そんな殺生な

大学4年の時、アパートに戻ってきたら、ドアの郵便受けに新聞が突っ込まれていた。日本の2大新聞の一つのY新聞だった。でも僕は新聞を取っていなかったので、配達員が間違えて僕のところに入れたのかなと思った。隣の人に聞いてみようと思ったが、いやいや、せっかくだから貰っておこうと思いなおし、その日はそれを部屋で読んだ。

翌日、大学から戻ってくると、また郵便受けに新聞が突っ込まれていた。さすがに2日連続でもらうのはマズイだろと思って、右隣の人に聞いてみた。ところが、隣の人は、そもそも新聞を取っていないとのことだった。

 

僕の左隣は空き家だった(数ヶ月前まではサークルの後輩が住んでいた)。つまり、僕の両隣も僕と同じく新聞を取っていなかったのだ。
よほどアクロバティックなことでもしない限り、こんな変な配達ミスは起きないだろう。ということは、誰かが意図的に僕の部屋に新聞をツッコミに来ている可能性が高い。

 

新聞が勝手に届くような状態になって一週間が過ぎた。3日目も突っ込まれているのをみるとさすがにゾッとしたけれど、5日目、6日目までくると、勝手に契約したと解釈されてお金を請求されたりするんじゃないかと思い始め、不安になった。

 

それで7日目。近くの営業所に電話して文句を言おうと思った。ところが、その矢先に玄関のドアベルがなった。覗き穴から覗くと、知らないおじさんが立っていた。30代から40代ぐらいに見えた。玄関のドアを開けず、インターフォンで対応した。「どちらさまですか?」
すると、Y新聞です、といってきた。ついに来た。。新聞を受け取ったことで、お金を請求されることを覚悟した。3年前の新聞勧誘の恐怖体験がこみ上げてきた。

 

「あの、、新聞、、いかがですか??」

 

その声は、びっくりするぐらいナヨナヨしていて、弱々しかった。もっと凶暴さを抑えたような、作り笑い的な明るい声を連想していたので、想像とのギャップに驚いてしまった。

 

「さ、三ヶ月でいいんで、、」
「もしかして、いつも新聞を入れていたのはあなたですか?」
「そうです、気に入っていただけましたか?」

 

まじか、本当に、確信犯で入れていたのか。。頭の中では理解していたつもりだったけれど、実際に本人の口から勝手に配達してましたと聞くと、ものすごい違和感がこみ上げてきた。これは明らかに異常だ。
「いや、僕はいりません。そして、今後も新聞を採る気ないので、もう入れないでください」
すると、ショックを受けたのか、彼は泣きそうな声でこう言った。
「そ、そんな殺生な…..!!」

 

「殺生な」と聞いて、絶句した。言葉自体、時代劇以外で聞いたのは初めてで、本当に驚いた。でも、それ以上に、その言葉に込められた悲痛な叫びが、ものすごい鋭利な刃となって胸をえぐった。

 

ひと通り泣き言を聞いた後、僕はインターフォンを置いた。しばらくたって、玄関の覗き穴を見に行ったら、もう中年の男の姿はなかった。

 

彼の「殺生な…!」という言葉が頭に焼き付いて離れなかった。だいたい「殺生な」という言葉が出てくる時点でおかしい。ここからは勝手な想像なんだけれど、彼は末端の人間なのだと思う。おそらく厳しいノルマを課せられていて、今月中に何人分の契約をもらってこい、と言われていたのだろう。もしかしたら、そのノルマを破ると仕事がなくなってしまうのかもしれない。あるいは、上司が3年前の新聞勧誘みたいな人で、精神的に追い詰められているのかもしれない。

 

だいたい、勝手に新聞を突っ込むやり方だって聞いたことがない。たぶん、相当追い詰められて、こういうことをしたんだと思う。どうしても新聞を捌かなきゃいけなくて、どこかで何がなんでもばらまきたかったんだと思う。

 

新聞配達員が去って、働くってなんだろうと考え始めて、こっちも凹んできた。
 一歩間違えたら、世の中は一気に生きづらくなる。