金曜日のデモを見て思うこと

 

先週金曜日のツイッターのタイムラインに原発再稼働反対デモの情報が流れてきた。主催者の発表によれば21時の時点で4万5千人も参加していたらしい。知人も数名参加していて、その場の写真もタイムラインに載って伝わってきた(のちの警察発表では1万人とのこと)。写真に写っている人たちはみな思い思いに原発に反対する意思を表現していた。少なくとも内閣の遺影を持っているような人はいなくて、真摯な気持ちで訴えているように僕には思えた。僕はそれを見て悲しくなった。

僕はその時、1995年の9月に起きた沖縄の少女暴行事件を思い出していた。当時12歳だった女の子が、若い米兵3名に手足を縛られて監禁され、海辺で性的暴行を受けたのだ。
数々の証拠から、警察は海兵隊が関与していることは間違いないとし、逮捕状を請求した。ところが、そこに日米地位協定が立ちはだかる。
それによると、被疑者がアメリカ兵の場合、その身柄がアメリカ側の手中にあるとき、起訴されるまではアメリカが被疑者の拘禁を引き続き行うとのことだった。つまり、事実上は米軍が犯罪を犯してもアメリカに保護されるわけで、逮捕状が発行されても、アメリカ兵を逮捕して取り調べを行うことができないのだ。

これで県民の怒りは一気に爆発した。それまで溜まりに溜まった基地に対する不満が、一気に吹き出し、島を覆いつくした。僕は当時中学生だったが、学校の先生(なぜか音楽の先生の怒りが半端無かった)や周りの大人達の反応から、その空気をひしひしと感じた。

そしてそれは、同年10月21日にかつてない規模の反基地デモへと発展した。当時の知事である大田昌秀も参加し、主催者発表によると、参加者は8万5千人にも達した。みんな米軍基地の整理・縮小、日米地位協定の見直しを叫び、知事も政府に対し強くその実行を迫った。そしてデモが終了しても、沖縄の反基地感情はものすごい勢いだった。

その結果、翌年、当時の橋本首相が、記者会見で、普天間基地を5年〜7年で全面返還することを約束した。また米軍基地の縮小などの方向性も示された。

でも、17年以上たった今、沖縄はどうなったのか。

日米地位協定も、「改正」こそできなかったものの「改善」はされた。そのため、米軍が犯罪を犯した時、米軍の「好意的な考慮」によって日本側に引き渡されるようになった。
でも、未だに普天間基地は存在するし、基地をとりまく沖縄の現状はほとんど変わっていない。そのかわり、政府から多額のお金が沖縄に入るようになった。事実上の基地の見舞金だ。沖縄はその金に溺れ、未だに経済的自立ができていない。結局はほとんどなにも変わっていないどころか、もっとダメになった。

この一連の時期とともに成長してきた僕が学んだこと、それは「デモで大声を出しても、根本はほとんどなにも変わらない」ということ。

島に住む人達のうち8万5千人が集まっても、なにも変わらないのだ。ただ叫んでも意味は無いのだ。

沖縄の人にとって、基地は生活に関わる大問題だった。でもそれは、「日本国の国益」を考える人たちにとってはただの現地のわがままにしか映らなかったのだ。あの日の8万5千人の情熱は、結局一定の譲歩(のようなもの)とお金を渡せばいいと思われたのだ。情けない話だけど、沖縄はそのお金を受け取った。本土復帰前から本土との経済格差がものすごい差になっていたのだからしかたない話なのかもしれない。

僕は将来的には脱原発派だけど、本当に夏の電力が足りなくて経済がいっそう悪くなるのなら、一時的な再稼働もしょうがないんじゃないかと思っている。だから何が何でも再稼働反対って人には必ずしも全面的に共感するわけではない。それに一番の反原発の行為は、代替エネルギーの開発だと思ってる。僕にはそれは無理だけど、たとえばそれを使った商品に金を払うなどとといった支援の仕方は出来るんじゃないかと思っている。だから反原発のアピールはデモが一番だとも思わない。

それでもその人達のデモでの情熱は、(礼儀正しい抗議である限り)観ていて共感してしまう。沖縄のあの日のデモを思い出すからだ。でもそれだけに悲しくなってしまう。僕は沖縄のデモの結果とともに成長してきて、政府への抗議行動に対して無力感を植え付けられて生きてきた。沖縄の同世代にもそういう人は多いと思う。

これ以上民衆の声が届かないという無力感を国民に植え付けないでほしい。再稼働するならば、ちゃんとした説明を国民に対して欲しい。
本当に道を踏み外しそうになる時も、民衆の声をちゃんと聞いてくれるような政府であって欲しい。

随分自分勝手だけどそんなことを思いました。