続:無意識の『手入れ』

ひと言で無意識といっても、その範囲は膨大で、どれぐらいカバーしているのか僕にはよくわからない。
そこで、ここでは『行動に関する無意識』と、『センス、思考回路、知恵などに関する無意識』をピックアップして、それぞれの『手入れ』について考えてみた。
1.行動に関する無意識について
僕は、このブログの『怪文書ON THE WEB』時代の日記からもわかる通り、もの凄くドジである。行動の隅々に神経が行き渡っていない。つまり、行動の隅に『意識』が行き渡っていない。起きる出来事は、ある意味無意識的な行動から起因されるものが大半だ。
そのような中で、前回みたいに「無意識は自然だ」と言い切ってしまうと、僕の中でスッと落ち着く物がある。
「『自然』だからしょうがないか」と諦観を持つことが出来るようになった。それまでは、何か忘れ物をしたり、無くしたりすると自己嫌悪に陥ったが、この考えを持つようになって、「まったく、俺の無意識ってやつは!」と客観的に自分の行動を分析出来るようになった。
自分の思い通りにならない自然は、うまく『手入れ』をして、飼いならせば良い。そこで、どんなふうにすれば『無意識』という自然を飼いならせるのか自分なりに考えてみた。
まずは基本。
それには、自分の無意識が一体どのような行動をとるのか、一つ一つ自覚していくことから始まると思う。例えば、何か考えことをしながら鍵をドアにかける時。鍵穴から抜いた鍵を、すぐ近くの棚の上に置くのか、それとも上着のポケットに入れるのか、または鞄に放り込むのか。
もし、無意識的に棚の上に置く癖があって、それが何か不都合を起こす場合。『鍵を棚に置く』ということを自覚すると、今後は、その無意識的にとった行動を『修正』して、鍵をポケットに入れる。それを繰り返せば、無意識に「鍵をポケットに入れるように」どんどん刷り込みをすることが出来る。次からは、何かを考えていても、無意識的に同じ行動が出来る。
これは、研究者が実験用のマウスを扱うような下等なスリ込みだが、マウスも『自然』。同じ扱いで十分なはずである。
『自覚』→『修正』→『無意識に刷り込み』
なんか、こう書いてしまえば当たり前な事実のような気もするが、これが全ての基本だと思う。もしこれが正しければ、なんにでも応用が利くはずである。
うまくいけば、考え方や、物の見方だって、どんどん変わっていくかもしれない(完全に変わることは無いにしても)。考え方だって、脳の中の行動なんだと思う。
今後は、自分の体をもって、これらを実験していくことになると思う。
2.センスや思考回路、知恵などについて
「暗記は寝る前の方が良い」
「学習には試行錯誤するべきだ」
「学習したことは2週間以内に復習した方が良い」
「頭の中には常に情報を流し込んどいて、頭の中で寝かせる」
「集中した方が集中しないよりもより頭に入る」
「覚える時は、手で書き、声に出し、反復せよ」
「毎日しっかりした睡眠時間をとろう」
 ・
 ・
 ・
 ・
センスを磨く、思考回路を鍛える、知恵を身につける、などといったことについて、上記のようにいろんなコツが以前から言われているが、結局は脳みその『手入れ』のコツの事を言っているんだと思う。『脳ミソを手入れする』のは、『無意識を手入れ』するのと直結する。つまり無意識の『手入れ』なのだ。
これは、犬に芸を仕込むようなものだとおもう。あるいは、植物を育てることに似ているかもしれない。
例えば、高温多雨の気候に住む植物を、寒くて乾燥した部屋で育てたって、あんまり育たない。部屋の中をある気温に保って、適度に肥料をやり、適量の水を与える方が遥かに育つ。
脳みそも、それなりの良い条件の中で学習させた方が飲み込みが良いに決まっている。
だから、脳の性質を理解し、首尾よく『手入れ』していくことが、うまく勉強していくコツになってくる。
これも、結局は当たり前のことなんだけど、『成長しなきゃ』って考え方から『脳みそよ、俺が育ててやんぜ!』っていう視点に切り替わっているところが面白い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
無意識を『自然』と捉えて、『手入れ』し、育てるものだと考えると、スゴく面白い物だと思う。無意識は『無』意識なだけに、自分ではよくわからない。だから、観察する。観察すると、あ、こいつにはこんなところがあるんだ、こんな側面があるんだ、と毎日発見がある。
そして、これはいけないと判断した時は、それをよく自覚し、修正する。そして、それは自分の成長として反映されてくるのだ。スゴく面白い。
むしろ、自分の無意識に対して、名前でも付けてみようか、とさえ思ったりする。『まさし』とか『田中さん』とか。それはさすがにアブないか。