片付けと父と興味

1.
最近は、研究室の机の整頓や家の片付けをするのが楽しくなってきた。というか、興味があります。
無意識を『手入れ』することを意識し始めて、いかに自分の行動が周りの環境に影響を与えているのか、ということが、少しずつ(本当に少しずつ)見えるようになってきました。
机が散らかるというのも、結局物を使った後、意図せず(無意識的に)その場に置いて放置することから始まります。だから、机を片付けるのは、そのまま無意識の手入れに繋がると気がします。そう思うと片付けが楽しくなってきた。
そしたら、なんかその興味の対象が、どんどん生活全般に行き渡ってきて、料理作るのも、床をほうきで掃くのも、以前よりほんの少しだけ楽しくなった気がするから不思議ですよねー
まー、とはいっても相変わらず部屋は散らかってはいるんだけどねー。
このまま、どんどん意識を向けられる範囲が増えていけばいいなあと思います。
2.秋葉で親父と
先週の金曜日、学会のために上京してきた親父と秋葉原で飲みました。親父は僕がこの世でいちばん尊敬している大人物です。
親父は、那覇市立病院で医者をやっているんですが、2年前から甲野善紀という方が始めた、古武術をベースにした身体操作法にのめり込んでいます。
で、話していていちばん驚いたのは、父は学会の前の週も上京していて、実際に甲野さんに会って、古武術の指導をしてもらっていたということ。しかも、それを病院のお金で!!
話を聞くと、父は院長に、この身体操作法が介護の場面でいかに役立つか、そして、それを看護士に教育することがいかに大切かを、実演を交えてプレゼンし、お金を捻出したのだそうです。
『実演』ということは、2年間独学で身につけた『一見うさんくさい』技術を見せたということ。そして、それが那覇市で有数の病院の院長の心を動かした、ということ。これがどれほどスゴいことかわかりますよね。
「それがいいものかどうか判断するには大抵2年かかる。2年という時間が重要ではなくて、それがいいものか理解するには、長時間必要だということ」
「介護のためという大義名分はあるが、結局はやってて自分の体の動きが変わっていく様子がわかるのが、スゴく楽しかった」
「何歳年をとっても、俺は俺。楽しいことは楽しい。楽しければやる。それはいつになっても変わらない」
金言の連発。
3.自分の変化
父とは、他にも養老孟司の話とかいろいろしましたが、帰りの電車の中で、僕と父の根底の部分には「自分の変化に対する興味」があるんだろうな、と漠然と思いました。
「具体的に何が好き」なのではなく、「何かすることによって起きる自分の変化」が好きなのだと思います。それが全てというわけではないですが。
僕が『無意識の手入れ』に興味を持つのも、『英語』に興味を持つのも、「そういう風に体を変化出来ればいいのになあ」、「そういう風な視点で物を見れたらいいなあ」ということから来ているものが大きいです。そして、その取り組みのフィードバックが自分の体に現れてくるのが何よりも楽しいのかもしれません。
ただ、スポーツ選手と違うのは、あんまり競争したくないということ。僕は負けず嫌いのヒガミ屋なので、競争すると心が安定しなくなります。
精神の有り様を追求する僧侶にも、興味はないです。実生活にあまり反映されないから。
かといって、人と対面時の作法だとか、表面的な身体変化を望んでいるわけでもない。
変化は頭や身体の奥底で起きるものがいいです。生き方、考え方がどんどん変化したり、深化したりして、それが周りににじみ出ればいいと思います。
物の見方が何通りも出来て、何通りの考え方も出来るような人になれれば嬉しいです。そういう方向に向かうような変化を楽しめたら最高ですよね。
それで『無意識の手入れ』なのであり、父の『身体操作術』なのだと思います。
ベルサイユの豚

↑本文と全然関係ないんですけど、この看板面白くないですか?