嵐の中でコンクリートを夢中で叩く

1.

幼稚園の頃から化石や恐竜が大好きで、子供向けの恐竜の本を買っては、毎日読み漁ってた。今の子供がポケモンの名前を覚えるように恐竜の名前を覚えまくって、恐竜博があればそれを見に行った。

ここでさかな君みたいに強烈に化石に詳しくなってたら違ってたのかもしれないけれど、残念なことに、なんかいろいろと勘違いしていた。例えば、あるとき沖縄に恐竜博が来て、そこで売り物になっていた恐竜の骨のかけらがどう見てもただの黄土色の石ころにしか見えなかった。そこから、黄土色の石ころは全部恐竜の骨だと勘違いして、赤土の中に混じっていた黄土色の部分を集めたり、黄土色の石が混じったコンクリートのかけらを集めてきたりした。また、この前書いたカタツムリをアンモナイトと間違えて集めまくっていたという話もあった。

でも、やがてこういう石ころに入った「化石」では飽き足らず、どうしても直接地層から掘り出したくなってきた。どこで化石が掘れるか親に聞いたりしてみた。でも、そういう地層はこの辺りには無いと言っていた。それは博物館でも同じだった。琉球鹿の化石や港川原人の骨といった新しい時代の化石は那覇市やその周辺でも出ているんだけど、アンモナイトといった恐竜と同じ古い時代の化石は沖縄本島の北部までいかないと見つからなかった。小さい僕には絶望的な距離だった。

それで、うーんと悩んでいたんだけど、自分の「化石コレクション」のなかの、コンクリートに混じった「恐竜の骨」を見てハッとなった。この「地層」、すぐ近くにあるじゃないか。

その「地層」とは、家を取り巻くコンクリート塀のことだった。当時住んでいた家は、見た目は一軒家なんだけど、一階と二階で分かれてて、一階は祖父母が、二階に僕らの家族が住んでいた。コンクリート塀はその周りを囲っていた。

試しに家のコンクリート塀に添ってグルっと回ってみると、一カ所、小石がむき出しになっているところがあった。注意深く見ていくと、そのなかに黄土色の石が混じっていた。きょ、恐竜の骨だ。。

慌てて、手に持っていたハンマーとタガネでコンクリート塀を削りだした。コンクリートも固い上に、タガネもハンマーも金属なので、あたりにカーンカーンと高い音が響き渡る。すると、音を聞きつけて祖父が出てきた。何をしていると言われた。今恐竜の骨を見つけたから発掘していると説明すると、お前は馬鹿か、二階に戻れと言われた。

でも、部屋に戻っても、発掘したいという情熱は消えなかった。

 

2.

しばらくして、沖縄本島に台風が上陸した。本島全域を暴風域に巻き込んで2日間大雨やら凄まじい風やらが吹きつけた。窓もガタガタ鳴り響く轟音の中、学校も休みなので家でのんびりしていたら、急にひらめいた。今発掘したら、音が台風にかき消されておじーにバレないかもしれない。

大雨と風の中、ハンマーとタガネを持って階段を下り、その横にある発掘場所に辿りついた。ちょうど家の壁が雨よけになってあまり濡れることは無かったが、コンクリート塀と家の壁に挟まれた通路を、凄まじい風が吹き抜けていた。

ハンマーをふるった時に出るカーンという音は、たちまちゴーーーッと風に掻き消えてしまった。よろめきながら、ハンマーをふるう。でもまだ小さかったので力が弱かった。いくら叩いても、いっこうに掘れない。ちっこい傷がつくだけだった。

そのうち風向きが変わって雨も吹き付けてきた。たちまちびしょ濡れになった。それでも叩き続けた。だけど、コンクリートは子供の力にはあまりにも硬すぎた。体が濡れて、すっかり冷えてしまい、凍えそうになった。これ以上は無理だと思ってきた。というか。もはや、なんでコンクリート塀を叩いているのかもわからなくなっていた。そう、これはコンクリート塀なのだ。薄々気がついていたけど、「恐竜の骨」という夢に浮かれていたのだ。でも、雨にぬれ、風に吹かれ、凍えるような気持ちで叩き続けて、今やっている行動の異常さに冷静に向き合えるようになった。気がついたら僕は泣いていた。

そのとき、後ろの雨戸が開いて祖父が現れた。僕を見るなり驚いて、「何をやっている、入れ」と言った。結局、祖父の家で、お風呂に入り、暖かいお茶と氷砂糖をもらった。

その祖父は二年前に死んだけど、コンクリート塀の傷は今でも残ってる。

 

3.

というわけで、今週もおつかれさまでした。

また次回、日曜日の深夜に。