藤田新策さんの絵が大好き

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小学校の時からずーっと大好きだったイラストレーターは藤田新策さん。スティーブン・キングや宮部みゆき、小野不由美の「屍鬼」の表紙の絵を手がけている。俺はね、この人の描く絵が、もう大好きなの!!めろめろ!!(ワイン飲んで酔ってます)
今彼が装画を描いたスティーブン・キングの「ザ・スタンド」という小説を読んでいるんだけど、これが鬼のように長くて、文庫本だと5冊分。でも、わざわざ文章が二段構成になっているくせに一冊800ページ近くもある、人を殴り殺せるほどの重さのハードカバー版を買って読んでいる。理由はもちろん、藤田さんの絵が大きく描かれているからだ。
もう、正直ね、この表紙を見てるだけでご飯を何杯もいけるし、撫でているだけで、ネコと戯れた後のような癒された気分になる。ぜったいマイナスイオンが出てると思う。
藤田さんのホームページに行くと、絵とともにその解説が掲載されていて、とても興奮する。本当ならここでは「勉強になる」と書くべきなんだろうけど、読んでる俺はそれどころじゃない。絵や、それにまつわるエピソードが書かれたキャプションを読むたびに「うおっ!」とか言葉とは異なる声を発し、いわゆる「あちらの世界に旅立った状態」になる。トリップするという意味ではドラッグと一緒だ。
なんでそんなに藤田さんの絵が好きなのか?それはやっぱり、独特の雰囲気のせいだ。藤田さんの絵は、見ているとどことなく不安な気持ちになる。でも、決してグロテスクではなく、不快な気持ちにならない。見ていて心地いい不安感。で、おれはその心地いい不安感がだいっすきなの!!
でも、いったいどこからその心地よい不安感が出てくるのか?今俺が絵を描いているのは、まさにそれを研究するためだと言っても過言ではない!(※酔ってます)
なぜ、こんなに彼の絵が大好きなのか?絵のタッチ、色合い、もちろん、どれをとっても大好きだ。でも、僕はそれ以上に、彼の「見せない」技術に心底ほれている。彼は絵を描いているにもかかわらず、鑑賞者に「見せない」ということに長けていると勝手に思って崇拝している。
例えば、藤田さんの絵の画面の中には死角が「描かれている」。例えば「トミーノッカーズ」の絵には森の中の地面に穴が空いている様子が描かれている。穴の底からはエメラルドグリーンの光が漏れているけど、その光の正体がなんなのかは、鑑賞している人にはわからない。そのため、不気味なんだけど見てみたい、という好奇心が沸き起こる。それが心地いい。
また、多くの絵で、道が描かれている。道は画面の奥に向かって伸びているが、カーブを曲がったり、果てしなく伸びたりしていて先は見えない。文庫版「模倣犯」の1、4巻、ミザリー、スタンドバイミー、文庫版ザ・スタンド1巻4巻、ニードフルシングス、ほんとうにいろんな本の装画に先の見えない道が描かれている。その先になにがあるのか、嫌でも気になってしまう。
藤田さんの絵は、物語の一場面が書かれていることが多い。でも、「全部」は描かず、大事な部分を覆い隠している。大事な部分とは、もちろん物語の確信だ。絵の具で丹念に色を重ねて、物語の行方を入り口まで見せながらも、その奥を覆い隠している。そのためか、藤田さんの絵をみていると、絵をみているにもかかわらず、絵の世界について想像力を働かしている自分に気がつく。
事実、そのことは手がけている小説の装画の数に現れていると思う。見ている人に想像力をかき立てるからこそ、小説が読みたくなる。それで、よく書店にいって、本の装画を鑑賞したりするんだけど、さすがに藤田さんほど惹き付けられる絵を描いてるのはいないぜ。
何だこの記事!ワインうめー!!