不発弾の話

今日は地元沖縄では『慰霊の日』ということもあり、今回は地元に今でもたくさん埋まっていると言われる不発弾に関する思い出話でも書こうと思います。
本土の人には想像もつかないことなのかも知れないけど、沖縄では毎年どこかで比較的頻繁に不発弾処理が行われている。そのだいたいが畑で見つかったり、道路工事中に見つかったりする。
俺の記憶のなかで不発弾処理に関する一番古い記憶は、幼稚園の頃のある夏の日。


近くに住んでいる当時ものすごく仲が良かった友人の家に遊びに行ったが、外出中だったので、俺は一人虫取り網を持って、近くの林に蝉を捕りに行った。
一人で蝉を捕っていると、後ろから警備服か警察の制服をきたおじさんがやってきた。俺がセミ取りをしているというと、そのおじさんは一緒にとってあげるよと言ってきた。俺は嬉しくて、高くて手が届かないところにいる蝉をどんどん捕ってもらった。
虫かごはすぐに蝉でいっぱいになり、俺は警備員に家の場所を聞かれた。俺がそこまで案内したあげるよ、と、警備員を引っ張って帰り道を歩いていると、向こうから母が幼い弟を抱えて走ってきた。
そのとき初めて、俺はいまここが不発弾処理の避難区域になっていることを知った。
だいたい不発弾処理をする時は、埋まっているところを中心に、かなり大げさと思えるぐらいの広範囲を避難区域にする。たいていは爆発することなんて無いので、みんな逃げずに家でくつろいでいる。少なくとも俺はそうだった。
同じ林で起きた不発弾関連。
中学のある晴れた日、茂みに隠していたエロ本を見に林を訪れたとき、前日の大雨で道路沿いの斜面で小さな土砂くずれが起きているのを見つけた。それを横目に流しながら目的の場所に向かっていたら、崩れた斜面の下の雑草のかげに、見慣れぬものがころがっているのが目についた。
結論から言うと、それは表面がさびた、古い手榴弾だった。
俺は大いに驚いた。おそるおそる手に取ってみた。意外にずっしりと重く、表面はパイナップルの皮に似ていて、一個一個の鉄の出っ張りが、何かの細胞のように組合わさっていた。手榴弾が爆発すると、この鉄の出っ張りは一つ一つに分解し、弾丸のようなスピードで周囲の敵に命中、肉体を粉々にする。
俺は、どうしてもそれを家に持って帰りたくなった。しかし、爆発するかもしれない。そうなったら俺の人生はエロ本を読む前に終わりだ。
そこで、試しに壁に向かって投げてみた。爆発しなかった。
それで、それを持ち、ゆっくり歩きながら、じいちゃんの家に持って行った。じいちゃんはそれを見るやいなや、きぃええええええ・・・!とかいう変なうなり声をあげて、いきなり警察に電話した後、思いっきり俺をしかりつけた。
後になって、自分のやらかしたことを非常に恐ろしく感じた。
翌日は自衛隊が来て、その手榴弾を持って行ったらしい。学校中だったので見れなかったのが残念だった
ニ浪の時に、かなり面白い事件があった。
俺の記憶が確かならば、おそらく空港関係で、沖縄本島の近海の海底を調査中に、数本の不発弾が見つかった。それを掘り起こした業者(?)は、すでに爆発能力を失ったと見て、そのうち三本を、なぜか国際通り付近にある沖縄県庁に持って行った、
ところが、そこでとんでもないことがわかった。三本全部かどうかはわからないんだけど、その持ち込まれた不発弾のなかに、信管が抜かれていないものがあったのだ。
信管があるってことは、爆発の危険性がある。それで、県庁を中心に避難勧告が出された。
これには本当に笑った。俺の通っていた予備校もその国際通り沿いだったので、ここも範囲内なのかなーと友達と笑いながら勉強していた。完全に避難地域範囲の国際通りはいつもと同じ時間が流れていた。
それにしてもあの依頼されて不発弾を運んだ業者。信管に気付かなかったという理由で書類送検されたらしい。
俺が今の歳であの手榴弾を見つけて、しかも信管が抜かれてなかったら、俺も書類送検されていたのだろうか。
ひゃぁぁぁあぁ・・・・・