悲しき百科全書

沖縄から帰ってきました。
きょうコンビニ行ったらJJに遭遇。久しぶりに話してたら、この間の放送大学のバイトの話になって、それで話してたらなかなか面白いかもと思ったのでここに書きます。


俺は今二つバイトを掛け持ちしていて、日夕苑の夜勤と、この放送大学のパシリである。JJに紹介されて始めた。
で、やることは本当にただのパシリ。お茶を汲んだり、ビデオを運んだり、パネルを交換したり。とても楽だが退屈で、なのにまだなれなくてしょっちゅう怒られる。でも、時給が半端なく良いので、まだダラダラ続けている感じだ。
五月三十日、俺が放送大学の控え室に行くと、豪快なプロデューサーから「『百科全書』を図書館からもってこい」と言われた。この日の客員教授が白人なので、すぐ怒るから丁寧に扱えとのことだった。
プロデューサー「初版本だから気をつけてね」
普通に百科事典を持ってこようと図書館に向かったら、背後から呼び止められた。
プロデューサー「君は『百科全書』が何なのかわかっているかね?」
質問の意味が分からなかった。普通に百科事典のことなんじゃないの?ところが、すぐにそれとは別に、『百科全書』のことを昔どこかで聞いたような気がしてきた。
・・なんか・・・倫理の教科書かなんかで・・・見たような・・・・・
俺「・・・もしかして、何百年か前に、フランスかどこかで作られた・・・」
プロデューサー「おお、よくわかったね。それだよ」
はああああああ!?うっそーーーー!!?そんなのがこんなところにあんの!??
『百科全書』とは、フランスの啓蒙思想家ディドロと、数学者ダランベールが1751年から1772年の二十年間をかけて完成させた、全28巻の大規模な百科事典のことである。1751年は、日本で言うと徳川幕府の八代将軍吉宗の頃である。
俺はもう一人のパートナーと一緒にカートを持って、放送大学図書館に向かった。百科全書は空気と光量を管理された部屋に、積まれて厳重に保存されていた。
それは茶色くて、表紙はA2ほどの大きさもあり、五センチほどの厚さがある重厚なものであった。度重なる世界の動乱をこの本は生き延びて、当時の情熱と叡智を現在に伝えているんだと思うと、神妙な気持ちにならざるを得なかった。
一緒に案内してくれた係の人が、白い手袋をつけて、慎重に一冊づつカートの中に置いていった。全巻合わせると、値段は八桁はくだらないらしい。責任重大である。
俺たちはそれをスタジオに運んだ。FD(フロア・ディレクター)さんが現れた。
FD「これを後ろのセットに並べましょう」
後ろのセットとは、ようはテレビのアナウンサーの後ろにある装飾のことである。
ええーーー!!?こんな重要な文化財を、ただの飾りにすんの!!?
この本にロマンを感じていた俺としては正直抵抗があった。手袋で触ること自体抵抗があった。だって、歴史的建造物以外で教科書に載っているもので、実物をこんなにまじかで見たのって多分初めてなんだぜ!?手袋で触るのもおこがましい気がする・・・。
しかし、バイトなのだからしょうがない。俺は手袋をしておもむろに本を持ち上げ、本棚に置いた。FDさんも一緒だった。
俺は緊張して動きは非常に遅かった。そのため、プロデューサーはイライラし、俺をせかした。
焦った俺はまた次の本を持ち上げた。すると、大変なことに気がついた。本の表紙の一部がぱらぱらとはげて、粉と化して散らばっているのだ。これは風化しているに違いない!!
乱暴に扱ったら絶対壊れる!!
プロデューサー「早くなりませんかね。」
でも、俺は早く運べなかった。これをこわすのが怖かった。
すると、豪快なプロデューサーはこちらにコツコツ歩いてきた。
プロデューサー「私も手伝うよ」
すると、このプロデューサーは暴挙に出た。
なんと彼は素手で百科全書を片手で持ち上げだしたのだ!豪快に鷲掴みして、本棚に置いていくのである。あっけにとられる俺とパートナーとFDさん。
いいのかよこれで!!貴重な文化財なんだぞ!!日本の文化財じゃないからって、粗末に扱っていいってもんじゃないんだぞ!!
そのときだった。背後のスタジオのドアが開き、白人が入ってきた。この人が今日の客員教授だ。白人の目には、二百年ものときを超え、現在に知識を伝える偉大な書物を、素手で、しかも片手で持ち上げる豪快な中年の日本人が映った。
プロデューサー「・・・・・」
白人「・・・・・・・」
スタジオに緊張した空気が張りつめる!
白人「・・・・・ソノ本、モウ少シ右ダネ」
プロデューサー「あ、はい」
なっ!!?
文化財なんて裏方ではこんな扱いなんだね。