サイトがちょっとだけアップデートされました。

 

今日はだいぶ前に実話ナックルズに描かせていただいたギャルです。

 

1.

毎日自転車操業のようにブログを描いているから、ちょっと忙しくなってくるとブログのクオリティが途端に下がる。どこかで描き溜めなきゃならないので、挿絵的な簡単なイラストも今後どんどん増やしていきますぜ。手抜きじゃないんすよ〜。いつも全面バーンと色を使う絵だけを描き続けるのはさすがに無理っす。未発表の絵も底をついてしまった…

 

2.

実はこの数日でこのサイトのトップページがちょっと変わりました。スライドの絵を差し替えてます。一枚目は「宮良彩子のライブフライヤー」、二枚目は「猫の新生活」、三枚目は「少年の世界」と、ブログで発展させてきた南国系の絵を入れてるんだけど、それだけでトップページの印象が変わってかなりいい感じになった気がします。ニヤニヤがとまりません。

 

3.

あとひとつ、サイトのでっかいコンテンツに「LINK」が追加されました。なんで作った時にこれを入れるのを保留にしたのか、数カ月前に戻って自分を小一時間問い詰めたいところだけど、ようやく追加できたのでいろんなサイトとどんどん相互リンクを貼って行きたいです。

わたるへ。今回もいろいろありがとさん!!


蜂が部屋に迷い込んできた時の話

一昨日、データ提出に追われて焦りながら作業していた時に、部屋に蜂が入り込んできた。

それは大きめのアシナガバチだった。机の横をかすめ、ベランダの網戸にピタっと止まった。おそらく風通しを良くするために開けていた玄関から入ってきたのだろう。気がついたらすでに僕は玄関から外に逃げ出していた。

僕は蜂がものすごい苦手だ。この世で一番苦手かもしれない。幼い時に頭のてっぺんを刺され、小学校の時に顔面を三箇所一気に刺された。さらに中学では屋外プールに飛び込む時に蜂を踏んづけて、つちふまずを刺された。

当たり前だけど、蜂に刺されたら猛烈に痛い。何度も刺されてもピンピンしてるからアナフィラキシーショックとか嘘だろと思ってるけど、ただ刺された時の強烈な痛みだけで十分にトラウマになる。

でも、アレをそのまま家の中に入れているわけにはいかない。殺虫スプレーといったたぐいは家に置いていなかったので、玄関先にあるほうきを手に取り、蜂を撃退することにした。

ベランダの近くには畳んだ布団、本などがあるんだけど、肝心の蜂の姿が見えなくなっていた。どこから蜂が急に飛び出してくるのか分からなかったので、下手にそのあたりを引っ掻き回す気にもなれなかった。網戸は閉まったままだったが、それを開けるのも怖かった。行動を起こすのは敵の位置を確認した後がいいと思えた。

でも、だからといって蜂をずっと待っているわけにもいかなかった。本当は一刻も早く作業を終わらせデータを送りたかった。でも無防備で作業するのも危険だ。

だから、仕方なく「かっぱ」をつけることにした。雨の日に着るあの「かっぱ」だ。かっぱなら頭も含めて体の殆どを守れる。夏の真っ昼間に着るカッパは非常に暑かったが、蜂の恐怖に比べればマシだと思った。

とその時、ブブンと羽の音がした。ベランダを見たら、網戸の内側に蜂が引っ付いていた。

うおおお!キタ!!

急いでほうきを抱え網戸に駆け寄る。網戸にひっついているので叩き潰すわけにはいかなかった。そこで、ほうきの棒の先を網戸の縁に引っ掛けて、勢い良く引いた。これで蜂が出ていけるはずだ。

ところが、今度は網戸と引き戸の間に入ってしまった。ハチは何度も飛び立とうとしたが、隙間が狭すぎて思うように飛べず、結局網戸にしがみついていた。

このままだと、また網戸を引いたら家の中に入ってくるかもしれない。それで一瞬どうしようと迷ったが、次の瞬間ひらめいた。このままハチを隙間に閉じ込めてしまえばいいんだ。

僕はガムテープを持ってきて、網戸とガラス戸の隙間にテープを貼った。
まず蜂が飛んできそうな高さの部分をガムテープでとめた。次に、上の部分の隙間を入念に埋めた。

その頃僕は、完全にハチに対して殺意を抱いていた。ガムテープを貼る入念さはその現れだ。この狭い隙間に閉じ込めて、確実にお前をコロス。じっくり太陽に焼かれな。。
蜂の退路を一つ一つ断っていくのは快感だった。

最後に下の部分の隙間をとめにかかっている時だった。突然、ハチがガムテープで塞がれた部分をめがけて突進してきた。僕は驚いて思わずのけぞった。ハチは、ガムテープにぶつかった。すると、なんとガムテープにくっついてしまった。もがいてももがいても取れない。まるでハエ取りにくっついたハエみたいだ。自ら墓穴を掘ってしまった。

勝った!バカめ!!

僕は一仕事を終えた充実感を感じながら、かっぱを脱ぎ始めた。

その時だった。ハチがガムテープから剥がれ、ポテっと下に落ちた。

そこは、ちょうど、さっき塞ごうとしていた隙間の目の前だった。下の部分はまだとめてなかったのだ。

ハチは起き上がると、そこを普通にヒョコヒョコ歩いて隙間から出てきた。そして、羽を伸ばし、一直線に外に向かって飛んでいった。

 

・・・・・

 

なんかよくわからない気持ちになったけど、どう表現したらいいかわからず、そっとかっぱを衣物かけにかけた。

 

 


「夜の歩き方」を実践した時の話

このあいだ夜中に稲毛駅から自宅まで歩いていた時のこと。その日はたまたま暗い裏道を歩いていたら、ちょっと前の方を中年の女性が歩いていた。しばらく歩いていると、この人の歩く速度は僕より少し遅いらしく、徐々に距離が縮まってきた。

 

その時、僕は何かの本で桜井章一が言っていたことを思い出していた。それは「夜の歩き方にはレベルがある」ということ。

レベルの高い歩き方とは、周りに不安感を与えない歩き方のことだ。

例えば、夜、女性が一人で前を歩いていたとしよう。女性にとって一人で夜道を歩くのは怖いはずだ。ここでもし、あなたが女性と一定の距離を取りながら歩いたりするともう最悪。女性は後ろの誰かに付きまとわれているような不安感を感じてしまうことだろう。

一方で、レベルの高い「夜の歩き人」は、この場合わざと足音を大きめに立てて、急ぎ足で女性を抜き去る。前を行く女性に自分の存在を知らせつつ、相手の前に出ることで不安感を和らげるというテクニックだ。しかしこれは言うのは簡単でも、なかなか難しい。

まず足音をたてすぎると「変な人がいる」と勘違いされてしまう。あくまでも女性にやさしいジェントリーな感じで大きい足音をたてなきゃいけない。また、追い抜きダッシュをかけるタイミングも重要だ。背後から長い距離をカツカツカツカツ近づかれると、非常に怖い。ダッシュをかける時の女性との距離感も重要。僕はよく夜遅くに駅から家まで歩くので、この技術は身につけたかった。何度も何度も頭の中でイメージトレーニングした。女性の背後に近づき、一気に追い抜く。それを繰り返した。

 

そして、今、頭の中のイメージとほぼ同じ光景が目の前に広がっていた。ついに実践するときが来たのだ。
ある程度おばちゃんに近づいた時、一気にダッシュをかけた。ところがここで石を蹴ってしまい、慌ててしまって足音が必要以上に大きくなってしまった。すると前のおばちゃんが驚いたのか、急にスピードを上げた。
それで俺も慌ててスピードを上げたが、ここで大きな誤算があったことに気がついた。

このオバちゃん、思っていた以上にめちゃくちゃ足が速い。

僕も追いかけるが追い越せない。1メートルぐらいの差が縮まらないのだ。大きなリュックサックを背負ったオバちゃんだったが、普段から足腰を鍛えているのか、ものすごい早さで足を回転させる。

そこでハッとなって立ち止まった。なにも追い抜かなくていい、ってことに気がついたのだ。僕はその場に立ったまま、オバちゃんとの距離が十分に開くのを待った。

すると20メートルほどむこうの街路灯の下まで来た時、オバちゃんも立ち止まり、こちらを振り返った。ちらっと目があった。
すると、「おお、こわっ」と言わんばかりに肩を震わし、すぐあとの曲がり角を曲がって消えた。

なんか怖がらせて申し訳なかったけど、ちょっとイラッとした。


ビーチパーティーで悪寒

今日は海の日だから海の絵です。天気もいいのに朝から部屋にこもって作業をしていたので、海の日としては残念な一日だった。だからせめて絵だけでも楽しく描こうということで、アルバムをめくって絵の題材を探してみると、、出た。9年前のバーべキューのときにやった、ビーチサッカーの写真だ。

この日は僕はほんとに「寒かった」。というのも、ちょうどこの日風邪を引き始めてしまったからだ。缶ビールを飲みながらサッカーをしてると、ただでさえ酔っ払っている上にだんだんだるくなってきて、さらに悪寒まで感じるようになってきた。たまらず僕はサッカーを抜けて、砂浜に横になった。
その日は目も開けてられないぐらいの強烈な日差しが照りつけていたんだけど、体の表面は暑いものの、体の芯は寒いという気持ち悪い状態になっていた。

ところが、周りの連中は僕が単に酔っぱらいになったとしか思っていなかったようだ。強烈なだるさのためフラフラ歩いていると、お前酔っ払いすぎだろと言ってくる。砂浜に横になると、酔っぱらいはここで寝ろと看病どころか指図される。さらに僕が「寒い」というと、どんだけ飲んだんだと呆れられ、水を無理やり飲まされる。

僕はたまらず、重い体を引きずって、バーベキューの場所から少し離れた浜辺まで行き、そこで横になった。そして結局誰の手にも看病されず、放置され、序盤から終盤まで酒も飲まず、肉も食わず砂浜で寝そべっていた。

こう見ると、海にいても部屋にいても、残念なのは変わらないな。。


この時代にアナログで絵を描く意味がちょっとわかって衝撃を受けた

自分の絵について、ちょっとだけ価値観がぐらつくことがあった。デジタルかアナログか。巨人か阪神かみたいな問題です。

 

1.

多分、今後もデジタルで絵を描くとは思う。というのは、やっぱりデジタルで描くと「モノ」に囚われなくて済むからだ。

たとえば、アナログで絵を描くためには、絵の具が必要だし、筆が必要だし、パレットも水も描く紙も必要だ。簡単な絵なら別に少ない絵の具でもいいのかもしれないが、ちゃんといい絵を描こうとすると、それなりにいい筆、それなりにいい絵の具、それなりにいい紙が必要になる。

でも、「それなりにいい」の度合いが増してくると、揃える道具の値段がどんどん上がってくる。筆も一本500円から1000円以上するものもあるし、絵の具だってかなり高い。しかもそれらは消耗品だ。さらに、絵に特殊な効果をつけようとするならば、ペインティングナイフを買ったり、メディウムを何種類も買ったり。さらに他の画材に手し始めると、パステル、色鉛筆、クレパス、マーカー、エアスプレー・・・とキリが無くなり、出費がますますかさむ。しかもそれらをきちんと管理するのも大変。そして、「モノ」を扱うのだから、描くのも時間がかかるし、失敗したらやり直しも面倒だ。

さらに描き終わった絵も、「モノ」だ。狭い部屋だったら、置き場があっという間に無くなる。それに他人に見せるのも大変だ。アナログで描いた絵を、綺麗に写真でとってデータ化するのは、それなりに高い機材と技術が必要だ。実物を見せるにしても、ギャラリーなどに置かない限り観てもらえない。大きいものを運ぶとお金もかかるし、ギャラリー代もバカにならない。

それにイラストレーターならば、アナログで描いたとしても、世に出るのは「本」や「雑誌」といった印刷物。作るのに金も手間もかかるのに、結局デジタルで再現したものと変わらない。

 

2.

それにくらべて、デジタルは「モノ」ではなく「情報」だ。「モノ」ではないから手で触ることができないが、そのかわり「モノ」に囚われることもない。パソコンといった初期投資こそ高いものの、あとはいくら作って失敗してもお金がかからないし、何回でもやり直せる。また、作った後もモノが出ない。どんなに場所をとっても、それはハードディスクの中の話。しかも最初からデータなので、ウェブに載せやすい。ブログは、いわば無料のギャラリーだ。だから多くの人に気軽に見てもらえる。

まさに夢のような21世紀の描き方。「もの」に縛られないフリーな世界。さすがにギャラリーでアナログ作品と並べると見劣りはするものの、いろんな面でアナログより有利。この21世紀にアナログを選ぶ理由なんてあるんだろうか?

……..というのが、つい最近までの僕の中でのデジタルVSアナログ対決の結果だった。ところが。。

 

3.

この間、大学の友人である藤井良多が、こんな時代だからこそ絵はアナログで描いたほうがいいと言っていて、え、なんで?と思った。それはこういうことだった。

アナログは確かに描くのに手間がかかる。コストもかかるし管理も大変。でも、アナログでいい絵を描けて、それを上手くデジタル化出来るならば、はじめからデジタルで描くよりもそっちのほうがいい。描いた絵に人気が出れば、web上にどんどん広がる。でも、真に価値があるのは原画。必ずそれを高値で買いたがる人が出てくるはず。

・・・・・

考えてみれば、そりゃそうだ。それがすごい絵だったら、ネットにのせれば一気に広がる。そして、たとえ周囲の人間は見向きをしなくとも、世界のどこかには、高価で買い取ってくれる人も現れるかもしれない。アナログで描いた絵を、今ほど宣伝しやすい時代は無いのだ。

当たり前すぎて一瞬ぽかんとなったけど、それは「『モノ』という事自体に凄い価値がある」、という事実を再認識した瞬間でもあった。「モノ」に縛られ大量のお金を投資し、練習の過程で大量のゴミを生産する。でも、それは「モノ」という凄い価値を生み出すためだったのだ。そして「情報」は情報にすぎない。だから「モノ」の価値を伝えるため使う。

僕の価値観がグラグラと揺れだす瞬間だった。原画がある絵とない絵。そこには、思っていた以上にすごい差があるんじゃないのか。

 

4.

で、僕はどうするのかというと、、、と書こうと思ったけど、混乱するだけだったので、今は書かないです。ていうか、このことを今再認識している時点で今まで考え方が浅かったなと。本来ならば「デジタルは描きやすい。でも実体のない情報にすぎない」と認識することがスタート地点とも言える。その上で、自分のイラストに対する価値観を組み立てる。

自分の描いている絵がどういう価値を持っているのかは、市場が決めることかもしれないけれど、自分の絵にどういう価値観を持っているかによって、自分の絵に対する態度が決まると思う。

こんなことを書くのはこっ恥ずかしいが、僕は自分の絵に対して誇り高くありたい。ちょっと根底がぐらついたけど、もう一度自分がデジタルで絵を描く意味を見つめ直して、価値観を構築していきたい。

 

5.

ということで、今週もどうぞよろしくお願いいたします。

皆さんもいい一週間になりますように!!