人生を楽しむ

今日は、・・・って始まる記事が、俺のブログには本当に多いって気付いたんだけど、まあ、しょうがないか。
今日、新宿でサカ、智ちゃん、ダルマという、普段じゃ滅多に集まらないようなメンツで『チャーリーとチョコレート工場』を見てきた。
といっても、誰が誰だかわからないと思うので、少し説明します。
つながりはズバリ、山内真(高校の友人)とロンドン。
まず、山内真と智ちゃんはカップルなのです(8/22の『バカップルの付き人』参照)。ちなみに二人の出会いはロンドン。
で、サカは、俺が今年二月にロンドンの真の家で三週間共同生活したときに、一緒に生活したフラットメイトで、英語と日本語どっちが得意なのかわからないという、ファッションデザイナーをめざす今度21歳の女の子。
最後のダルマは俺と同じ高校出身で、ロンドンで写真を学んだ後に帰国して、都内のスタジオで働いている。実は高校時代はほとんど話したことがない。俺がロンドンにいた時は、彼はすでに帰国していて、俺は彼のケータイを使っていた。
ちなみになんでダルマって言われてるのかは俺もよくわからない。ただ、向こうで俺があった外人さん(だいたいがアジア系)も彼のことを“ダルーマ”っていってたからウケた。
俺たちが目指したのは、新宿ピカデリー。
普通久しぶりな人にあったらどこかの飲み屋に行きそうなんだけど、今回はサカがどうしても『チャーリー・・』を見たいと言っていて、偶然見たい映画が四人とも一致したからそこに行くことになったのだ。
感想。俺は楽しめた。俺はこの映画が賛否両論だってことを知っていたから、あんまり期待してなかったので、結構楽しめた方だったとおもう。これから見ようと思っている人は、そのことをふまえて見に行った方がいいとおもうよ。
ちなみに他の三人は微妙そうだった。ジョニーデップ大ファンの智ちゃんも、まあまあやねといった表情だった。サカは面白かったね?と笑顔を振りまいていた。
で、俺はサカにこの映画をどうしてそんなに楽しみだったのかって聞いてみた。
サカ「あ、この映画の前のバージョン(実はこの映画の原作は70年代にも映画化されている)が、あたしが一番最初にみた洋画だったんだ」
俺 「あ、そうなんだ」
サカ「それにあたしの一個上の学年が、この映画の衣装に関わっているし」
・・・・・なっ!!?
俺 「え!?どういうこと?」
サカ「あたしたちの学校映画の衣装デザインの学校じゃん。で、結構手伝いにいくんだよ」
俺 「どのシーン!?」
サカ「あのチョコレートの滝とかがあるとこ。芝とかが生えているやつ」
ダルマ「あ、そこ俺も手伝いにいったや」
・・・・・はあああああ!!!!?
俺 「まじで!?」
ダルマ「なんかそこロンドンのスタジオに巨大なセットを作ってやったんだぜ。そこのスタジオは広さがサッカー場6個分あんの。」
そうだ、こいつら住んでる世界が違うんだった。サカの同級生には、ダースベイダーのコスチュームをデザインしたっていう父親を持っている人がいると聞いて驚いたことがあった。
その二人はもう次の話題に入っている。もうそんなことはどうでもいいといった感じだった。映画の手伝いなんて、日常茶飯事なんだろうか。
夜の新宿を歩く俺の頭の中には、ずーっとくだらないことがぐわんぐわんと渦巻いていた。
彼らの世界は広い。俺の世界は狭い。彼ら(三人とも)英語が話せる。俺は話せない。彼らは夢に向かって経験を積んでる。俺は積んでない・・・
くっだらね?、くっだらね?。そんなの後から積めばいいじゃないか。今から積めばいいじゃないか。
くっだらね?。
他人と人生を比較してどうする。
映画館を出た後、居酒屋に入った。
酒の場で、真の、ロンドンの大学に入学出来るか出来ないかという大事な面接のときにやった、ものすごい逸話が話題になった。
真は英語がほとんど話せないのにも関わらず面接に乗り込んだとき、試験管に、「あなたの尊敬するアーティストは誰ですか?」と聞かれたそうだ。真が返した答えを聞いたとき、俺はほんとに驚いた。
真 “・・・Yuta kina”
・・・・・喜名ユウタは真と俺の友人である(『バカップルの付き人』参照)。アーティストでも何でもない。
もちろん面接官が知るはずもない。
真”Yuta is a japanese most famous artist”
完全にはったりである。彼はこれでイギリスでも超難関の大学に入ったのだ。
ダルマ「あいつは変なところで度胸がある。」
度胸か・・・・。すげーな。バンジージャンプを飛ぶのに一時間も粘って、結局あきらめて登り階段を歩いて下りてきたことがあるチキンな俺には、到底出来ないことだ。
しかし、帰りの電車のなか、智ちゃんが言った。
「でも、あたしは、彼に度胸があるとかそんなんではなく、ただ楽しんでるだけだと思う。」
たしかにあいつほど人生を楽しんでいるように見える人を、俺は見たことがない。血尿が出て入院しても、知らない外国人の中に入って孤独な思いをしても、そこには苦しみの中にもどこかにそれ自体を楽しんでいるような、そんな感じを受けた。
でも考えてみれば、それって人生を生きる心得の第一条に出てきそうなぐらい、生きていく上で基本的で、かつ重要なことじゃないか。
じゃなければ、人生は苦しみに満ちたものになってしまうもんな。
俺は、高校のハンドボール時代、あまりの苦しさに、それ自体を楽しむことなんか出来なかった。だから、今でも俺にとって苦しい思い出で、思い出しただけで恐怖を感じる。
たぶん“楽しむ”のがへたくそなんだろう。
でも、俺も人生を楽しむことは出来るはずだ。
そういえば、このブログを始めたきっかけはそれだった。平凡な日常の中に面白いこと、ドラマチックなことを見つけて、それを綴っていく。それが、このブログの趣旨だった。
でも、もっと積極的に楽しみに行ってもいいよな。
浪人後の俺はどうも奥手で隠居的だ。もう少し、自分から行くようにしてみよう。
自分から、出来ることから始めよう。
チャリを全速力でこいで、家路についた。