ニワトリと風呂桶 その2

その日の深夜に、俺はニワトリの鳴き声で目が覚めた。変だよな、普通ニワトリが夜中に鳴くか?でも俺はそんな事は気にも止めず、ひどい熱帯夜の上にクーラーの無い古い平屋だったから、あつくて寝付きが悪かっただけにひどくイライラした。
もう一度寝付こうとしたとき、隣の部屋から戸が開く音がした。そしてしばらく足音が鳴ったかと思うと、今度は蛇口をひねる音がした。隣の部屋は一緒にすんでるばーちゃんの部屋だ。ばーちゃんが台所で何かやってるんだ。行ってみると、やっぱり水を出しっぱなしにしているばーちゃんがいた。ばーちゃんはランジェリーをつけてた。あちゃあ・・・
「ばーちゃん何やってるの?」
「あ、まさき(仮)?あんた起きてたの?」
「え、いや、さっき目が覚めた」
「あんた、今ニワトリの鳴き声聞いたでしょ?」
「え?ん、まあ」
「怖いよ?、夜中のニワトリは。民家に火ぃ放つわけよ。」
「火?」
ニワトリがマッチ擦るのか?
「おばーのお父もそれで死んだわけ」
「え?で、今何やってんの?」
「蛇口の水を出しっぱなしにして火をつけないようにしてるわけさ。まさき?も早く風呂桶に水入れきて」
蛇口から水を出すってのはおまじないかなんかなのかな。俺は風呂場に向かった。別に信じたわけではなかったんだけど、確か親父がニワトリの事を『ふらり火』と呼んだ時、『化けニワトリ』ならまだしも、なんで『火』がつくんだろうと思ったのを思い出したのだ。
風呂場は家の中で台所の反対側の位置にあり、そこまで細い廊下が続いている。俺は薄暗いその廊下をとぼとぼ歩いていった。親父とお袋の寝音が気持ち良さげに聞こえて来た。
(あーあ、なんでこんな時間にこんな事やってるんだろ、早く寝よ。)
その時だった。
バサッ、バサッ、バサッ
廊下の奥から、まるで大きな鳥がはばたいているような音が聞こえてきた。
俺は廊下で立ちすくんでしまった。汗が一気に吹き出した。
廊下の奥は、風呂場だ。
俺は意を決して風呂場の引き戸を開いた。
するとそこには、昼間の巨大なニワトリがいた。風呂場の高いところにある窓からはいって来たらしく、窓は大きく開け放たれ、月の光がこうこうと差し込んでいた。相変わらずニワトリは無表情で無機質な顔で俺を見ていたが、昼間とは違って、全身の体毛が茶色から、燃えるような赤に変わっていた。
俺は夜体毛の色が変わるニワトリなんて聞いた事が無い。もしかすると、今まさにこの家に火をつけようとしているんじゃないか、と思うと俺はぞっとした。
ふらり火はまだ無機質な表情で俺をじーっと見ている。俺は、激しく緊張しながら、やつを刺激しないようにそーっとそーっと風呂桶に回り込み、その震える手で蛇口をゆっくりひねった。水は勢いよく出ているのに、俺にはじれったいほどゆっくりたまっているようにしか感じられなかった。気がつくと、ふらり火も俺と同じように風呂桶の水を覗き込んでいた。
俺は激しく緊張していたのにも関わらず、月の光の中で、お化けと俺が一緒に風呂桶の水を覗き込んでるなんて、なかなか趣があっていいじゃないかとふと思った。
やがて、水面は月を映し出す位置にまで上って来た。すると、ふらり火がしゃべった。
「あ?あ、命拾いしたね」
俺の親父の声に似ていた。そして俺の声にも似ている気がした。
そして、それと同時にふらり火は飛び立ち、窓から外に出て行った。
俺はへなへなと壁にもたれかかってぺたんとタイルの上に座り、窓から月を眺めた。いつの間にか桶から水が溢れ出し、ズボンがびしょびしょになっていた・・・。
                           おわり