時代はまだ続いているのだ

昨日サッカーの日本代表のアンゴラ戦を見てたんだけど、あまりにシュート外し過ぎで、また一人部屋でテレビに向かって怒鳴りっぱなし。マジ近所迷惑。
10時頃、ツヨポンが俺んちにチャリを取りにやってきた。俺のチャリは今二台あって、そのうち一台を取りにきたのだ。
もちろん理由は金曜日の夜の築地ツアー。俺も行きまっせ、村山の旦那。
ツヨポンは俺んちの惨状をまだしらなかったらしく、来てみて非常に驚いていた。当然のリアクションか。
しかし、こんな寒い中一人で遠くまで呼んでしまって少し罪悪感がした。昼間の間にチャリぐらいこちらから学校に持っていけよ。
でも、こんな部屋ではさすがに何ももてなせないので、近くのガキ大将に行った。ラーメンをすすりながら、つもる話をする。
話す内容はだいたい今までのサークルを振り返るものだった(個人的な悩みもあったけど)。大祭を最後にうちら03の代はほぼ引退なので、まあしょうがない。
その中に、ツヨポンの写真缶誕生秘話みたいなものがあった(彼はサークル内の活動を一年の時から写真に収め、ホームページにアップしている)。
ツヨポンはサークルに入ったころ、二度やめようと思ったことがあったらしい。そのときは自分のサークル内の居場所、役割、または存在理由みたいなのが欲しかったんだけど、その模索の結果が、この写真缶だったのだそうだ。
しかし、改めて考えてみると、一年の入りたての頃から、こうやってまとまって写真として記録しているなんて、ホントすごいことだよな。奇跡的だよ。まねしようとしても、なかなかできないと思う。
時計をみるともう11時をかなりすぎていた。
ツヨポン「あっ・・・終電逃しちゃった・・・(ポッ)」
俺「しょうがないな・・この?」
ガキ大将の帰り、コンビニによって酒を買った。
帰り道、俺らの卒業の時、みんなに何を配るかという話題が出た。ツヨポン曰く写真館は印刷すると金欠で死んでしまうんで、DVDにして配ろうといっていた。大賛成。
で、それとは別になんか作んないかいという話になった。例えば写真集とか。皆着飾って、超カッコいい格好して、一人数枚ずつ写真を取って、思い出と、みんなへの一言を書いて、それを奇麗に印刷して、本にするの。そしたら、まるでこの時が神聖な時間っぽくなって、超カッコいいんじゃないかって。
てか、もう卒業の話してるなんてね。まだ四年生も卒業してないのに。いや、一年てあっという間か・・。
家に帰って、全然散らかっていないロフトの上にツヨポンのパソコンを持っていって、チューハイを飲みながら、中に入っている写真缶の写真をスライドショーにして見た。曲はミスチル。
・・・・・・・・
・・・・・・来るわ?・・・これ。これは本当にヤバい
これ卒パーとかでやったら、マジでみんな号泣だぜ。
みんな一生懸命だったって事が一枚一枚に納められている。すごい。そして若い。
皆若くて、18や19歳の顔をしている。そして、みんなが皆すごい笑顔。皆一生懸命だったんだ。
そして、気付いた。俺こんな仲間達にまだ囲まれて生活しているんだった!
そう、まだ、この時代は続いているんだ。中学や、高校の時は、いつも終わった後に気付くことが多かった。ああ、彼奴らと生活できて本当に良かったって。でも今回は、こうして写真を見て、進行中にそのことに気付いてしまった。そうなんだ、まだ終わってないんだ!
まだ終わっちゃいない。楽しまなきゃ!!
考えて見たら、まだ冬合宿二回もあるし、夏合宿もあるし、飲み会だっていっぱいある!
撮影だって出来るし、また旅行も出来るし、恋愛だって出来るし、ジンギスカンだって食いにいける!
バーベキューだってあるし、甘味だってあるし、ドライ部だってあるし、スポ兵だってある!!まだまだ楽しまなきゃ!!
でも、時代には終わりが来る。
終わったら、それを悲しんで泣こう。時代が終わったことを思いっきり悲しもう。悲しめるって事は、それに値するほどとても素晴らしい時期だったんだって事だ。もう二度と手にはいらない、最高の時間だったって事だ。
だから、泣こう!
03のみんな!卒業のとき、みんなで泣こうぜ!みんなで抱き合って、思いっきり泣こうぜ!!あと一年後に、みんなで泣けるよう、明日からまた一生懸命頑張ろうぜ!!
がんばれ!
ツヨポンが寝た後、熱くなって俺はなかなか寝付けなかった。23の冬の夜。


大学生的生活

最近完全に生活の中心が研究室と化している。遂にうちの愛機『iMac壱号』も、レオパレスから研究室に移籍が完了し、三年生用のテーブルの一つを独占してしまった。おかげでこのブログを更新するためにはわざわざ研究室に来なきゃいけないというはめに。それは、まあ、いいや。
我が家は依然として廃墟のまんまである。
復旧のめどが全く立たない。この前の土日は03生の伊豆旅行で潰れてしまった(詳しくはリンク先のCOLORFUL HEARTSを見てちょ)。
こんなジャンクな本や棚達の前に立つと、すべてのやる気を奪われてそのまま寝袋に吸い込まれて寝るしか無いのだが、早いとこなんとかしないと、このままズルズルいって、廃墟の中で孤独なクリスマスを迎えてしまう危険性がある・・。
それだけはなんとしても避けなくては!!
というわけで、昨日全休だったんで早速朝から部屋の中のいらないものを捨てて、メタルラックを家に運ぼうという計画を、03合宿中に自分の中で起こした。
ところが起きてみると・・・
な!!もう1時ですやん!!
昼にはサ館に行ってさおりんと落ち会うことになっていた。ここは柔軟に計画変更だ。つまりサ館に行ってさおりんとの用事を済ませた後、メタルラックを我がチャリ『アインシュタイン号』に載るだけ載せて、家に帰ってから捨てるやつを分別するのだ。
ところが、サ館にさおりんの他にユッチがいて、これがまた『レッサーパンダはワニの餌』だとか、『洪水で水が溢れたとき、斉藤家の庭では大物が釣れる』とかいった馬鹿トークをしているのだ。
これに思わず参加してしまったのが俺のすべての敗因。メタルラックのことをすっかり忘れてしまって、思い出したときには既に外は真っ暗になっていた。
なんてこった・・。
とりあえずサ館に戻ったら、メタルラックが入り口付近にゴシャっとあった。これ全部もって帰るのかよ!
明らかに無理なんで、とりあえず1.5メートルの棒4本と、90センチのラックを4つ、持って帰ることにした。
しかし、明らかにオーバー・ザ・キャパシティ。
長い棒を引っ掛けるように乗せようとしたけど、どんどん滑り落ちていく。一個が滑り落ちそうになると、それを取ろうとして、今度は別のやつが落ちる。両手が塞がると足で今度はおさえる。そうして両手両足がすべて塞がると、後は残りが滑り落ちるのをただ黙って見ているしか無い。
まるでドリフのコント。最終的に立てかけた4つのラックの重みで周りのチャリまで倒れる始末。なんでこーなるのっ!!
ところがムカついてサ館に帰ると、ビニールのひもを発見。そのときになって初めて、今まで紐で結ぼうとしていなかったことに気がついた。ダメダコリャ!!!
ついでに、この棒も90センチと60センチにわけられることに気がついた。
俺はラックを荷台に積んで縛り付け、手で押さえながら徒歩で帰った。
轟小学校のあたりは、桜の葉がハラハラと落ち、その様子が街灯に照らされてとても奇麗だった。もう完全に秋の終わり。
この時期は二年前の『きまぐれな月』を撮影していた頃を思い出す。あれは俺の中ですごい撮影だった。女子トイレにカメラを持って入り、痴漢と間違えられたのは後にも先にも多分このときしかない。
そして、月がとても奇麗だった。
なんだ、大学もいい思い出がいっぱいあるじゃないか。最近になってようやく頭の中の思い出がいい感じに醗酵してきたんだろう。いい歳して、いい青春してるぜ。
メタルラックをかついで、馬鹿みたいに家路についたのでした。


研究室の近況と、初宿泊のお話

最近周りの変化が激しいので、『ゆけ!三線三人衆』は後日、時間が空いているときに11/7の日付でどかっと載せることにしました。ごめんなさい。
今日研究室でプレゼンがあったんだけど、その準備が結構大変だった。
その授業は環境デザイン演習(前期にぶっ殺されたエコストリートファニチャーがあった授業のつづき)で、各班に別れて、それぞれの課題をこなすというものだ。
俺らの班は、市原市にある『日夕苑』という経費老人ホームの庭のデザインをし直すという課題で、メンバーは各班で最小の5人(TAも入れて)。毎週そこに訪れて、高齢者の方々といろいろな話をしていた。大祭期間中である11/4も老人たちと一日中しゃべっていたのだ!
で、この課題が面白いかどうかと言うと・・・・・・
めちゃくちゃ面白い!!
まずうちの班のメンバーが、面白い。逆瀬川(以下サカセ)っていうやつがいて、これがまたかなりいい味を出す。リッキーってやつがかなり冷静な判断を出したりして、キム兄は頼りになるし、なんと言ってもTA(ティーチング・アシスタント)の小杉さんがめちゃくちゃ可愛い!!彼女がいる時といない時とでは、ヤローどものテンションに大きな差が出る。全く持ってきもい話である。
夜中の準備となると、少し話が変わってくる。
まずリッキーは忙しくて、夜中はあまり準備に携われない。さらにTAの小杉さんはTAなので準備には参加しない。よって実質作業は、俺とサカセ、そしてキム兄のむさい三人である。
で、作業の為に研究室に集まるのだが、ここで奇跡が起きた。なんと生徒4人中3人がデスクトップ。しかもiMacなのだ。
じゃあ、それぞれ分担して作業しろよって話になるんだけど、俺らにはそれが出来なかった。なんと、俺とサカセは、パワポがほとんど使えないのだ!!
パワポ(PowerPoint)は、おそらく社会で最も使われているプレゼン用の編集ソフトだ。これが使えなきゃ、今後学校、あるいは社会に出てからのプレゼン等に大きな支障をきたす。
CBS(うちのサークルね)ではプレミアとかアフターエフェクトといった映像編集ソフトをがんがん使うのに、おそらく一般的に一番使われているパワポが使えないってどういうこった!!
俺はこの事実に衝撃を受けた。
ここで輝くのがキム兄である。彼はパワポという俺らには無い最強のアイテムを使いこなす技術を持っている。
キム兄「え!?おまえらパワポ使えないの!?」
まるで「僕はお箸を使えません」といっている人を見るような視線を、俺とサカセは一生忘れない。
それからのキム兄は本当に頼りになった。どんどんパワポの技術を発揮して、俺たちを驚愕させる。そして、サカセは自分のパソコンに繰り広げられるキム兄マジックを全部吸収しようと必至だった。
パソコンの前で必至の二人。USBの差し口のいくつかのうち、二個にマウスをブッさして、一台のパソコンに二個のマウスを同時に稼働させるという荒技。俺はそんな二人を見て、とても微笑ましくなって、なんて楽しいんだろうと思った。
なんて楽しいんだ!これこそ大学の研究生活だよな!こうやって大学に閉じこもってみんなでマウスをカチカチ。まるでサークルの映像班合宿じゃないか!俺もがんばろう!俺は何しようか?パソコンは埋まってるし、でもみんなに役立つことがあるだろ!考えろ考えろ・・
あ!そうだ!年賀状を書こう!!今から書けば一枚一枚気合いを入れて、しかも年始に間に合う!それだそれだ!きっと皆喜ぶぞ??!!!
・・・・・・暇。
暇で暇でしょうがない。だって、やること無いんだもん。二人でどんどん進めていく。俺がなんか口を出すと、「あ、それはもう終わったことだから・・・・」となる。
そうするとだんだん眠くなってくるわけですよ。
昨日もその例に漏れなかった。
もうどうしようもないぐらい眠い。机に伏せて寝ようと思ったが、イスにローラーがついているので、下半身がテーブルの後方にずれていってなかなか眠れない。イスを並べて寝るのもしかり。
しかし、うちの研究室には最終兵器があった。ソファーベット。最強!!
でもこれで寝たら絶対朝まで直行便だよ。絶対起きるの無理だよ!!
ところが、二人の仲間たちが温かい言葉をかけてくれた。
サカセ「ベッドで寝なよ。俺たちが起こすから。」
その言葉が耳に入った数秒後には、俺は奇麗にベッドの上におさまり、夢の世界に旅立っていた・・・・。
しばらくして、俺は激しい寒さで目が覚めた。もう、とにかくめちゃくちゃ寒い。
俺は起き上がり二人を見てみた。
なっ!!!
ふたりとも寝てますやん!!
サカセはこんな寒い中、めちゃくちゃ冷たい机の上に寝そべっていた。
しかし、驚いたのはキム兄。
キム兄にいたってはローラー付きのイスを並べて、滑っていかないように腹筋で踏ん張りながら寝るという、奇跡に近い寝方をしていた。
え?なんで二人はこんな恐ろしい過酷な条件かで寝ているの?まさか・・まさか・・おれが起こしても起きなかったから!?
このメンバーの中で、研究室の鍵を持っているのは実は俺だけだ。だから二人は何をやっても起きない俺をおいていくわけにもいかず、結局ここに泊まることになったのでは・・?
居心地のいいベッドを俺に取られていたので、仕方なくこんな条件の悪いところで、俺に恨み言を考えながら、眠りについたのでは・・・!?
俺はおそろしくなって、特に寒そうなサカセになんか施してあげようと思った。でもサカセはどうやら熟睡しているようだ。ここで起こしてやるのもどういうものか。
・・・いろいろ考えた俺は、結局サカセの寒さの分も分かち合おうと、俺のジャケットをサカセにかぶせて、俺はYシャツ一枚で寒さにがたがた震えながらもう一度眠りについた。
きっとこれで俺も許してもらえるかな・・・。っていうか、みんなでこんな寒さを共有しながら眠ったりしたら、またきっと楽しい思い出になって、うちらの班は団結するに違いない。だったらこれでいいじゃないか。
俺も喜んでこの寒さを受け入れよう・・。痛さを共有するんだ!
翌朝、サカセがエアコンの暖房を発見。めちゃくちゃ目立つところにあったのに誰も気付かず。しかもつけるとめちゃくちゃ暖かい。
馬鹿さも共有したのでしたとさ。
(二人が寝た理由は、少し仮眠を取ろうというものでした。完全に俺の勘違い)


ゆけ!三線三人衆 その1

今日研究室から出てくると、上江洲久美子が俺を見つけて手を振ってきた。少し前なら普通に友人として笑顔で手を振りかえして終了だけど、今回は違った。久美子が戦友に見えた。
今回から数回に分けて、大祭中の、俺と上江洲久美子、そして上原敬生(たかお)の三人の三線との格闘の日々を連載していきたいと思います。
10月22日金曜日の夜九時まで、シンコー前で、三線に関して俺はずっと憂鬱だった。
三線とは沖縄の三味線のこと。沖縄の踊り『エイサー』を踊るとき、ジュウテイと呼ばれる人が、三線を弾きながら歌を歌う。俺はガジュマルクラブと言うエイサーを踊る会(5/13の『ガジュマルクラブの危機』参照)に参加していて、そのジュウテイの役割を与えられていたのである。
俺はこの役割についてはとても満足していた。俺にはエイサーの才能なんてない。もう、ホントにへたくそで、・・・・っていうか、踊りとか云々言う前に、基本的な動きからして俺は他の人とは少し違っているようだ。
踊って恥をさらすよりは三線を弾いて歌う方がよっぽどましだ。
しかし、おれにとって問題だったのは、その三線の弾き手が俺しかいないということだ。
もし二人以上であれば、多少間違ったり、一人が詰まったりしたとしても、もう一人が引き続けているので大丈夫だ。それに多少のミスはうまくごまかされて、素人ならまず気付かない。
しかし、一人になると話はだいぶ変わってくる。
間違うリスクが高すぎる。まずギターの弾き語りとは違って、三線を弾いて歌う時は、左手の指は常に動かしっぱなしである。さらに、三線が奏でる音程と歌声の音程は全然違う。つまり歌いながら弾くと、間違うリスクが高くなる。
そして、間違いはダイレクトに聞き手に伝わってしまう。ごまかしようがない。
今回弾く曲目は五つあった。一曲目は『仲順流り(チュンジュンナガリ)』、二曲目『スーリ東り(アガリ)』、三曲目『久高マンジュウ主』、四曲目『テンヨー節』、そして五曲目が『唐船(トウシン)ドーイ』。
まず三曲目と四曲目は出来そうな予感はあった。これはテンポが遅いし歌も三線と音程がほぼ一緒だ。しかし、一曲目は歌が難しい。何回聞いても『これ歌かよ!?』ってなってしまう。覚えられない。もちろん弾きながら歌えない。
唐船ドーイに至っては怪物であった。マッハで指を動かしているくせに、歌っている音程は全然違うのである。まさに大ボス。
さらにジュウテイと言うプレッシャーが、そのリスクを限りなく巨大なものにしてしまう。踊り手はジュウテイの演奏に合わせて踊るのである。つまり、俺がミスったら、30人近くの踊り手が全員失敗してしまうのだ!
俺の今の状況は、1.3.4曲目が弾けて、2曲目と王様は弾けてない。もちろん歌って弾ける曲なんて一曲もない。大祭まで、もう二週間は切った。
他に三線持ってるやつ、出来るやつに一緒にやらないかと頼んでみたが断られてしまった。
信じられない・・なんていうこの状況・・・。圧倒的・・・。
そんな絶望的な状況のなか、直後に二人の救世主が現れた。この時は一人目、上原タカオであった。彼とはそれまで全く面識がなかったが、偶然シンコー前を通りかかったとき、俺の三線の音色をとエイサーの太鼓の音を聞いてやってきたのである。
タカオ「いや、三線の音が聞こえたんでもしかしたらと思って。自分三線弾けますよ」
これはきっと何かの縁だ!こいつを逃すわけにいくものか!
俺「じゃあ明後日から来い!!猛練習な!」
二人目の救いの女神、上江洲久美子が現れたのは、その後に開かれた俺の誕生日飲みの時だった。彼女は飲み会の席で俺のところにやってきた。
久美子「三線やってるの?!!」
俺「やってるよ。めちゃくちゃヤバい」
久美子「あたしもやりた?い」
まじで!!
俺「じゃあ明後日から練習だ!!猛練習な!!」
こうして、タカオは偶然通りかかって初めて俺に出合ったばっかりに、そして、久美子はたまたま俺の誕生日飲みに出席したばっかりに、超濃厚な二週間をもがき苦しむはめになったのであった・・・・・
つづく