宇座公民館

つ・・つかれた・・・。
今日は友人の山内真の故郷、読谷村でやっているエイサー祭りにいった。
・・・・・・・・
書きたいことは山ほどあるんだけど、かなり疲れているのでやめます?
ひとついえることは、エイサー四人飛び入りで踊って死んだということです。
つ・・つかれた


ウークイの夜

お盆最終日、ウークイ。二日前に迎えた先祖をあの世に帰す日。
また親戚が集まるので、五時ぐらいには島袋のじーちゃんちについた。
まだ時間があったので、二階(去年ずんとザッキーが寝た部屋)で俺は来月に撮る予定の作品の脚本を書いていた。この前から書き始めているんだけど、もうぜんぜん進まなくて、かなり焦っている。このときも思うようにかけなくて、むかむかしていた。
そのとき、下の階からわいわいやってくる声が・・・。
ミサキとユメミの姉妹だ。
ミサキは中学三年生、ユメミは中学一年生。俺は二人がはたして仲がいいのか悪いのかわからない・・。いつも文句言ってばかり。でもはたから見てるとなかなか面白い。
俺は脚本を見られたくなかったので、急いで隠す。すると・・・
ミサキ「なにかいてんの?」
俺「おれ?レポート書いてる。今忙しいんだよ」
ミサキ「じゃあミサキが書くよ。マサキ兄ちゃん何書くか言って」
なっ・・・・!
ユメミ「お前字書くの遅いだろ」
俺「それに俺八月の終わりまでに書けばいいから大丈夫だよ」
ユメミ「あれ?マサキ兄ちゃん忙しいんじゃないの?」
うっ・・・・・
俺は話をそらすため、別の話題を考えた。
しかし、なかなか話題が見つからない。それもそのはず・・考えてみれば、彼女らとは八歳差と十歳差だ。ただでさえ口下手な俺に戦える相手ではない。俺の話題では会話はすぐ途絶え、逆に終止彼女らにペースを握られて、俺はてんてこ舞いになった。
しばらくして、親戚で卓を囲んでご飯を食べた。出前のシースー。美味なり。
満腹になったところで、おばさんとかおじさんたちと幽霊のはなしになった。お盆だしね。
で、俺が恐怖の研究とか書いてるにもかかわらず「幽霊なんていないよ?」とか言ってたら、おばさんが、「でもあたし幽霊見たことあるよ」といってきた。 
それによると・・・
おばさんが六歳ぐらいのころ・・家族でじいちゃんの妹の遺骨を捜しに、どこかの山に行ったことがあるそうだ。
じいちゃんの妹は戦後まもないころ、脳膜炎という病気によってなくなった。だいたい小学校一年から三年ぐらいだったそうだ。で、いろいろな事情で、じいちゃんは妹の遺体を火葬にもできず、借りの埋葬をした。遺体にかぶせた土の上に、コンクリートの石を置き、釘で命日を彫って、いつかまたちゃんと墓に入れてやると誓った。
しかし、その後じいちゃんは教師になり、那覇市に移って忙しい日々をすごし、20年の歳月が流れた。いつも、山の中に残してきた妹のことが気になって仕方なかったそうだ。
おばさんが六歳になったころ、ついに、家族みんなで妹の骨を捜しに行く機会が訪れた。
20年ぶりに訪れたその場所はずいぶん変わっていた。
コンクリートで作った見印は見つからず、いたるところを掘り返しても見つからなかった。おまけにその日は炎天下で、どうしようもない暑さ。もうほんとに大変だった。
どんなに心当たりのあるところを掘っても見つからないし、子供たちもねをあげ始めたので、とうとうじいちゃんはあきらめて、失意の中、家に帰ることにした。
そのときだった。おばさんがふと茂みのところを見ると・・・・
小さな女の子が立っている・・・・。
それは小学生ぐらいの小さな女の子だった。その女の子は指を指すともなく、地面のある場所を示した・・・・。
そこは、草の多い茂った、まだ一度もチェックしていない場所だった。
おばさんはじいちゃんにその場所を伝えた。もう帰ろうと思っていたんだけど、あんまりおばさんがいうので、調べてみることにした。
すると・・・なんと草の中にコンクリートのしるしがあるではないか。
おばさん「その人は今はこの位牌にいるんだよ」
は??・・・・
20年も待っている気分てどうだったんだろう・・・。
とにかく見つけられて本当によかった・・・。
俺はなんかしんみりした気分で霊の追い出し(?)に参加した。線香の煙が夜空に昇っていく。また、来年も帰ってきてほしいな・・


山里家の親戚めぐり

今日は昨日とは逆に山里家のおじーおばーたちと、山里家の親戚めぐりに行った(ちなみに昨日の母方は島袋家)。
山里家のおじーは島袋家と違って、家にトートーメー(仏壇)がない。
それは山里家のおじーが長男ではないからだ。本土の仏壇のことはよくわからないけれど、沖縄では基本的にトートーメーは長男が受け継ぐことになっている。
トートーメーを受け継ぐと、お盆のときにかなりの人数の親戚がやってくるようになる。その中には、ほとんど知らない遠い遠い親戚も来るようになるらしい。親戚間にとって、トートーメーの継承はとても重要な問題なのだ。
そのため、女の子だけの家庭になってしまうと、今のご時世になっても結婚のときにかなりの問題が発生することがあるそうだ。嫁ぎ先に30年間トートーメーを置いてもらったり・・。男を養子にもらおうとしたり・・・。
これで親戚間が険悪になったりする。沖縄の親戚同士のつながりはかなり強いのでなおさらたちが悪い。
親戚めぐりはいいんだけど、こんなので結婚が台無しになったらたまったもんじゃない。
沖縄の暗黒面のひとつだ。
母と車でおじーおばーを迎えに行った後、小録にある山里将盛(しょうせい)おじさんの家にいった。
山里家は大家とかでもなんでもないのにもかかわらず、名前に”将”がつく人が多い(もちろんつかない人もいる)。沖縄に来て、看板とかに”山里将”がつく名前を見たら、ほぼ間違いなく俺の遠い親戚だ。
ほかにも“屋良”“安和”には“朝”がつく。俺の友人“町田”にいたっては、代々“宗健”“宗吉”が交互につけられてるというからビビル・・・。
俺は仏壇の前に積まれたお歳暮の差出人の名前を見た。
将則、将徳、将善、将吉郎・・・・
おもしろい・・・・
山里家のおじーは、歩き方はよぼよぼで、右手が上がらない。しかもヘビースモーカー。しかし、頭脳だけはいまだに明晰。
俺「最近調子どうね?」
おじー「心は元気だけど体が動かん」
おばー「でも口はパクパクよー。批判精神が旺盛」
俺「批判精神!?」
おばー「もうテレビ見てたらしょっちゅう政治の文句言ってばかり。毒舌」
そう、おじーはほんとに毒舌。でも聞いててマジで受ける。ずっと一緒にいたらどうなのかわからないけど、とにかくうける。
考えてみれば親父も、俺も毒舌だ・・。これはよくない遺伝だな。
おばさんと話していると、毎年四月に、“カミウ—シーミー”と呼ばれる、県内の“山里将”さんが一同に集まる集会があると聞いて衝撃を受けた。
何すんだよ!総決起大会かよ!
もちょっと行ってみたいかも。みんな毒舌だったりして・・・。


ウンケイの夜

朝起きたら10時になっていた。外は灼熱の沖縄の太陽が照り付けている。
今日早くも二個下の弟の将吾が茨城に帰るっていうので、久しぶりに車を運転して弟を空港に送りに行った。
しかし、弟と一日しかあえないなんてね?。
久しぶりに会った将吾はマジでマッチョになっていた。茨城大でハンドボールのレギュラーをやっているからなんだけど、何だその丸太のような腕は!幼い顔してるくせに、ケンカでもしようものなら、間違いなく速攻で首の骨を折られて殺されてしまう!
空港に行く途中、俺たちは母方のじいちゃんち(去年ズンとザッキーが泊まった家)の仏壇に線香を上げに行った。
今日はウンケイ(お迎え)の日。
沖縄では、盆は旧暦の七月十三日から十五日にかけて行われる。今年はそれが八月の十七日から十九日にあたる。
この三日間、沖縄では、エイサーや道ジュネーなどさまざまな行事が行われる。また、いろんなところに親戚めぐりもしなければならない。那覇の公設市場ではさまざまな豚肉を買いに客がごった返し、多くの人が車で出かけるので道は激しく渋滞する。
じいちゃんちには、すでに伯母二人と従妹のありさが今夜の行事の支度をはじめていた。
その後俺は空港に弟を送った後、親と一緒に車の練習。そして日が傾き出したころ、再びじいちゃんちに向かった。
遠くで巨大な入道雲が夕日に輝いていた。その入道雲の上の部分は霧のようになっており、藤のつるのように地面に向かって垂れ下がっている。向こうでは雨が降っているのだ。
じいちゃんちにつくと、従妹たちが出迎えてくれた。ありさは都内の大学の一年生。その妹ミサキはヤンキーみたいなやつで、今度高校受験を向かえる。ほかにも今年度琉球大学を受ける雄介とか、その弟とかもいるんだけど、今日は全員はそろわないようだ。
ウンケイの儀式が始まった。
ウンケイは先祖をお迎えするという意味。まずろうそくを二本つけ、玄関の前におき、家中の電気を消す。
そして、玄関からトートーメー(仏壇)まで先祖の通り道が出来るように畳にひざまずいて、黙祷をささげ、その後ろうそくを消さないように仏壇にもどすのだ。これで、今日の儀式は終了。
先祖の霊はその後三日間じいちゃんちにとどまり、十九日のウークイにあの世に戻っていくことになる。
じいちゃんは、曽祖父が好きだった琉球古典音楽をテープで流していた。
この曲を聴くと、はるか昔になくなった両親のことを思い出して、とても懐かしくなるそうだ。幼いころ自分を愛していた両親を再び身近かに感じられる日・・・。
そんなじいちゃんも、最近ではすっかり体が弱ってしまって、歩き方もよぼよぼになったし、物忘れも激しくなった。
そして、すぐうとうとするようになった。孫たちが久しぶりに集まっても、いつの間にかうとうとしてしまう。
それを見ると、なんか悲しくなってきた。
じいちゃんはものすごく波乱万丈の生き方をしてきた。大金持ちから一気に貧乏になったり。結核になったり。戦争をくぐりぬけたり。三カ国語マスターしたり。
ある日脳に水がたまる病気になるまで、常に背をまっすぐに伸ばして歩いていた。
もし、来るべき日が来たら、「おつかれさまでした」と言ってあげよう。
線香のにおいと民謡の調べの中、ウンケイの夜はとても静かに流れていた。


走れ!ここは羽田空港

・・・やらかしてしまった・・
ええ、ただ今実家に帰ってきております。JTAの深夜便に乗って帰ってきたわけでやンス。
今日は西方たちのサッカーチームを見に行ったら、普通にムッシュや竜がプレーしててまじびびった。俺もやりたかった?。
で、それを見た後で家に帰り、帰省の仕度を整えて、重い鞄を引きずって羽田空港に向かったわけなんス。
飛行機の出発時刻は”10時30分”。
俺は飛行機が深夜便だと聞いて、超わくわくしていた。だって、もし月が満月だったのなら、おそらく窓から月世界が見えるかもしれないと思ったからだ。今日がどんな月だったのかは分からないんだけど、大当たりだったのなら、とても幻想的な光景を窓の外に見ながらの帰省ができるかもしれない。これは素晴らしい事だ。
俺は千葉から羽田行きの直行バスに乗った。ついたのは大体7時ごろ。なるべく早めにチケットを取ったので、そのままゲートに向かって待っていてもいいなと思ったんだけど、その前にどうしても本屋にいきたくなって、空港一階の書店のマンガコーナーを立ち寄った。
すると、そこで、今までめちゃくちゃ読みたかったマンガが置いてあるのを発見。
『逆境ナイン』!
めちゃくちゃ熱い!そして面白い!
特にびびったのがこの台詞・・・。
主人公:不屈闘志「いいか!明日の決勝の対戦相手は所詮おれたちと同じ人間なんだ!おれたちなら倒せる!」
監督「でも闘志・・・世の中には『井の中の蛙、大海を知らず』という言葉もあるのよ」
闘志「確かにそうです。そして挫折していった者も多い・・・。しかし、その中には世界に
通用した蛙も居たはずだ!!そんな腰抜けの先祖が作った言葉等気にするな!!!!」
たしかに・・・・!なんて、熱い言葉なんだ!すげ?燃えるぜ!井戸の外など見えてなくていいから、強気で行こうぜ!
その時俺のケータイに着信アリ。
番号は東京03の知らないやつだった。家庭教師だろうか・・・?
俺「はい、もしもし・・」
女性「あ、山里さんでいらっしゃいますか?」
俺「はい、そうですが」
女性「あの私JTAの○○という者なんですが、失礼ですが今どちらにおられますか?」
俺「あ、今羽田空港の一階の方にいるんですけど。」
女性「あの・・実は当機はいま残す所山里さんを待つのみとなっているんですけど・・」
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・はあ!?
恐ろしい予感が過った俺はチケットを確認した。
すると、何と、俺の飛行機の出発予定時刻は10時30分ではなくて、20時30分だったのだ!!
俺は『20時』という文字を見ても「深夜便」という言葉が頭の中にこびり着いてしまっていて、かってに10時と翻訳してしまっていたのだ。なんて事だ!!
時計をみた。するともうすでに36分・・。6分も過ぎている!!
俺は井戸の周りどころか、今の自分の状況すら理解してなかったのだ!
俺は気狂いのように鞄を持ってエスカレーターを書け登り、ゲートに突進した。
ゲートの人も俺のチケットを見てびびってた。しかしだからといって、持ち物検査をおろそかにするわけにはいかない。俺はポケットから、財布と鍵とケータイを大急ぎでトレーにだし、荷物もベルトコンベアに乗せて、そのまま金属探知機を通過した。
ピ?????!!
この音で、こんなに焦った事は無い。このせいで俺はぞうりを再検査の為に没収され、ベルトもはずし、再び通過。今度は鳴らなかった!ぞうりを急いではきなおす。
女性職員「急いで下さい!こっちです!」
男性職員「この荷物は私が運びます!」
女性職員が俺のチケットと、トランシーバーを握ったまま、猛然と歩行用のベルトコンベアの上を走り出した!
俺もその後を、両手に財布やらベルトやら鍵やらを抱えて走り出す。その後ろに、俺の重い鞄を抱えた男性職員がついてくる!
もちろん他の客は驚いて、おれたち三人をじろじろ見たりした。
なんだこのシチュエーション!まるで、エスコート付きの聖火ランナーじゃ無いか!!
途中で、別のトランシーバーを持った女性職員が泣きそうな顔で走ってきた。今まで、エスコートしてきた女性から、まるでバトンの受け渡しのように俺のチケットを受け取ると、そのままさっきの1.5倍ぐらいの、ほぼダッシュに近いスピードで走り出した。
その鬼気迫る走りっぷりに、自分のやらかした事の重大さを再び認識・・・。こわい!
そのまま何とか飛行機に間に合い、席に座る事が出来た。
飛行機は、満員だった。
他の乗客はもうすでにシートベルト迄つけて、今か今かと出発を待っている様子だった。
俺、一人で何百人分の脚を遅らせたんだろうと思うとゾッとした。だって、最終便がおくれるっていう事は、沖縄のモノレールの終電を逃すかもしれないって事なわけでしょ・・・。
ひ????!!!
出発前アナウンスが流れた。
『・・なお、当機への機材搬入の遅れの為、出発予定時刻に大幅な遅れがでた事を、心よりおわび申し上げます・・・』
『機材搬入』など、大嘘だって事は明白だ。もしそうなら、あの女性職員は泣きそうな顔で走ってくる事等無いはずだからだ。
結局、予定より30分遅れての出発となった。
うぐぐぐ・・・・肩身が狭い・・・・・