嵐の大学祭 総括編



見てくれ。これが今の俺の部屋の写真だ。俺は今こんな倉庫のような部屋で朝起きて、飯を食って外に出て、疲れて帰ってきて寝るのである。
今日なんか特に凹んだ。今日は東京モーターショウの最終日。授業で何回も話が出ているのでどうしても見逃すわけにはいかず、今日は反省会をさぼって幕張メッセに乗り込んだ。
しかしそこで待っていたのは、人、人、人。人の群れ。完全に精神的に参った上に雨にも打たれて、心も体もすり減って帰宅したらこの惨状である。気が狂いそうになる。
こうなったのは、全部昨日までの大祭のせいだ。俺んちはついこの間まで窓に向かって右側の壁を全部メタルラックの棚がしめていたのだが、サークルのバーのデザイン上どうしてもそのラックが必要となった。それで世良と穂苅、社長の四人でラックの中身をすべて取り出したのである。
ラックという安住の地を失ったモノたちが、俺を精神的に蝕んでいく・・。
電車の中で、友人たちにもらったiPod shuffleを聞きながら俺はずっとこの一ヶ月のことを振り返っていた。
俺が今回の大祭で、CBSというサークルのスタジオの設計とバーのデザイン、オープニング映像の制作、それとガジュマルクラブというエイサーを踊る会のTシャツのデザインとその発注、三線を担当した。
怒濤。
文字通り怒濤。バーの設計は本当にぎりぎりになって胃が痛くなったし、三線は二週間で残り二人(いちおう経験者)を真っ白な状態から唐船ドーイっていう危ないぐらい難しい曲を弾けるようにさせなければならなくなった(これは明日から連載)。そんなときに映像を作らなきゃいけなくなって、なんでこんなにやらなきゃいけんのか、わけわからなくなった。
その結果ズンにも嫌な思いをさせたし、みんなにも迷惑をかけた。映像班合宿で、徹夜の一年生を尻目に8時間も寝るなんて、ありえないし。
でもそれでも今回は頑張ったと自分で思う。死んでいた8月、9月はもしかしたら今月のための布石だったのかもとさえ思えた。
何よりバーのブラックライトの明かりがついた瞬間の、技班ブースとバーの光景を見たときに感じた、鳥肌が立つようなあの気持ちのたかぶりを、最近まで感じたことがあっただろうか?
俺が三線をかき鳴らすことで、沖縄、本土関係なく、踊り手と客が入り乱れてみんなで大騒ぎすることが出来た時の、あのものすごい喜びを俺は感じたことがあっただろうか?
打ち上げのとき、一、二年生が作ったビデオレターが送られた。そういえば、俺らはもう引退なんだ。なんかすごい切ない。ビデオレター中は一言も発せなかった。みんな、ありがとう。
激しく苛立ち、シラケて、惨めになったり、悲しくなったりしたけど、今回の大祭は、一生に残る大祭だった。皆最高だ。
いろんな人にもたくさん出会った。三線同好会のみなさん。並里青年団とそのリーダー。金武町の青年団の皆さん。みんな厳しくて、でも暖かかった。ありがとう。
今汚い部屋で、世良にもらったラ王の沖縄そばを食べながらこれ書いてるんだけど、すごい気分は満たされてます。よくやった。
余韻に浸る雨の夜
(明日から『ゆけ!三線三人衆』を連載します。多分)


(↑バー。上は技班ブース)