無意識の『手入れ』

もう、「体は自然だ」論、「無意識を手入れする」論にハマりまくりです。
1.『自然』の定義
養老孟司の定義では、『意識が作らなかったもの』が『自然』なんだって。そして、それ以外は『人工』。
例えば、木を切って家を建てた時は、意識的に家を設計し、作り上げたので『人工』。ところが、時間が経ち、シロアリに柱を食われたり、カビが生えたり、苔が生えたりして、どんどんぼろぼろになっていく課程は、人間の意識が作用してないので『自然』。
で、この『自然』と『人工』の定義の話は、かなり長くなってしまうので、興味のある人は『いちばん大切なことー養老教授の環境論』(養老孟司著 集英社新書)、『スルメを見てイカがわかるか!』(養老孟司、茂木健一郎共著 角川oneテーマ21)を読んでください。目から鱗でっせ。
そこで、ここからは養老孟司の『自然』の定義を採用していきたいと思います。
2.人間は無意識だらけ
変わって無意識の話。まだ途中なんだけど、いま池谷裕二著の『進化しすぎる脳』(ブルーバックス)を読んでて、無茶苦茶ハマっています。今までの中で、特に感動したのは、人間は無意識だらけで、意識なんてほんとに氷山の一角でしかない、ということを、実感を持って知ったということ。
例えば、視覚。目の網膜から脳につながっている視神経はおよそ100万本なんだって。100万本ってめちゃ多いように聞こえるけど、よく考えると、それはカメラの100万画素と同じだということに気がつくはず。100万画素??
100万画素って、実は結構荒いよね。普通のデジタルカメラなんて、だいたい400万画素。100万画素ってその四分の一。そして、それを俺らが普段見ているような視野全体の大きさにまで拡大してしまったら、もう画面は荒くて見れたもんじゃないはず。ところが、現実にはよく見えている。
なんで、見えているのか?それは、脳が視界の画像を補完しているからなんだって。そのことは盲点の実験で簡単に確認出来ます(詳しくは本で。感動です)
更に言えば、実は網膜内の細胞の構成上、視界の周辺は色が全く感じられないはず。なのに実際にはそんなことはない。これも脳が勝手に色を補完しているんだって。
で、これらの脳の働きは、見ている人自身が『見えろ!!』って意識することでイメージを補完しているわけじゃない。うまり、意識的な脳の働きではない。
ここで、池谷さんのいう『意識』の最低条件はというと、次の通りである。
1.表現を選択できる・・・立とう、歩こうといった、自分の行動の選択が出来るということ。
2.ワーキングメモリー・・・短期記憶
3.可塑性・・・過去の体験によって、脳の状態が変わること。
正直2、3はイマイチ理解していないんだけど、注目は1。物事を判断したり、選択出来ることを意識とよんでいる。つまり、判断出来ない物は無意識の仲間なのだ。
ということは、この条件でいけば、普段「見ている」のは無意識的な行動ってことだ。本の中でもそう言い切っている。これってすごくない!?見ている行為でさえ、ほとんどが無意識ってことは、想像以上に無意識の力って行動の大半を占めてるんじゃないかとおもっちゃう。
考えてみれば、ペンをもって線を引くにしても、線を引こうって意識が働いてはいるものの、実際に引いている行為は無意識だったりすると思う。字を書く行為は殆ど無意識だ。いくらきれいに習字を書こうとしても、意識だけではかけない。そこに感覚だとか、そういう意識だけでは説明出来ない要素が入ってくる。それって無意識なんだろう。
習字を一年間書き続けたとき、最初の頃の字と今の字とでは全然違うはずだ。『ここを止めて、ここを払う』。字を書く上での知識はこれぐらいのはずなのに、書いた字のレベルは段違い。これはつまり知識(意識)とはちがう、このタイミングでこう筋肉を動かすといった無意識の部分でのレベルが上がったということだ。
同じことは仕事だとか、普段の生活や、人間性にだって言える。人間性を決めるのも、無意識の部分だと思う。ふるまいや仕草なんて特にそうだ。意識的にふるまうには限界がある。でも、そんなところにその人の魅力が潜んでいたりもする。ということは、無意識部分をいかに魅力的に発展させるかが、より良い人間性や生活に直結してくるとも言えなくない。
3.無意識は『自然』。だから、手入れが必要
1.で確認したように、『自然』の定義が『意識が作らなかったもの』なのであれば、無意識も『自然』、ということになる。これってスッゲー面白い考え方だと思うけどどう!?(僕のオリジナルじゃないけど)
もし、『無意識は自然だ!』と結論付けちゃうと、『もう自分の力ではどうにもならないっす』という方向で落ち着く。台風を人間の力でとめることなんて出来っこないし、『自然』を人間が征服しようとしても無理が生じる(多くの環境破壊はこの考え方で生じた)。
自然と人間がうまくやっていくには『手入れ』がいちばんだ。特に日本では昔から『手入れ』の思想が根付いてきた。日本が世界で第2位の経済大国なのにも関わらず、国土の70%が森林で覆われているのもこのためだ。日本人は林業という手法で、山をずっと手入れしてきたのだ(養老孟司曰く。)。
だから、無意識は僕の力じゃどうにもならないもんだ、と割り切っちゃって、どうやれば、よりこの『自然』と寄り添って(手入れして)生きていけるかと考えるとすごく面白い。
ほんとは、じゃあどうやって無意識を手入れするんだ、ってことを書きたかったんだけど、長くなったのでまたいつか。(でも実践出来なきゃ意味ないねー。)