間違って学生運動組織に参加した話 後編

(前回までのあらすじ:沖縄から出てきたおじさん(当時20)に、前髪ぴっちりメガネ兄さんの魔の手が忍び寄る!)


前川から電話があって以降、俺は英語の授業に出るのが怖くなった。
俺の英語の授業は、何曜日かは忘れたけど朝の二限にある、デブの外人講師の授業だった。
授業は退屈そのもの。授業全体の9割は先生の話で、それも英語で喋ってくるので、誰も理解していないし、先生も理解していると思っていない。だから、授業の雰囲気はダラダラそのもの。生徒は誰も話を聞いてないし、教師も聞かせようとしない。
仮にあの授業だったら先生が英語で『うんこ、うんこ』と連発しても、誰も気がつかないだろう。
しかし、授業をさぼる事はできない。頭を使わなくていい代わりに、単位を取るには出席点を稼がなければならないからだ。この授業は、三回欠席したらもう単位を得る事ができない。
そして、俺は既に二回休んでいた。必修科目だったので、単位を落とすわけにはいかない。友達もあまりいなかったので、誰かに頼むというわけにもいかず、俺は意地でも出席しなければならない状況になっていた。
それで、俺のなかで厳戒態勢がしかれた。といってもたいした事ではないんだけど、最低注意したのは以下の通り。
1.まずだいたい授業開始ぎりぎりの時間に、メガネ兄さんと鉢合わせにならないよう警戒しながら教室に赴き、教室のなかをのぞいて、安全を確認してから中に入った。
2.座る席は、なるべく知らない人の隣に座るようにした。万が一メガネ兄さんが入ってきて隣に座られないようにするためである。
で、電話を聞いて初めての授業では、服装をめちゃくちゃ地味にして目立たないような格好にした。すると、格好が(ただでさえ野暮ったかったけど)最高に野暮ったくなって、なんでここまであのメガネを恐れなきゃならないのかと疑問に思い、結局軽い変装計画は初回で終了する事になった。
そうして、二週間近くすぎた。授業自体は週に二回あるので、四回以上無事に過ごせる事ができた。
すると、少しずつ自分がばかばかしく見えてくるわけですよ。
なんで、こんなにおびえてるんだろうって。男だったら、ドーーンて行けよ、と思えてくるわけですよ。
しかもこんな大人数から俺を捜し出すなんてむちゃくちゃすぎる。挑戦したのはいいものの、人数が多過ぎて、あきらめてしまったのかもしれない。
そもそも前川が会ったのが、本当にその学生運動家だったのかすら怪しく思えてきた。なんだかんだ言って、実際に俺がこの目で確認したわけじゃない。
考えてみれば、この地味な千葉大生のなかに、いったいどれだけ前髪が水平線と化したメガネ男子が存在するのだろう。そのなかの一人が何か言ったのを、前川が勘違いしただけなのかもしれない。そしてその男が、うちのサークルの岡Pでしたって可能性も十分にあるのだ。
一回一回の授業が終わって行くたびに、俺自身がどんどん前のようにオープンになって行くのがわかった。
そして、三週目の最後の授業。
授業前。俺は、教室中央を走る通路沿いで、教室の後方にある席に座って、宿題のプリントを準備していた。もう、誰かの隣に座るという原則すらやっていなかった。
すると、通路を挟んで、隣の席に誰かが座った。
俺は、はじめは気にしていなかったが、次第にその人が、しきりにこちらを覗き込んでいる事に気がついてきた。
・・・・まさか・・・
メガネ「・・・・山里君」
うわあああああ!!!き、きたあああああああ!!!!!
俺は心臓が飛び出そうになった。全身の鳥肌が総毛立ちになった。勢いよく右の通路の向かいの席を見た。そこには、二ヶ月前拡声器を持って立っていた、あのメガネの男が座っていたのだ。
メガネ「山里君だよね」
俺は一瞬違います、人違いです、と言おうと思った。ところがすぐにそれは無駄だとわかった。なぜなら、その男は俺の宿題のプリントに書いてある名前を覗いていたからだ。
メガネ「探したよ、でんわー」
俺「そうなんすよ!電話がぶっ壊れてアドレスも番号も全部消えちゃってもうまじで本当に終わってるんですけどー!」
俺は相手が言い終わる前に先手を打った。
メガネ「そうか、大変だったんだね」
俺「まじですよ、みんなの番号、友人をたよりにこつこつと取り戻していったんですよ。ほんと大変でしたよ。そちらにも連絡を差し上げたかったんですけど、できなかったっす、ホント申し訳ないっす」
メガネ「そうか、じゃあ今度勉強会やるから来てくれよ。この間も行ったんだけど、20人ぐらい新しい人が来てたよ」
俺はこの台詞が超うさんくさく感じた。だって、勉強会一回で20人も来るぐらいなら、わざわざこんな苦労をかけてまで、俺を捜し出そうとはしないはずだからだ。
めがね「君は確か沖縄から来たんじゃなかったっけ?」
俺は死ぬほど驚いた。
俺「ええ!?なんで知ってるんですか?」
メガネ「確か前に会ったときに言ってたよ。沖縄に基地があるから、イラク戦争に興味があるって。」
この人はこんな事まで覚えているのか。よほどあの勧誘に引っかかったのが、少人数だったに違いない。それで俺の事をこんなに覚えているんだ。
メガネ「俺たちの考えでは、このままでは沖縄はヤバい。本当に攻撃の対象とかしてしまう。そして、これには、日本政府とアメリカ帝国主義が絡んでいる・・」
メガネは徐々に自分の論を出してきた。
理解不能な考え方が次々に飛び出した。ヤバいヤバい!!どんどんペースが向こうに巻き込まれてきているぞ!!
すると、デブの外人教師が教室に入ってきた。彼は汗でビッチョリになった、額から腕から手から、もう何から何までをタオルで拭き取った。そして教科書を開き、聞き取れるかどうか微妙な、図体に合わない小さな声で、英語を一人、念仏のように唱えだした。
すると突然、テストに出るところを先生が指摘しだした。俺はそのチェックも付けなくちゃならなくなった。
そして、その間もメガネはおかまいなしに自分たちの論を展開し続けた。話は詳しくは覚えていないが、とにかく、常人が考えているものではない感じがした。記憶違いかもしれないけど、その人はアメリカを転覆させるなどと言っていた気がする。
さらに日本全国の同士と共闘し、それを世界中の支部にも広げて、どうのこうの、と言っていた気がする。とにかく、俺には狂気の沙汰のような発想の様に感じた。
右からは、狂気の沙汰のお説教。前方からは、外国言語の一人念仏。
どんな状況よ!!マジドン引きなんですけど!!
次の瞬間、俺はとんでもない事に気がついた・・・。
俺は、いま、心に思った事を、知らず知らずのうちに、言葉に発していたのだ。
つまり、俺は独り言で「マジドン引き」と言ってしまっていたのだ!!
俺はバッと右に振り向いた。メガネは、曇った表情をしていた。『なんだって?』と言いたげな表情である。
うおおお・・やべーーー・・・
ところが。
ここで自分でも驚きなんだけど、次の瞬間、俺は信じられないぐらい、コロッと開き直っていた。心臓ばくばくで、緊張感はピークに達していたけど、なぜか思考は落ち着いていた。
俺「つまり、あなたは、世界中で社会主義革命を起こしたい、と、そうお考えなんですか?」
メガネは一瞬だまって、何かを考えたが、最終的にうなづいた。
俺「・・・・・ドン引きです」
戦いは、終わった。
緊張のため、その後、どのようにしてメガネが去っていったのか、どのようにして授業が終わったのかは、よく覚えていない。
ただ、覚えているのは、男が憤慨して、メガネの片方がづれ落ちる、ってことは無かったって事です。
(おわり)