
で、撮影現場に向かいました。陣形はKざわ君が先頭、ゆやまんが後ろ左、オレが後ろ右側の三角形です。これは三人の中の発言権を無言に表現したものです(オレは犬並みの地位)。
で、いざゆりの木通りに着くと、もうカメラマンなどのスタッフが来てたのね。
で!! カメラマンの隣をよーく観ると、なんとそこにはみずきちゃんが!!(注:サークルの後輩)しかも手にマイク持ってるの!!!
なんと、今日のインタビュアーなんだって!まじかよ!すげーよ!!
それで、それでてっきりインタビュー中は、Kざわ君の後ろでゆやまんと一緒にうんうんと首をふるだけだと思ったんだけど、急遽オレが喋ることになってしまった。
え、ええ・・
案の定、後輩の前でオレは噛みまくった。そう、噛みまくったさぁ。
でも!!TAKE2ではオレに神が降りてきて、かなり流暢な日本語が話せました!いえーい!かっこいいところ見せたぜ!!
オレ「うひょー!!(←うるさい)」
ミズキちゃん「フフフ♡」
ゆやまん「アーッハッハーーー!!!山里君殺す」
Kざわ君「フッ・・・」
ワハハハハ!!今日もいい日だった!!
おまけ
明日から北海道に行ってきます。