他人と自分は違う

最近、あるきっかけで他人に対して想像力ないなーと、凹むことがあった。そのことはあまり書きたくない。その時考えたのが、「他人と自分は違う」ってことを認め、常に認識しておかないと、他人に対して思いやりも想像力も生まれてこないってこと。

「自分と他人は違う」。冷たい言葉に聞こえるけど、つまりは他人をちゃんと見て考えようということだ。他人を自分と同じだと考えると、他人の大切にしているもの、嫌だと思っているものなど、他人の視点を見落としてしまう。他人は他人と捉え、その人のだいじなもの、大切にしているものをちゃんと見よう、ということだ。

言われてみると当たり前のことかもしれないけど、意外とその事実を忘れてしまう時がある。例えば、自分と価値観が似ている親しい人と一緒にいるときに、「その人と自分は違う」ということを忘れがちになる。もし忘れてしまうと、あたかもその人と自分とが同じ思考回路を持っているように錯覚してしまう。お互い理解しているものとして振る舞ってコミュニケーション不足になっていく。そうするとなんか問題が起きた時、「これぐらい言わなくてもわかるだろ」とか、「なんでそんなこともわからないんだ」ってことになる。「他人と自分は違う」。友人に対しても、恋人に対しても、自分の配偶者に対してさえも、つねにこの意識を持つべきだと思う。コレはネガティブなことじゃない。もし持っていなければ、結局どこかでその事実を思い知らされ、スレ違いが起きていく。

また、「この人とは違う」と表面的には理解していたとしても、どう違うのか理解するのが難しい時もある。僕の場合はうつ病の人と接する時がそうだった。特に外見的特徴があるわけでもなく、話していてもあまり区別がつかないので、なぜ彼らが苦しんでいるのかわかりづらい。彼らの苦しみを理解できないのは、彼らをそうでない人の視点でしか捉えていないからだろう。でもそれは仕方ないことだ。だってうつ病の気持ちはうつ病にならないとわからないのだから。

だから「彼らと僕はちがう」という立場に立って彼らとちゃんと接していくためには、彼らを出来るだけ理解しようとしないといけないと思う。脳の分泌成分の異常だということのみならず、どういう時にどんな気分になるのか、その結果どういう風に生活に支障をきたすのか、本を読んだり彼らと話をしながら想像を膨らませていかなきゃいけないんだと思う。

今日そのことを改めて思った。
実はここ数日、来月発売される雑誌のために妊婦さんの資料を集めてイラストを描いているんだけど(さりげなくアピール)、妊婦さんて大変そうだな。つわりの苦しみなんて、全然わからないし、腹が重くて足が筋肉痛になるなんて、つい最近まで知らなかった。酸っぱいものが食いたくなるって感覚も全然わからない。また、妊婦さんはよく不安な気分になったりするらしい。できないことが多くなってストレスが溜まったり、からだの変化によってそういうことが起きるそうだ。もう、ぜんぜん違う。妊婦を知れば知るほど、こんなにも違うのかと感じるようになってきた。

妊婦が安心して10ヶ月を過ごすためには、夫の協力が不可欠だ。家事をやったり買い物など、手伝うことはたくさんある。でも、そういう外見でわかるお手伝いだけでなく、精神の不安に気づいてあげて、心の支えになってあげられるような、そんな想像力を持っていたい。