大盛りは無理

 

先日、東郷君と昼食を食べる約束を完全に忘れてて、一時間も遅刻をするという大失態をやらかした。
Facebook経由のメールでそのことを思い出した。メールを見た瞬間、完全に世界の時間が止まった。
待ち合わせの定食屋に駆けつけると、東郷君他2人が飯を食べずに待っていて、大変申し訳ない感じなっていた。ひたすら謝って席に着く。

みんなすでに注文しているらしく、大盛りを頼んでいた。
僕は普段少食なので、大盛りなんて無理だろうと思ってたけど、こんだけ豪快に遅刻しておいて並盛りなんてふざけすぎだろと思い、注文。
ところがこれが大失敗だった。
出てきたドンブリの大きさは異常だった。丼を持った時の重量感。こんなのを胃に詰め込んだら破裂してしまう。しかもこのドンブリ、油がすごかった。表面がテカテカ光っていて、見ているだけで胸やけしそうだ。
こんなの食える分けねーだろ。ふざけんなとばかりに他の三人を覗いたら、みんな僕より一回り若いせいか、どんぶりの肉やら油やらをガッツガツ食べる。しかも食うのが早い。僕はまだ3分の2も残っているのに、残る3人はもう食べ切ってしまった。僕はというと、激しい量とアブラギッシュさに、早くも気分が悪くなっていた。でも、遅刻しておいて、暗いムードを醸し出したら大変だと、笑顔でしゃべりながら頑張って掻き込む。ちょっと前までこんな芸当できなかった。俺も大人になったもんだ。
でもいっこうに量が減らない。皿の底から湧いてきてるんじゃないのかとさえ思えるほどだ。途中から咳をしたら、胃からご飯が飛び出るようになってきた。

結局残ったご飯を手伝ってもらった上に、あと少し残してギブアップ。これ以上は無理。
ところが、 食べるのをやめた直後からどんどん気分が悪くなってきて、二日酔いの時の胃の状態になり、結局ペリエのトイレで盛大にリバース。
ノリで大盛りを食べるもんじゃない。食欲は大学生には叶わない。


がっかりした

 

今日ちょっとガッカリした事があった。
ある人が、北九州で瓦礫を燃やした時に放射能がどのように拡散するのかを示した図を作成したとツイートしていた。
で、それによると、北九州全体が放射能ですっぽり覆われている。かなりアバウトな図ではあったけど、これが本当だったらすごいなあなんて思ってた。
そしたら、後で別のツイートが回ってきて、衝撃を受けた。以下がそのツイート。

『私がグーグルマップとフォトショップを使って「おそらくこんな感じだろう・・・」と作図したものです。数値的な根拠はありません。ふだん地図を見ない方は北九州と他地域の位置関係があやふやと思うので視覚化してみたのです。でもまあ、かなり近いのではないですか?』

なんだこいつ、なんて適当な事してるんだ、いったい誰なんだ、と思ってツイートの主を見てみたら、なんとこの人、イラストレーターなんだって。しかも著作も複数のベテラン。雑誌でも連載をもっているとか。

ちょっと、これにはガッカリした。イラストレーターはアーティストではない。情報であれ、感情であれ、まず伝えたい事が最初にあって、それをイメージにして人に伝える事ことが仕事なのだ。作風とか、表現方法といった個性は、その伝えたい事を伝えるための道具または手段にすぎない。ある情報の意味をちゃんと理解し、解釈して、自分の持っている表現方法で見ている人に伝える、それがイラストレーターの仕事だ(とおもっている)。

ところが、この人は、その肝心の情報をすごくいい加減に扱っている。何の根拠も無い妄想を、イメージにして伝えている。これはイラストレーターとして失格だ。僕より全然大先輩なので、表現技法は僕より全然上なんだろうけれど、こんな根本をおろそかにするのは絶対に間違っている。おかげで多くの人がだまされかけて、この人を批判していた。当然だ。

ちゃんとイラストで活躍している人がこんなおろかな事をしていて心底ガッカリして力が抜けてしまった。
反面教師にするべし。さっそく今日の絵はこの話と全く関係ない(情報をつたえてない)けれど。。

 


那覇国際の絵

あともうちょっとで完成だけどフライング。

この間、実家で高校の制服を探したけどすでに無くなっていた。

で、親に聞いたら、俺の制服を従兄弟の長男が3年使い、さらに弟が3年使って、結局9年も着続けられたんだとか。

さらに末っ子の長女も那覇国際高校に今年入学して、弟も合わせて5人も同じ高校に。年末に帰ったらまたいろいろ話しをしたいなあ。


門をくぐらないネコ

昨日買い物の帰りにネコ3匹に遭遇した。先頭は白いネコ、その次は黒いネコ、最後は茶色のネコだった。
三匹は道路をわたってきて、ある民家の裏口の門の前に来たかと思うと、白と黒のネコが門の隙間から家の中に入っていった。ところが、茶色のネコが、門の前に立ち止まった。中に入らない。門の隙間から中を凝視しているだけだった。
別にこのネコは特別大きいわけではないので、門の隙間から物理的に入れないという事は無い。そういう事ではなく、気まずくて中に入れないように見えた。耳が少し垂れて、不安そうだった。そこはヤバいよ、2匹とも早く出てこいよと門の中に向かってささやいているように見えた。

 

その姿が小学校の自分と被った。近所の友人が、工事現場に遊びに入っていったり、火遊びをしだすと、眉毛をハの字にして「やばいよ、帰ろうよ」と訴えていた。その度に無視されたり、臆病者は帰れといわれたりした。それで、結局僕も入るのだった。

 

そんなことをぼんやり考えていると、家の外で待っているネコと同じ通りに、おじいさんと犬がやってきた。ネコよりもずっと大きくて短気な柴犬だった。この茶色のネコを見るや、一気に吠え、突進していった。
じいさんがロープを引っ張って必死で犬を止めた。ネコはというと、一瞬驚いたように見えたものの、くるりと犬に背を向け、また家の門をじっと見ていた。柴犬に対する華麗なスルー。こいつはかなり勇気のあるやつだ。
でも、相変わらず、不安そうな表情をしている。

柴犬よりよっぽどヤバい事が、この家にあるという事だろうか。それとも、2匹が出てくるまでその場にとどまろうと意地を張っているのかもしれない。どちらにせよ、こんな犬にかまってられないのだろう。

とその時、ネコが突然動き出して、門の中に中に入っていった。中で何かあったのだろうか。耳を澄ませても何も聞こえない。

 

小学生の僕は、他の友人に遅れておそるおそる工事現場の中に入っていった。人が住めるようになる前の、生皮を剥がされたような鉄鋼剥き出しの空間が、まるで古代の遺跡の内部のようで、冒険心をくすぐって魅力的だった。不安で二の足を踏んでいたその場所は、冒険に満ちた魅惑の空間だったのだ。最初のそのハードルが、意外と高い。しかしそこを超えると、後は楽しさだけが残った。

 

意外とネコも3匹でじゃれあっているのかもしれない。夕暮れの中、家路についた。

 


金環日食を見てきた

今日朝5時半にタイマーに叩き起こされた。金環日食の日だった。千葉のトレジャーリバーブックカフェで、西千葉朝食会(西千葉にすむ人々が集まって朝食を食べる会)の方々と一緒に日食を観察するつもりだった。でも外を見ると曇天で、テンションが上がる前から急降下してマイナスの領域に。前日2時間しか寝ていないということもあり、しかも25年前に一度沖縄で見てるし〜といういいわけもあって、蒲団に入ってそのまま寝ようと思ったけど、結局ぼさぼさ頭で服を着替え、トレジャーリバーブックに向かった。

カフェに着いたは6時10分ごろ。それなのに、カフェの中は満員で、すでに千葉大学のサイエンスカフェの学生2人による金環日食の説明が行われていた。正直眠すぎた上に頭もほとんど働かなかったので、無表情で坐って、ぼーっとしていた。しばらくして、学生から手作りの日食ガラスを渡された。

千葉は6時19分に日食が始まり、7時34分に金環食になる予定だった。6時20分にカフェの人達は皆で近所の公園に出かけた。空は相変わらずの曇天で、太陽の光もほとんど見えない。知らないおじさんが公園の遊具を陣取って空を睨んでいたが、「ぜんぜん見えない」と言っていた。それでも僕らは空を眺め、ひたすら太陽が出るのを待つ。すると10分ほどして、わずかに雲に切れ目ができて、そこから太陽が覗いた。歓声が上がった。太陽の右上がかけていたのだ。日食は始まっていた。心臓が高鳴る瞬間だった。しかしこれは3分と持たず分厚い雲がかかり出し、ため息とともに雲の向こうに消えていった。

6時50分頃、参加者はみなカフェに戻った。プロジェクターが白い壁に投影されていて、日本各地や中国、韓国から見える日食の様子がust中継されていた。沖縄はすでに大分かけ始めていた。また、中国の(あれはどこだったか忘れた)はほぼ金環食になりかけていた。僕らはオーナーの宝川さんが作る朝食を食べながら、時計と空をにらむ。金環食の時刻が刻一刻と近づいているのに、空は相変わらずの曇天だった。誰かが茂木健一郎さんのツイートを見て、金環食の時は気温が若干下がって風が起き、雲を吹き飛ばされる可能性がある、と言った。それ以降店の外に風が吹くと敏感に反応するようになっていった。それでも、窓から見える空は灰色で、何人かが頻繁に外に出て太陽の方を確認するも、肩を落として店内に戻ってくるということを繰り返していた。

ついに、7時30分近くになった。僕は店の外に出て空を見ていた。金環日食になるのは34分から。それから5分程度しか金環日食は続かない。そのあいだに雲が切れなかったら、僕らは金環日食を見る事は出来なくなる。こんなにずっと曇天で、その5分間だけ雲が切れるなんて、そんな奇跡的な事って起きるんだろうか。映画だったらご都合主義的展開もいいところだ。

ところがもちろんこれは映画じゃない。奇跡は起きてしまった。誰かが叫んだ。
「きた、きた、きた! きた!!」

空を見ると、丁度雲が薄くなっているところから、それが現れた。

それはすでに太陽ではなく、神秘の輪っかだった。ダイヤモンドの指輪のようだった。
それは決して大げさではない。
雲の厚いところが光を吸収して輪郭だけを浮かび上がらせ、雲の薄いところは逆に光を通してまぶしく輝いていたのだ。
気がついたら、僕は肉眼で観察していた。あわてて遮光ガラスで覗いたが、かえって暗くて見えなかった。雲が光を和らげていたのだ。
また、雲が流れるおかげで、光の輪っかが輝く部分が、時間とともに変化していた。光の固まりが、円弧に沿って滑らかに波打っていた。それは息も忘れる美しさだった。
それは僕が25年前に見た、記憶の中の金環日食よりも遥かに美しかった。沖縄で見たそれは、晴れ渡った空に浮かぶ黄金の輪だった。でも、今回は、光の魔法だ。天体と天気が織りなす奇跡の宴だった。

家に帰るまで何度も頭の中で反芻した。これが人生の何を象徴しているのか。いろいろ考えた、というか頭が勝手に考えていたけど、結局それを言葉に纏めるのは辞めにした。言葉はいろんなものを削ぎ落す。豊かなまま、頭と心にとどめて生きる。